Novel(百物語)
02ten

林の中に隠れていた

林の中に隠れていた

「シチューやスープに最適です 1袋100円」
達筆のメモが、洗濯バサミで籠に留めてある。
何が入っているのかと、私は足を止めた。
籠の中には、小玉ねぎが入ったビニール袋がいくつも入っている。
ひとつのビニール袋に、本当に小さな小玉ねぎが5、6個ほど入っていた。
重さとしては、普通の玉ねぎ1個くらいだろうか。
一緒に入っている古いプラスチックのコップのほうが、ずっと大きかった。
たぶんお金をいれる容器なのだろうが、残念なことに、硬貨はまだひとつも入っていなかった。
籠は、太い木の枝にぶら下がっている。
ひとつ買おうかなと考えた私は、ポケットから財布を取りだした。
スープを作るかどうか、わからない。
ただ、この細長い雑木林を自由に散歩させてもらった礼のつもりだった。
公園でもなさそうで、かといって私有地なのかもよくわからなかったが、その林は立ち入り禁止の柵もなかった。
散歩していた私を拒む様子もなかった。
あの頃にこの林はあっただろうかと、歩きながら私は考えたが、どうしても思い出せなかった。
私がこのあたりに住んでいたのは、もう30年も前のことだった。
小さな私鉄の駅を降りたときも、記憶はひとつも残っていなかった。
駅を出て、どちらに行けばいいのかもわからなかったが、私は犬のように嗅覚を頼りに歩き出したのだった。
たしか、こちら、たしか、この道、そうやってたどり着いたのがこの雑木林だった。
ケヤキの木はほとんど葉を落とし、林の中は明るかった。
広い道路の幅ほどしかない林だから、右手に並行して走っている道路も見えている。
私有地だったとしても、すぐに出ることができると思うと、気が楽だった。
小玉ねぎの代金をコップに入れると、私はビニール袋をコートのポケットにねじ込んだ。

日の当たる林の中で、空を見上げたり、木肌をなでさすったりと、私は静かな時を過ごした。
そろそろおいとましよう、その前にきれいな落ち葉をひとつふたつ拾って帰ろうとしゃがんだとき、後ろから声がした。
「このあたりに住んでいなさったか」
老人のかすれた声に私は驚き、もうすこしでつんのめるところだった。
叱られるかとそっと顔を上げると、背の高い老人が立っていた。
着ているセーターもズボンも、葉を落とした林の木の色にそっくりだった。
ほんの少ししかない白髪が風で揺れている。
「あっ、すみません」
私はお辞儀をして、道路に向かおうとした。
きっと、林の所有者に違いない。
枯木も山のにぎわい、そんな言葉が頭に浮かんだ。
年長者に対して失礼千万とは思うものの、きっと私が中学生か高校生なら笑い転げていたに違いない。
「逃げんでもいい。散歩したらいい」
後ろからまた声がした。
「いいんでしょうか?」
図々しく、私は立ち止まった。
枯木のおじいさんは今度は何も言わず頷いてみせた。

おじいさんと向かい合っている私には、向こうから走ってくる人が見えている。
「おとうさん、ジャンパー」
「ほら、おとうさん」
「ねえ、聞こえないの?」
走っているように見えるのだが、なかなか近づかない。
何度も呼び掛けられているおじいさんは、まだ気が付かない。
仕方なく、私が注意した。
「呼んでいらっしゃいますが」
おじいさんがゆっくり振り向いた時、ジャンパーを振り回して駆けてきた小柄な女の人が到着した。
「ほら、おとうさん、ジャンパー着なくちゃ」
「寒くない」
「寒いわよ。
この人だって、コート着ているじゃない」
「俺は寒くない」
思わず私は笑ってしまった。
なんだか元気そうなこの女の人も、近くで見ると、かなりの老人だった。
ジャンパーを着なさいと言う割には、おばあさんのほうが薄着だった。
少なくとも、おじいさんはセーターは着ている。
「このあたりに住んでいなさったか」
また、おじいさんは同じことを私に聞いた。
「ええ、ずいぶん前に住んでいたものですから、懐かしくて」
私は答えた。
「まあ、ご近所だったのね。
うちはもう長くここにいるから」
はきはきとおばあさんが答える。
「お前はもういい。ジャンパーはありがとう」
こらえきれずに、私は声を出して笑った。
そんな私を二人は驚きもしない。
「あら、玉ねぎ売れてるじゃない」
おばあさんは籠を覗き込み、私が入れた100円玉に気が付いている。
「私が買いました」
「まあ、ありがとう。
もっといらない?
私が作っているわけじゃないけれど、おいしいわよ」
いらないというわけにもいかず、私はもう1袋、小玉ねぎを買った。
コートのポケットは右も左もふくらんだ。
もしかすると、おばあさんは全部買わせたいのかもしれない。
エコバックなどを持っていなくてよかったと私は思った。

