奄美群島に属する与路島で、日宋貿易品と推定される墨書陶磁器を発見
文化財知識の豊富な教頭先生が発見者であったことが、幸運でした。
平成29年3月16日の南日本新聞、3月19日の日本経済新聞によりますと、
平成28年10月、鹿児島県瀬戸内町与路島で陶磁器の破片が発見されました。
専門家に鑑定を依頼した結果、平成29年3月18日、鹿児島県瀬戸内町の教育委員会は、破片を
墨書陶磁器(ぼくしょとうじき)で日宋貿易品の可能性があると発表しました。
墨書陶磁器が南西諸島で確認されたのは初めてです。
与路島は奄美群島に属し、加計呂麻島の南方に位置します。
発見場所は与路小中学校の敷地内で、児童生徒が校庭の清掃活動で掃き集めた落ち葉の中にあり、
抜水茂樹教頭が偶然見つけました。
発見された陶磁器の破片は、大きさが縦約9センチ、翌約7センチで器の底の部分に当たります。
抜水教頭は鹿児島県埋蔵文化財センターに11年勤務した経験があります。
破片を洗い流すと底部に墨で書かれた文字があり、釉薬の色や器の形状から中国で中世に作られた白磁と判断しました。
文字は、「荘綱」(そうごう)と書かれていることが判明しました。
古代、中世の南九州の歴史の研究者の永山修一氏(ラ・サール学園(鹿児島市)教諭)によりますと、
綱は商人集団の意味で、荘という一族が交易に関わったことを表わしています。
発見された陶磁器破片は、瀬戸内町の図書館・郷土館で保管されています。
福岡市博物館HPによりますと、
墨書陶磁器とは、文字や記号などが陶磁器の外底部に墨書された陶磁器のことを言います。
大部分は11世紀後半から13世紀初期の中国製陶器で、貿易の重要な商品として日本にもたらされたものです。
多くは博多に荷揚げされ、出土地点は博多に集中し、12OO例を超えます。
昭和6年(1931)年、内務省による博多港(福岡市博多区)修築工事中に沖合300m・水深5mの海底から
日中間を往来した貿易船の積荷の一部が引揚げられ、研究が進みました。
最初に発見された「張綱(ちょうこう)」銘天目碗(めいてんもくわん)について、
当初は蒙古襲来時の将兵の名前かと考えられていましたが、現在では日宋貿易に関係するものとされています。
また墨書は個人の持ち物の表示という見解から、大半は商品の所有者の表示であるとみなされています。
陶磁器に記された墨書には、いくつものタイプがあります。
「○綱(こう)」銘、中国人名、日本風人名、花押(サイン)、数字、漢字、仮名文字、記号、
寺院・僧侶に関係する字、「綱司(こうし)」銘等です。
与路島で発見された陶磁器破片には「荘綱」(そうごう)と書かれていましたが、
「綱」は中国の海運会社や貿易商人を意味します。
「李綱」「丁綱」のように中国人名を上に冠するもの以外に、「数字+綱」「綱」のみもあります。