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地域・歴史・文化


1500年という時を飛び越えて、古墳時代が現代に
完全な状態の地域首長墓が発見される


宮崎県えびの市教育委員会が平成27年1月25日に発表した調査速報によりますと、
えびの市で、1500年前の地域首長の墓が完全な状態で発見されました。
調査の主体はえびの市教育委員会ですが、鹿児島大学総合研究博物館が調査に協力しました。

場所はえびの市の島内(しまうち)139号地下式横穴墓です。
墓の形態は九州南部に特徴的な地下式横穴墓で、竪坑の深さは約160㎝、羨道(せんどう)の高さは85㎝、玄室(げんしつ)の高さは94㎝です。
玄室とは、横穴墓の奥室を指し、被葬者や副葬品を納める部屋で、手前の通路を羨道と言います。
島内地下式横穴墓群の中では、この玄室は最大級の広さです。
時代は5世紀末から6世紀初頭の古墳時代で、雄略朝の後期から継体期と考えられています。
被葬者は男女2体で、男性は副葬品から推測して、前方後円墳を築く首長と同等にみなされている人物と思われます。
副葬品が多量に発見されました。
幸運なことに、盗掘にも遭わず、土に埋もれることもなく、完全な状態です。
土に触れなかったことで、通常では腐蝕しているはずの1500年前の繊維や革が、奇跡的にも残っています。
ハエの蛹も出土しています。
副葬品の武器武具類は二種類の時代の物があることがわかりました。
被葬者の男性が2度にわたって手に入れた可能性があり、軍事面で功績があったと推定されます。

宮崎市の文化財情報によりますと、島内地下式横穴墓群(しまうちちかしきよこあなぼぐん)は、
加久藤盆地を流れる川内川の南岸に広がる台地上に位置します。
吉都線の京町温泉駅とえびの駅の中間あたりです。
島内地下式横穴墓群は東西約650m、南北350mという広大な範囲にわたって分布しており、1000基を超えると考えられています。
宮崎県の県指定史跡である真幸村古墳も、その範囲に含まれています。
これまでに、地下式横穴墓132基・板石積石棺墓2基・横穴系板石積石棺墓1墓・馬埋葬土坑2基が調査されました。
平成24年に、1029点が国の重要文化財に指定されています。

今回の調査は、平成26年10月20日から平成27年1月30日まで行われました。
出土品は以下のものです。
人骨2体
銅鏡 (倣製盤龍鏡)1 注:倣製鏡とは、中国の鏡をまねて、日本で造られた鏡です。

装身具 管玉 11
    貝釧 3
    注:管玉はビーズ状の玉で、多数連ねて装身具にします。
      貝釧は貝を紐で貫き通して輪にした装身具です。
刀剣類 銀層円頭大刀 1
    大刀(鹿角装)2
    剣(鹿角装)1
    ヤリ1
甲冑 短甲 たんこう1
   衝角付冑 しょうかくつきかぶと 1
   頸甲 あかべよろい 1
   肩甲 かたよろい 一式
   草摺 くさずり(革製漆塗り)1 
   注:短甲は鎧の一種で、古墳時代から奈良時代にかけて使用されました。
     付属具として頸鎧、肩甲、草摺が使われました。
     衝角付冑は冑の正面に衝角と呼ばれる三角形状の突き出た部分があるものです。
弓矢 矢鏃(東1群に約30 西9群に約250)
   骨鏃 15程度 骨鏃を含む矢の総計約300本
   弓 5(木製漆塗り)
   平胡簶 1 
   注:「胡簶 ころく」は矢を入れて背負う道具。やなぐい
   弓金具(両頭金具) 5
   弭 ゆはず(鹿角製)1以上
   注:弭は弓の末端にあって、弦の端をひっかける金具です。
馬具 轡 1 馬具Aセット
   鈴杏葉 すずぎょうよう 3 馬具Aセット
   注:鈴杏葉は、馬の鞍の後ろ側で尻の横や後ろにぶら下げて装飾するための金具。
   環状雲珠 1 馬具Aセット
   辻金具 3 馬具Aセット
   鈴 8 馬具Aセット

   轡 1 馬具Bセット
   無脚雲珠 1 馬具Bセット
   無脚辻金具 3 馬具Bセット
   鉸具 こうぐ 3 馬具Bセット

刀子(とうす)・小刀
     注:刀子は古代の小型の刀です。
     小刀 6 鹿角製柄、獣毛付革製鞘入り品有り
     刀子 7
     ノミ 1

その他
    赤色顔料 
    革 人骨上半部
    布 人骨に伴う剣・大刀・円頭大刀に大量付着
    ハエ蛹 2群 人骨に伴う剣・大刀に付着

副葬品に関する説明
・装飾付大刀(銀層円頭大刀)は朝鮮半島製で百済あるいは伽耶のものと思われます。
 日本では類例の少ない大刀で、1号人骨(男性)に伴うものです。
 この大刀から、1号人骨が朝鮮半島での活動に関わった可能性が考えられます。

・甲冑セット(衝角付冑・短甲・頸甲・肩甲)はヤマト王権からの配布品で、ヤマト王権との直接的な政治関係を結んだことを示しています。
 島内地下式横穴墓群では甲冑が多く出土していますが、頸甲・肩甲・草摺を含むセットで完全に存在したのは今回が初めてです。
 従って、この139号の被葬者が、墓群の他の墓の被葬者よりも地位の高いと推測されます。
 今回発見の草摺は革製漆塗りで、類例のない稀少品です。

・総数約300本の矢は、古墳時代のこの時期では全国で3番目の出土数で、多量の副葬品と言えます。
 矢羽根周辺い黒漆が塗ってある矢があり、通常はない装飾で、稀少品です。

・五鈴杏葉(ごれいぎょうよう)は日本国内で発見されたのは他に14例しかありません。
 それらは、前方後円墳あるいは大型円墳で出土しており、上位の首長層の保有品とみなされています。
 装飾付馬具は島内地下式横穴墓群ではきわめて珍しく、それも2セットの出土であることが注目されます。

・鏡は、地下式横穴墓から出土された中では、最大の大きさで、ヤマト王権からの配布品と推測されます。
 5世紀末から6世紀初頭にかけて、鏡の副葬は古墳でも少なく、地位の高い首長であったことが推測されます。
 鏡の制作時期は4世紀後葉です。
 鏡は葛籠箱に入っており、その点も非常に珍しいものです。

・平胡簶は装飾付の矢入れ具で、同型のものはきわめて珍しく、全国で15例程度しかありません。
 九州では、福岡に1例あります。

以上のような副葬品をもつことから、被葬者(1号人骨 男性)がどのような地位の人であったかを推測することができます。
ヤマト王権と強い関係をもち、在地首長ではあるものの、前方後円墳を築くクラスの評価を与えられた人物です。
また、実際にヤマト王権の軍事に関与したか、あるいは朝鮮半島との交渉などに関わって活躍し、評価された人物と
推測されます。この時代、同じ墓に葬られるのはきょうだいが多く、親子や夫婦の合葬はほとんどないため、2号人骨(女性)は
きょうだいなどの近い関係と思われます。