コップに200円が入るのを見届けて安心したのか、おばあさんは私に質問をする。
「それで、あなたはどこに住んでいたの?」
「いや、それがよくわからないんです。
このあたり、変わったんでしょうか。
それとも、私が憶えていないだけかもしれないんですが。
畑、今よりたくさんありましたよね。
すごく広い敷地の家があって、その横のアパートだったんです。広い家からだと思うけれど、
いつもピアノの音が聞こえていました」
「ここですよ」
突然おじいさんが断言した。
「こんな林はなかったし、アパートもなくなっているし」
長く住んでいる人のほうが正しいとは思ったものの、私は力なく抵抗した。
「畑ねえ」
おばあさんが、なんだかぼんやりと言った。
「アパートは取り壊した」
また、おじいさんがはっきり言った。
「いつでしたっけ」
なんだか、先ほどと二人の口調が逆転しているように私には思えてきた。
「いや、わからなくてもいいんです。ひまができて、ちょっとこのあたりを歩いてみたくなっただけですから」
「そんなこと言わないで、ちょっとうちにお寄りなさいよ。
おとうさんも散歩できたことだし」
「茶でも飲みたいな」
おじいさんもしゃっきりと歩き始める。
「知らない人を入れないほうがいいのでは」
知らない人とは自分のことなのに、私は防犯パトロールの警官のように注意した。
行きたくないというよりは、ふたりの無防備さが心配だった。
「いいのよ、お父さんは医者だったから、やってくるのは怪我をした知らない人ばかり」
歌うようにおばあさんが私を誘い、きっかけを失った私はふたりの後についていった。

お茶をごちそうになった場所は、玄関を入ってすぐの診察室だった。
看板のようなものはさすがになかったが、かつて医院だったことはすぐわかる。
「ひまなのかね」
椅子にゆったりと座ると、おじいさんは私に訊いた。
まるで、株価はいくらかと証券会社で聞いているかのように自然な質問だ。
見ず知らずの他人に言われたら腹が立つはずなのだが、なぜか、怒る気持ちにはならなかった。
おじいさんが、実際、どの程度しっかりしているのか、私自身わからなかったからだ。
まるで今も医者を続けているかのように、背もたれのある立派な椅子に座り、おじいさんはお茶を飲んでいる。
子どもがお医者さんごっこをしている風情でもあった。
片隅に押しやられてはいるが、病院の名残と思えるものがあちこちに見える。
「久しぶりのお客さまね」
かつては待合室のソファだったと思われるものに腰かけて、おばあさんは楽しそうに私を眺めている。
おばあさんは私にお茶を出したとき、
「心配しないでね、きれいに洗ってあるから」
と小さな声で言った。
「1週間に1度は、家政婦さんに来てもらっているの。この間から」
と私に秘密を打ち明けるかのように話した。
窓から、先ほど歩いていた雑木林が見える。
木々の間から太陽が差し込み、鳥の声がする。
おばあさんが、順番を待っている患者さんの姿に重なってくる。
「ひまなのかね」
おじいさんは再び私に訊ねた。
これまで、全く同じ口調で、「どうしたかね」と患者に言い、聴診器をあてていたに違いない。
私は患者でもないのだが、仕方なく、夏からの騒ぎを二人に話した。
ひまといえばひまだが、すき好んでそうなったわけではない。

