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地域・歴史・文化


種子島の広田遺跡

国の重要文化財に指定されている考古資料は、鹿児島県では、種子島の広田遺跡と霧島市の上野原遺跡の2つです。
広田遺跡(ひろたいせき)は、種子島の南東部、南種子町の太平洋に面した全長約100メートルの海岸砂丘上に立地しています。
貝製品と人骨が良い状態で残されている貴重な遺跡です。
現在、鹿児島県の歴史資料センター黎明館の弥生文化のコーナーには、出土した貝製品の複製品が常設展示されています。

南種子町HP、黎明館HP、鹿児島県HP、並びに種子島開発総合センター落成記念シンポジウムが元になって生まれた
『鉄砲伝来前後-種子島をめぐる技術と文化-』(有斐閣)によりますと、
この遺跡は弥生時代後期後半から古墳時代併行期(3世紀から7世紀頃)にかけての集団墓地です。
遺跡発見のきっかけは、1955年(昭和30年)の台風でした。
台風で削られた広田の浜ノ山から、人骨、土器片、貝製品が多数発見されました。
発掘調査は1957年(昭和32年)の第一次調査から始まり、1959年(昭和34年)の第三次まで行われました。
地元の教諭や九州大学の研究者によって調査が行われ、調査対象は約230平方メートルに及びました。
合葬を含む90基の埋葬遺構や157体(158体との記述もあります)の人骨、
44,000点を超す(44,242点の記述もあります)各種貝製品が発見されました。
埋葬形態は土坑墓や覆石墓で、遺跡は上下2層になっています。
両方の層からは、貝でできた大量の副葬品が出土しました。
上層の人骨には、死者に供えるために作られた貝札が副葬されていました。
下層は屈葬になっており、サンゴ塊が周囲に配置してあるものも多くありました。
下層の人骨には、貝符、貝小玉、貝輪など生前の装身具が主に副葬されていました。
豊富で多彩な貝製の装身具を身につけるという習俗・貝文化は、日本列島ではこれまで類例がなく貴重です。
成人男性が平均154.0㎝、女性で142.8㎝という低身長であることや、
上顎片側の側切歯を抜歯する特異な風習なども判明しています。

貝製品は、南海産のゴホウラ、オニニシ、イモガイ、オオツタノハなどの貝が、素材として使用されていました。
独特の文様を刻んだ貝符(かいふ)は、広田遺跡で初めて見つかったもので、貝の小板です。
他に、やはり広田遺跡でしか発見されていない竜佩形(りゅうはいがた)の貝製垂飾、貝輪(かいわ)もあります。
これらの貝製品は南島地域独特のものであり、工芸的にも優れたものです。
中でも、山の字を彫った貝符は、京都博物館長、神田喜一郎氏によると、日本最初の山の字と判断されています。
漢隷の書体で、後漢末のものであるということです。
貝符に彫られたトウテツ文様は、それぞれ刻線のするどい緻密なものです。
鉄製の刃物が使用されたことが推測されます。

その後、南種子町は町単独の予算で、平成15年度の平成16年3月に、試掘調査を実施しました。
平成16年度から平成18年度まで、文化庁・鹿児島県の協力のもと、広田遺跡の学術調査を行いました。
墓域の広がりを確認し、また昭和32~34年に実施された調査区の位置の再確認も行いました。
広田遺跡がある砂丘は指定保安林のため、広い面積を発掘することができません。
そのため、地中レーダー調査を行いました。
調査の成果を町の人々に広く知ってもらうため、現地説明会も開催しました。
平成19年度には、発掘調査の成果を報告書にまとめ、文化庁に報告しました。

平成15年度からの調査の結果、以下のことが新たに判明しています。
1.広田遺跡は縄文時代後期~近世までの複合遺跡であること。
遺跡の主体は、弥生時代後期後半~古墳時代にかけての埋葬址であること。
1957~1959年度(昭和32~34年)に砂丘の南端でみつかった墓地(南側墓群)の範囲が、さらに西側に拡大すること。
広田川に面した砂丘北端にも、同時期の墓地(北側墓群)が存在すること。
したがって、砂丘の少なくとも2カ所に墓域をもつ埋葬址であると推測されること。
地中レーダー調査により、未発見の墓が砂丘に残存する可能性が高いこと。
また、南側調査区で11基、北側調査区で9基の埋蔵遺構を新たに確認しました。

2.平成の調査で出土した内容は、貝製品2,966点、土器92点、ガラス小玉28点、石器15点です。
貝製品の内訳は、オオツタノハ貝輪、貝符、有孔円盤状貝製品、竜佩型貝製垂飾、二孔板状貝製品、
マクラガイ珠、ヤコウガイ容器、太形ツノガイ珠、細形ツノガイ珠、ノシガイ珠、イモガイ珠、貝鏃です。

国(文化庁)の指定に関しては以下の通りです。
平成18年6月9日の官報公示により、広田遺跡出土品(鹿児島県(黎明館)及び国立歴史民俗博物館保有分)は国の重要文化財に指定されました。
平成19年11月16日、国の文化審議会は、広田遺跡を国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
平成20年3月28日の官報告示によって、広田遺跡は国の史跡に指定されました。
平成21年3月19日、国の文化審議会は、広田遺跡出土品(南種子町所有)を国の重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
平成21年7月10日の官報公示によって、広田遺跡出土品(南種子町所有)は国の重要文化財に指定されました。