02ten
Compile
地域・歴史・文化


18世紀初頭、薩摩の巨大アカマツが大仏殿を支える大屋根の梁に
えびの市白鳥神社から国分への搬送路を探索


平成28年7月30日の南日本新聞によりますと、
湧水町の吉松自然を考える会の竹中勝雄会長や町文化財保護審議委員は、
江戸時代に東大寺に寄進された巨大アカマツの搬送路を調査しています。

奈良東大寺の大仏殿は1709年に再建されました。
大屋根を支える梁の一種、「虹梁(こうりょう)」に、白鳥神社から切り出された巨大なアカマツが
使用されました。
「大仏殿再建記」などによると、1703年、薩摩藩山奉行の指揮でアカマツは国分新川口(霧島市)に運ばれました。
延べ人数10万人、牛4千頭、日数としては115日かかった模様ですが、この間のルートは記録がありません。
湧水町の吉松自然を考える会では、栗野岳方面へ抜ける、起伏の少ないルートを通ったと推測し、
昨年から山中での調査を続けています。
山中には幅約3メートルの通路跡や、目印に植えたとみられる四本杉があります。
現在のところ、搬送に関するものかはまだ実証されていませんが、
会では地元の歴史に興味を持つきっかけになることを期待しています。

大仏殿が再建された1709年は、五代将軍綱吉が死去した年でもあります。
また、その7年前の1702年は、有名な赤穂浪士の討ち入りが起きています。
農業の生産力が向上し、土地に適した作物が作られ、特産品が生まれてきた時代でした。
また農業以外でも、あらゆる産業が発展を遂げ、航路も確立してきていました。
そのような時代の中、白鳥神社の巨大なアカマツが奈良に向かったと考えられます。