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地域・歴史・文化


喜界島の遺跡から完全形の銅鏡、鋺(かなまり)一部が。南西諸島初出土

平成28年12日の南日本新聞によりますと、
喜界島の遺跡から、完全形の銅鏡と金属製の椀の一部が見つかりました。
いずれも、南西諸島では初出土のものです。
喜界町埋蔵文化財センターが10日に発表しました。

銅鏡は、喜界島南部の中増遺跡の土坑墓から、円形の完全な形を保ったまま見つかりました。
12世紀ごろのものと思われ、中国の湖州産とみられます。
文様はなく、中国の湖州産とみられます。
直径11.5センチ、厚さ1.5~2ミリです。

銅鋺片は、喜界島中央部の山田半田遺跡の土坑墓から出土しました。
鋺は「かなまり」、金属製の椀のことです。
(枕草子で「削り氷にあまづら入れて、あたらしきかなまりに入れたる」とあり、
清少納言がかき氷のようなものを金属製の椀であるかなまりに入れて食べたことが記されています。)
銅鋺の破片は、大きいもので長さ5センチ程度です。
厚さは0.2~2ミリです。
銅とスズの合金「佐波理」製で、ろくろを使い薄く削り仕上げたとみられます。
銅鋺は平安前期(8~10世紀ごろ)のものと推定されます。
これまで銅鋺は官衙(役所)などで出土していますが、奈良・平安期の南限は大分県で、南西諸島での出土は珍しいものです。
奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の小栗明彦指導学芸員は、出土した土坑墓は12世紀のものであることから、
持ち込まれた経路を考慮する必要はあるものの、喜界島が公的機関とのつながりの深い場所である可能性を示唆しています。