長年勤めた会社が、倒産してしまったのだった。
まったく兆候は見えなかった。
定年までもうひとふんばりと、頑張ってきただけに気力はすっかり衰えた。
給料とボーナス、そして最後に期待していた退職金が消えたことは痛手だった。
ただ、慌てることはなかった。
ひとりこつこつと生きてきたおかげで、いざということをいつも考えてきたからだ。
他の事を切りつめても、小さいマンションを買って自分の住居を確保した。
何があっても危なくないようにと、がんばってローンも終わらせていた。
おかげで、職を失ったからといって、明日から生きていけないわけではない。
ただ、いくら準備をしてきても、現実にそうなると、落ち込む気持ちだけはどうしようもなかった。
貯金が目減りするのも嫌だった。
再就職のために頑張ってきたが、昨日からどんなに自分を叱咤激励してもうまくいかない。
こんなときは、何をやってもだめだとわかっていた。
心の痛手も怪我や骨折同様、時が過ぎるのを待つしかない。
少し休憩しなくてはと私は考え、再就職活動を止め、1週間だけ何もせずに休むことにした。
ところが、貧乏性なのか、どうも家でゆっくりできない。
家にいればいたで、掃除をし、買い物をしては作り置きのおかずを作ってしまう。
音楽をかけても、ついでに身体を動かしてしまう。
毎日規則正しく生活してきたことが、妨げになるものだとは思いもしなかった。
3日目には早起きし、家を出たくなった。
何のあてもなく電車に乗ってしまったが、楽しむところを思いつかない。
しかたなく、通勤とは反対方向の電車に乗り、どこかで降りることにした。
ふと、最初にアパート暮らしをしたところを訪ねてみようと、電車を乗り換え、
あの雑木林までたどり着いたのだった。

おじいさんは私の話を聞き、カルテに何かを書かねばならないというような顔をしている。
「まあ、大したことではありません。
若い人なら困ることだけど、私はもうすぐ定年なんですから。退職の時期がちょっと早くなったということです」
私がちょっと茶化して言うと、おじいさんは頷いた。
私の顔をしげしげと眺めている。
「うちの娘と同じくらいの年かな。いくつだね」
私が答えると、当たったらしく、嬉しそうな顔をした。
先ほどから、おばあさんは黙っている。
どちらかというと、おじいさんよりおしゃべりに見えたのだが、どうかしたのだろうかと私は思った。
「そうか、生きていたら、あの子もそのうちに定年か」
おじいさんは話し始める。
「ピアニストだったら定年はないだろうがね。
いや、仕事がなければ同じか。
ちかごろ、娘の友だちも来なくなったから、同い年のあんたが来てくれたのも何かの縁だろうね」
「お父さんたら、この間も、孫を連れて来てくれたじゃないの。
もう忘れてるんだから」
すかさず、おばあさんが言う。
「そうだったかな」
私は慌てた。
ふたりの会話をのんきに聞いている場合ではなかった。
私と出会ったことで、亡くなったらしい娘さんを思い出させたに違いない。
「すみません、悲しい思い出につなげてしまって」
「そんなことはない」
「もう大丈夫なのよ」
ふたりが同時に言った。
「たしかに、あの当時はつらかったけれど、お父さんは開業する決心をしたし、
そのおかげで私も忙しさに紛れたのよ。何より、小さいころから一緒に遊んだ友だちが成長するのを見ていたんだもの。
こういうとき、医者って便利よ。
元気な時だけじゃなくて、病気や怪我の時も来てくれるんだから」
おばあさんは笑顔で言った。
「今となっては、あの子があちらにいると思うと、年取ることも嬉しいものよ。もうすぐ会えるんだもの。
ねえ、おとうさん」
「ああ」
おじいさんはなんだか眠そうな顔をしている。
散歩のせいかもしれないが、私の話が長かったからかもしれない。
私はもうそろそろおいとまをしなくてはと思った。
腰を上げかけている私を見て、おばあさんが言った。
「お父さんは大丈夫よ、時々うたた寝をするの。毛布かけてあげるから。あなた、こっちにいらっしゃいよ。
お菓子でも食べない?」
おじいさんはぐっすり寝てしまい、その間、私はおばあさんとおしゃべりをした。
おかげでずいぶんいろいろなことがわかった。
会ったばかりの人間に、こんなに内情を話してもいいのだろうか、危ないのにと私が心配するにもかかわらず
おばあさんは話し続ける。
聞き手がいるのが嬉しいのかもしれないと、私は耳を傾けた。
自分の親世代の人が話すのをたっぷり聞くのは、私にとっても珍しいことだった。
私がこのあたりでピアノの音を聞いたのは、想像した通り、彼らのひとり娘の練習風景だった。
音楽学校を優秀な成績で卒業し、海外のコンクールでも入賞した。
声楽も得意だったらしい。
海外に滞在したときに、しばらく声楽も勉強したいとイタリアに立ち寄ったことが人生を変えた。
飛行機事故に遭ったのだ。
「お父さんは本当に死んだようになってね。
そのくせ、お前をひとりにしておくのが心配だとか言って、大学病院の仕事をやめちゃったの。
何言っているんだか、お父さんこそひとりでいたくなかったに違いないわ。
敷地に医院を開業してね、それからふたりで頑張ってきたのよ。
あの子が生きていたら、あなたくらいになっているのねえ」
おばあさんは私をじっと見つめる。
「なんだかがっかりさせてすみません。
イメージを悪くしているのではありませんか?」
私は申し訳ないような気持ちになった。
「そんなことはないわよ。
おかげで自分が年をとったことがよくわかったわ」
おばあさんは朗らかに笑い、お茶をもう一杯いかがというかのように軽く言った。
「ねえ、さっきから思っていたんだけど。
お父さんもあなたがいると嬉しそうだから、お願い、うちの婦長さんになってくれない?」

