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歴史・文化


種子島の「山の井様」

「山の井様」とは、身長133センチの等身大の「生き人形」で、江戸時代、徳川家綱に仕え、若くして亡くなった「山の井のつぼね」がモデルとされています。
約370年前に制作され、将軍家から島津家に伝わり、江戸後期に種子島家に嫁いだ松寿院とともに種子島に渡ったとされています。
京都の美術院国宝修理所から修復を終えて戻り、種子島の家老である羽生家の羽生道潔の旧宅で一般公開されています。

南日本新聞によりますと、種子島に代々伝わる人形「山の井様」が京都の美術院国宝修理所から修復を終えて、戻ってきました。
西之表市の武家屋敷赤尾木城文化伝承館月窓亭で、一年ぶりに一般公開されています。
「山の井様」とは、江戸時代、徳川家綱に仕え、若くして亡くなった「山の井のつぼね」がモデルとされています。
約370年前に作られ、将軍家から島津家に伝わりました。
江戸後期に種子島家に嫁いだ松寿院とともに種子島に渡ったとされています。
人形は、10代後半の容姿で身長133センチの等身大で、「生き人形」ともいわれます。
黒地花紋の打ち掛けと淡い桃色の小袖を身につけ、正座した姿をしています。
これまで、衣替えや供え物をして大切に扱われ、人形とはいえ、男性が触れることはタブーとされています。
修復を行い、制作当時の姿に復元した京都の美術院国宝修理所では、国宝級の価値があるとしています。

赤尾木城文化伝承館月窓亭は、もともとは、種子島の家老である羽生家の羽生道潔が、1793年に建てた住宅です。
羽生道潔は、養蚕業の普及に取り組んだことで有名です。
道潔の孫羽生慎翁は花道の大家として有名です。明治時代、池坊大日本総会頭職を努めました。
鹿児島・東京での重要な要職を歴任したため、種子島を離れました。
明治維新後は、種子島家の住宅となります。
旧家臣たちが第27代種子島守時公を種子島へお迎えしたからで、その後、平成12年まで種子島家住宅として使用されてきました。
その後、西之表市が保存し、平成22年4月より 赤尾木城文化伝承館 月窓亭として公開しています。
珊瑚石の石垣、ポルトガル伝来銃、国産第一号銃の複製、江戸時代の花道教本、美しい婚礼衣装など多くの展示品があります。