ひたいこ
2003/12
自動車教習所ではないけれど、生活の教習所の話です。
「ひたいこ」とは何?
ひとりでも、
楽しく、
生きる、
こつです。
それぞれの頭の文字をとって、「ひたいこ」と名付けてみました。
たいしたことはありません。
私が作った言葉なのですから。
生活することはあまり多岐にわたっていて、定義しづらいのですが、「ひたいこ」で言っている生きるとは、本当に具体的なこと。
つまり、起きたら、自分でご飯を作り、片付け、洗濯掃除をし、入浴し、買い物をして、ゴミを出す。
ということです。
これを、曲がりなりにも一人でどうにかこなすこと。
裏技とか、テクニックとかではなく、一応、そこそこの時間内で済ませることです。
簡単なようですが、慣れていないと案外やれないものです。
食事を作るのに、料理本やネットからレシピを見て作るのは、特別な時だけにします。
スーパーや八百屋に行って、肉や魚、野菜を見て、作れるのが基本です。
だからと言って、やたらにこだわる必要もありません。
料理に限らず、生活全般を淡々とこなせるようになることを目指します。
実は、少々難しいのです。
なぜでしょうか。
よい学習の場が少ないからだと、私はにらんでいます。
最初から難しいことまでやれるようになろうとせず、基本をマスターする。
そして、少しずつ付け加えていき、応用する。
まずは教えてもらい、人の手を借りて、少し慣れたら、自分ひとりでやってみる。
もちろん、誰かに見てもらいながら。
そのうち、自分ひとりでやることを増やしていく。
この、やりかた、どこかでやっているのです。
そう、自動車教習所です。
運転免許を取るために、ほとんどの人は教習所に通います。
もちろん、そのやり方ではない人もいます。
公道でないところで、勝手に学んだひともいるでしょう。
ただ、大多数の人は、日本では教習所に通います。
それが、車の運転を覚えるのに最適だからです。
私が思い描く「ひたいこ」はアパートの一室を使って始まります。
朝の設定その1。
起きたら、まず顔を洗い、軽いご飯をつくりはじめます。
食べたら片付けます。
片付けないと、なぜ困る?
洗い物をそのままにしておくと、次に作る時、まず洗いものから始めることになります。
なんでもそうですが、「さあ、始めよう」という気持ちの時、片付けから始めるのは、やる気をなくします。
たとえば、学校の先生が、「さあ、授業を始めましょう」と言って、黒板を消すところから始めたとしたら、先生は、教えることに熱心になれないでしょう。
だから、食事をすませたら、面倒くさがらずに片付けるという習慣は、結局自分のためになります。
話が長くなってしまいました。
先に進みましょう。
毎日ではないけれど、設定その2
掃除をする、洗濯する、洋服を片付ける、
新聞、雑誌を片付ける、ゴミを決められた曜日に出す。
そういったことを、一つ一つの局面で真似しながらやってみます。
最初は時間がかかっていたことも、最低の基本のことなら、スムーズにやれるように。
教官役の人がそれを見て、コメントやチェックをします。
設定その3
これまでのことができるようになったら、組み合わせの仕事を作ってやってみます。
たとえば、ご飯を作りながらお風呂のお湯を入れる、片づけしながら洗濯するなど。
最後は、一人で泊り込みで数日過ごしてみます。
生きることと、楽しく生きることは人によって違いがあるでしょう。
うまくなると楽しくなってくる人、生きる技術を最初から楽しんでやってみようとする人。
人それぞれだと思います。
しかし、どちらにしても、やりかたをわかりやすく教えてくれる場所があってもよさそうです。
誰もが、ある程度はできることなのですから。
こういうことは、家庭という空間の中だけで継承しなくてもいい、とこのごろの私は感じます。
核家族になって、継承すべきものを持ち続けている家庭は少ないという実情が見えるからかもしれません。
退職した男性、学校を卒業し、就職したばかりの若い人も、あまり、生活の技術を知っているとは思いません。
女性だからといって、できるとは限りません。
でも、そういうことに目くじらを立てる必要はないと思うのです。
自動車教習所と同じように、始めればいいだけのことです。
家族への思いやりを持ちましょう、と言うよりは、一度「ひたいこ」ですごしてみれば、思いやりより前に、感謝というプレゼントをもらってしまうかもしれません。