私はひどく驚いた。
元気そうに見えても、彼女はやはり耄碌しているにちがいない。
急に、診察室が暗く感じた。
ちょうど陽が陰ったのかもしれなかったが。
こういう時は怖がらせないほうがいいのだろうと、私はゆっくり静かにおばあさんに言った。
「私は看護師の資格はないんです。
さっき話したように、私は会社に勤めていたんです」
「私って先走るからだめね。婦長さんていうのは、比喩よ」
おばあさんは立ち上がると、おじいさんの前の机から、メモ用紙を持ってくると、数字を書いて私に見せた。
月給、ボーナスと少々乱暴な字で書いてあり、その下にこちらは読みやすい数字があった。
「出せるのはこれくらい。
かなり少ないのかもしれないけれど。
私たちには、自腹のケアマネジャーが必要なの、全体を見る人が。
監督さんかな。
家政婦さんに来てもらい始めたって言ったでしょ。
これから、もっとうちにはいろんな手伝いが必要になると思うの。
そんなとき、誰かが主になって考えるしかなくなる。
だって、私たちが考えようとしても、本当にそれができるのかわからないから。
お父さんはもう医者でもなくて、あたしもぼんやりしていて、その誰かが必要になってきているのよ」

「老人ホームに入ろうとは思わないんですか?」
私は訊ねた。
おばあさんの頭がしっかりしていることがわかったからだった。
「何度も考えましたよ。
見学に行ったこともあるのよ。
費用も計算してね。
医院をやってきたのはもちろんお父さんだけれど、経営に関わったのは私。
だから、医院を閉じる時も全部私がやったのよ。
冷静に考えてみたけれど、やっぱり踏ん切りがつかなかった。
あの子がピアノを練習したこの家でずっとふたりでがんばってきたから、離れる決心がつかないんでしょうね」
おばあさんは低い声でそう言った。
「見ればわかるように、2人とも、要介護や要支援でもないの。
一応、元気な老人よ。
とってもいいことなのに、ケアマネジャーさんは何もしてあげられなくて、てすまなさそうに言うのよ。
あの人たちが悪いわけじゃないから、こっちが申し訳ないくらいよ。
ただね、病気じゃないなら元気なはずだというのは若い人のこと。
たとえ病気がなくても、老人は少しずつ、誰かの世話にならないとやっていけなくなるものなのよ。
年寄りは赤ん坊といっしょだけど、赤ん坊と違うのは、少しは自分でも考えられるということかしらね。
その分、かわいげはないけど。
老人ホームに入らなくても、誰かを監督にすれば似たようなことができないかなと思っていたの。
誰かが何かをしてくれるのを待っているなんて、あたしの性格じゃないのよ。
費用がすごくかかるから無理っていう人もいるけど、あたしはそうは思わない。
本当に必要なことにだけお金をかけて、自分たちが甘えさえしなければ大丈夫だと思ったのよ。
小さい子どもを厳しく躾けるのと同じ。
自分がその立場だというのはちょっと苦しいけどね。
問題なのは、どこから監督を見つけてくるかってこと。
おじいさんも医者をやめてひまなんだから、少しは協力してよって二人で相談していたところよ」
おばあさんはその前のおしゃべりの時とは違い、言葉を選ぶようにゆっくりと正確に話した。
決して思い付きではなく、これまでも考えていたことが私にはよくわかった。

