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地域・歴史・文化


立小野堀遺跡出土の青銅鈴は古墳時代中期のものか


鹿児島県文化振興財団、埋蔵文化財調査センターは平成27年5月13日、
立小野堀遺跡出土の青銅鈴について発表を行いました。
一遺跡の鈴の出土数としては最多で、原料は中国産であり、朝鮮半島もしくは中国大陸東北部・沿岸部で
制作された可能性が高い鈴であることがわかりました。
これらは、装飾品もしくは呪術祭祀用として使用されたものと考えられています。

立小野堀遺跡は鹿屋市串良町細山田に所在します。
東九州自動車道建設にともない、発掘・調査が平成22~24年度、平成26年度に行われ、鈴は平成24年度に出土しました。
これまでの立小野堀遺跡の主な調査成果としては、
1.古墳時代(5世紀前半~6世紀前半)の地下式横穴墓が190基検出されています。
2.地下式横穴墓の玄室内から、400点以上の主に鉄器の遺物が出土しています。
3.共に埋葬された遺物から、2つの墓に関しては、埋葬時期が推定されています。
148号墓は5世紀中頃~後半、221号墓は5世紀代の可能性が高いとされています。

出土した青銅鈴は10点で、古墳時代中期(5世紀)のものと推定されています。
2つの地下式横穴墓(148号、221号)から発見されました。
それぞれの墓に、三環鈴の転用鈴(直径約3㎝)1点、単体で鋳造された鈴(約1.5~1.8㎝)4点、計5点があり、
全部で10点です。
茨城大学人文学部の田中裕教授によりますと、単体で鋳造された鈴8点は、日本列島における鈴の最古型式
(無文1類,5世紀前半)で、一遺跡での出土数として、国内で最多となります。
三環鈴転用鈴は、その形状から同時期と考えられるということです。
鈴の形状・材質は朝鮮半島出土例と共通性が高く、鈴を日本で最初から自作する可能性が低いことから、
これらの鈴は朝鮮半島もしくは中国大陸東北部・沿岸部で製作された可能性が高いということです。
国立歴史民俗博物館研究部の斉藤努教授によりますと、鉛同位体比分析の結果、
10点中1点(221号墓単体鈴)は中国華北産原料、他の9点は中国の華中~華南産原料と判断できるということです。