おばあさんの話を聞きながら、私は兄夫婦のことを思い出していた。
義理の姉が私の両親のために考え、行動したことは、おばあさんが口にしたことそのものだった。
私の両親は20年以上前に亡くなったが、兄夫婦はまさに監督だった。
特に義姉は見事だった。
会社を経営しているふたりは、私よりもはるかに忙しかった。
しかし、私に両親の世話を押し付けるという楽なやり方はしなかった。
遠くに住む両親が何をしてほしいのか、じっくりと聞き出してくれた。
そして、すべてを両親の希望通りにするわけでもなく、必要なことをひとつずつ解決していった。
母の食事作りの負担を減らしたり、家の中の雰囲気を両親の好むものにしながらも
住み心地のよい空間に変えていった。
家計に関することも含め、両親が安心して生きていく手筈を整えていった。
いつのまにか、両親はご隠居さんの立場になってはいたが、二人は自分たちだけで頑張って生きていると最後まで思っていた。
自立心が生きる力になることを知っていたのだろう、兄夫婦はそれを少しも否定しなかった。
子どもが親の面倒を見るというは、なにも家事や直接の介護をすることだけとは限らない。
まさに、おばあさんが言う監督の仕事が一番大切なことだと、兄夫婦を見て私は感じたのだった。

私に家事を頼もうと思っているのではない。
全体を見回すことができる人がほしいのだとおばあさんは熱心に私に言った。
「初めて会った人を信用してくださるのは嬉しいんですが、危なくありませんか」
私は本心から言った。
少々逃げ腰であったことも確かだった。
「危なくはないさ。
だって、あんたは会社に長いこと勤めていたじゃないか。
マンションを買ってローンも払い終わったんだろう?
これまでの働きを聞いていたら、十分に大丈夫さ」
おじいさんの声が聞こえ、私はびっくりして振り向いた。
寝ているとばかり思っていたおじいさんは、私をじっと見ていた。
「私があんたと会ったのは、きっとそういうことだったんだよ」
あの雑木林の中で会ったとき、この人が枯木のように見えたことを私は思い出した。
しかし、枯木ではなく、年老いた1本の木だと私は感じた。
木の名前も知らないし、いつ倒れるかもわからなかった。
おじいさんは白衣を着てはいなかったが、どこかにまだ医者らしさが残っている。
この診察室で、もうしばらくふたりと話す日々があってもいいのかもしれないと私は思った。
身内でもない人間が、このようなことに関わって大丈夫だろうかという不安が、ないわけではなかった。
しかし、失業したおかげで、これまで考えたこともない大胆さが私の中に生まれていた。
退職金は消えてしまったが、働くことができるのなら、これまでと全く違うことをやってみるのも面白い。
私に家事や介護をやってくれと頼まれているわけではない。
もしかすると、会社勤めの経験を活かすことだってできるかもしれなかった。
だめならだめで、また就職活動を始めればよかった。
「やってみましょう。ただし、まずはお試し期間が必要だと思いますよ、どちらにとっても」
私はふたりにそう告げた。
「ばんざい」
おばあさんは両手をあげて大声を出している。
あまりに嬉しそうなその様子に、思わず私も笑顔になった。
ただ、頭の中は全く別のことを考えていた。
お義姉さんが以前にやったことを思い出さなくてはならない。
「あなたは、働くことに専念してかまわないのよ。
今はまず、自分の働き場所を確保しなくちゃ。
ただ、お父さんやお母さんにできるだけ会いにきてね。
手紙でもいいのよ。
その気持ちが一番うれしいのだから」
お義姉さんは私にそう言ってくれた。
私は父が50の時の子どもで、年の離れた兄はまるで若い父親のようなものだった。
物心ついた頃には兄は大学に入って家を出ていたから、あまり記憶がない。
私はお義姉さんと17も年が違う。
お母さんではないけれど、人生をずっと先に歩いている人だった。
兄夫婦は両親が幸せな老後を送れるように見守り、必要な手助けをしてくれた。
面倒を見たとはいえないと陰口をたたく親戚がいなかったわけではない。
もうちょっとやってくれると思っていたのに、と葬儀でも口にする人もいた。
しかし、私の両親はひどく満足していた。
それだけは私は知っている。

お義姉さんがいてくれば、私は今、どうすればいいか、明確な答えを教えてもらえるに違いない。
それとも、「少しは自分で考えなくちゃね」と笑うのだろうか。
しかし、私は記憶をたどっていくしかない。
あのころ、お義姉さんが私に説明してくれたこと、夫婦で何をしたのか、思い出していくしかない。
兄夫婦に指導してもらいたいのが本心だが、ふたりはもうこの世にいない。
自分たちで作った会社を譲り渡し、ようやく時間が作れるようになったとふたりは喜んでいた。
ドライブが大好きで、日本中を回るのだと言っていた。
そのドライブの途中、避けようもない多重事故に巻き込まれ、あっというまにこの世から去っていった。
おばあさんのばんざいを聞いた瞬間に、私にはひとつのアイデアが浮かんでいた。
きっとこの夫婦なら、親戚の中に、私が任される仕事を理解する人間はいるにちがいない。
この夫婦にも、どこかに兄夫婦のような人がいるかもしれない。
少なくとも、ふたりを見守り、本当に大切なことだけをやればいい。
後任を探すこと、これが私がこの仕事を引き受けた理由だった。

診察室も含めて、家を片付けを終えるのに半年かかった。
本当はもっと早くできたはずだが、3人で片づけ、そして、同じ時間だけおしゃべりをしたからだ。
私は、学校のように時間割を作った。
片づけ、おしゃべり、散歩、体操など授業はいくらもあった。
おじいさんは授業中でもうたたねをした。
おばあさんと私はそれを見て、声を出さずににやりと笑った。
その間、ふたりでこっそりお菓子を食べるからだ。
家の中では、診察室と待合室が一番明るい場所だから、私はいつも医院にいたような気がする。
おじいさんの話もおばあさんの話も面白かった。
おばあさんの母親の兄弟は、とても仲がよかったらしい。
皆が近くに住んでいたせいもあった。
「年下のいとこの世話をよくやったものよ。
あの頃は女の子ばかりさせられるから、不満だらけだったけど。
まあ、考えてみれば、生きているお人形さんで遊んでいたようなものね。
みんなかわいかったけれど、最後に生まれたいとこだけは、とんでもない男の子だったの。
三つ編みしている私の髪を、おんぶされているくせに引っ張るのよ。
痛いったらありゃしない。
右の方向に行きたいときは右のおさげを引っ張るの。
それに気が付いたのは私。
子どもって小さくても、こんなことがわかるんだって驚いたわ。
かんしゃくもちでね、機嫌が悪いとそっくり返るから大変。
一緒に転んじゃった子もいたわ。
ふたりとも怪我もしなかったけどね。
いとこたちはみんないやなんだけど、おばさんから頼まれたらやらないわけにはいかない。
上手に逃げる子もいて、あたしが文句言ったら、一番上のいとこのお姉さんがいいことを考えたのよ。
賢いお姉さんでね、あの子の世話は当番制にしようって。
1ヶ月に何回というなら、まあ、あきらめられるわよ。
小学生だったけれど、ああやってあたしたちは人生を学んだようなものよ。
いやなことも引き受けなくちゃねって。
お父さんが医者をやっている頃、子育てで悩んでいるお母さんをよく見たわ。
そんな時、あたしは、よくその従弟の話をしてやったものよ。
みんな、げらげら笑ってね」
「その従弟さん、大きくなっても、やっぱりいたずらだったんですか?」
「そうなのよ。あたしはずいぶん年上だからよかったけどね。
近い年のいとこなんかは、困らされたみたいよ。
あたしの母も、妹は大変だって同情してたもの。
でもね、今も面白い子よ。
ずいぶん長いこと会っていないけど。
あの子、日本にいるのかしら」

おばあさんの話は、飛び跳ねるような元気なものが多かった。
一方、おじいさんのほうは、まるで小説を読んでもらっているような気がした。
おじいさんが話すと、情景が目に浮かぶようなのだ。
亡くなった患者さんのこと、研修医時代の話。
印象深かったのは、おじいさんの友人の話だった。
大きな造り酒屋に幼いころ養子にもらわれた。
豊かな家で大切に育てられたのだが、幸せは長くは続かなかった。
造り酒屋は時代に乗れず、借金が増え、養父は自殺、友人は養母と必死に働く毎日となった。
さまざまな仕事の後に旅館を始め、それがあたった。
あんなにおじいさんの話を真剣に聞いたはずなのに、どうして詳しく憶えていないのかと自分でも悔しくなる。
おじいさんと、その友人がどこで知り合ったのか、幼馴染だったのだろうか。
友人は早くに病気を患い、おじいさんが見舞いに行ったとき、その友人は病床で絵を描いていた。
スケッチブックに色鉛筆で、何枚も描いていたという。
「僕は本当は画家になりたかったんだよ。本当の両親はいったい何の仕事をしていたんだろうと思うときがある。
僕がこんなに絵が好きだということは、もしかしたら、親父は画家だったかもしれない。
そんなことを想像しては楽しんでいるよ」
ふり返ると、おじいさんもおばあさんも見事な語り手だった。
私の中に、経験をしたわけでもなく、本で知ったわけでもない色々な話がたまっている。

おじいさんもおばあさんも、急に話を始めるくせがあった。
お茶を飲みながら、昨夜の天気のことを言ったそのすぐ後に、何十年前のことが自然に出てくる。
最初はとまどったが、私もいつの間にか時間を飛び越える癖がついてしまった。
もちろん、監督の仕事もどうにかこなした。
1年後には、後任も見つけた。
おばあさんが昔、子守をした従弟の息子だった。
おかげで責任はなくなったのだが、その後も手伝った。
連絡を取り、お願いをしているうちに、彼と私は仲良くなってしまったのだ。
まさか、自分が結婚を考えるようになるなんて思いもしなかった。
おじいさんとおばあさんを利用したような気がして、私はふたりに謝った。
「うまくいくんじゃないかと思っていた」と、おじいさんは珍しく嬉しそうな顔をした。
「あたしの従弟の子よ」
と、おばあさんは自慢そうに言った。
「お前はいつも文句ばっかりいってたじゃないか。
私のほうが、あいつとは仲良しだ」
と、おじいさんは従弟の肩をもった。
私の結婚を喜んでいるのかどうか、結局はわからなかったが、それでよかったに違いない。
その後、おばあさんは亡くなった。
全部がうまくいったわけではないが、だいたい、おばあさんが考えていたことはできたと私は思う。
おばあさんが亡くなった時、おじいさんは「まあ、これでいいんじゃなかったかな」と言ってくれたからだ。
おじいさんは、おばあさんの従弟と一緒に老人ホームに入り、仲良く5年間過ごした。
従弟のほうは、今も元気で老人ホームにいる。
私の舅にあたるから、私も夫と一緒に会いに行く。
舅はおじいさんが聞かせてくれたような、心に響く話はしない。
ただ、いつも冗談を言い、私を笑わせている。
舅が冗談を言わなくなり、ニヒルな老人になったらかなり素敵に見えるのだが、それはそれで面白くないに違いない。
おじいさんとおばあさんが亡くなってからは、私はあの雑木林を歩いたことがない。
ふたりの生活のために、夫があの土地を売ったからだ。
今は、家が数軒立ち並んでいるに違いない。
林はないかもしれないが、今も誰かが弾くピアノの音が聞こえているような気がする。