Novel(百物語)
02ten

透視力

刑事と新聞記者、私はそれぞれひとりだけ知っている。
友人がその仕事を選んだだけで、そういう職業の人と私がかかわりを持っているわけではない。
1年に一度だけ、六本木の店で3人で会うのが長年の習慣になっていた。
有名な店だ。
その上、高い。
さえない中年男性が3人、ぼそぼそとしゃべっているのは、店の雰囲気と全く合っていない。
しかし、六本木で迷わずに行ける店と言ったら、私たちはそこしか知らないのだ。
学生時代、私たちはバンドを組んでその店でデビューした。
バンドと言っても、少しだけギターが弾けるといった程度のものだった。
彼らと私、そしてのちに私と結婚した佐智子の4人だ。
あのころ、その店は生演奏が売りのふつうの喫茶店だった。
客がほとんどいない時間帯を、私たち学生に場所を貸してくれたというだけだ。
その店が、のちに老舗のクラブになるとは思ってもいなかった。
卒業するころになると、私たちのバンドはそこそこ人気があったが、それだけのことだった。
学生時代の思い出でしかない。
今ではあの店で演奏したなんて、恥ずかしくて誰にも言えない。
私たちが集まる日は、妻の命日だった。
二人とも私に比べかなり忙しい身だが、なぜかその夜だけはいつも大丈夫だった。
「お前なんかより、俺たちがさっちゃんの思い出を大切にしているからだ」
刑事は真面目な顔で言う。
その通りで、私よりふたりのほうが妻とは仲がよかった。
それなら、佐智子と結婚すればよかったはずだ。
ところがなぜか、二人ともさっさと別の女性と結婚し、残った私たちが一緒になった。
妻の命日とはいうものの、乾杯に妻の名前を使うだけで、いつも他愛ない話で終始する。

その日は珍しく、二人にとっては商売柄といえそうな話題が出た。
関係者たちの口の端に上る女がいるらしい。
「お前のような一般人には、まだ知られていないんだけどな。下手したら、フライングで週刊誌が出すかもしれない」
記者が言った。
「ネットにはうんざりするくらい出ているよ」
刑事がぼそりと言った。
ひとりの女性が疑われているという。
夫殺しとまではいわないが、詐欺の疑いをかけられているという。
再婚した先の子どもたちが、残された財産が少なすぎると訴えているらしい。
彼女の最初の夫や再婚した夫の亡くなりかたは、特に怪しくはなかった。
ただ、あたかも死ぬ日がわかっていたかのように、その日までにきれいに財産がなくなっているというのだ。
彼女が長年連れ添った最初の夫が死んだとき、少しはあったはずの財産が全く無くなっていた。
社会人として立派に育った子どもたちは、彼女の計画性のなさを怒った。
年金が少しはあるとはいえ、どうして財産を使い尽くす必要があるのか。
夫が亡くなった後、老後、子どもたちに頼るつもりでいたのかと、実の子どもたちは母親を叱った。
しかし、彼女は子どもたちを頼ることもなく、アルバイトをし、つましく生活していた。
自分たちを頼るわけではないと知ると、実の子どもたちはそれ以上母親を責めることはなかった。
実際、子どもたちは父親の財産を正確には知らなかった。
その後、彼女は、ある男と再婚した。
最初の夫よりは金持ちだった。
立派な持ち家もあった。
男は彼女同様、連れ合いを亡くし、社会人になっている子どもたちがいた。
子どもたちに気を配ったのだろうか、ふたりは再婚と言っても籍は入れていない。
彼女は、籍を入れられない事情を理解し、事実婚を受け入れた。
再婚同士の夫婦は仲良く暮らした。
子どもたちは父親の面倒を見る心配からも解放され、女性ともうまくいっていたらしい。
といっても、夫婦と男の子どもたちとはほとんど交流はなかった。
10数年後に男が死んだ。
私は相続人ではありませんからと、男の子どもたちは女から通帳を手渡された。
残高は数十万円しかない。
子どもたちは驚いた。
といっても、こちらの子どもたちもまた、父親が実際にどのくらい財産があったかを知っていたわけではない。
長年、一流企業に勤めていたのだから、このくらいは持っているだろうと推測していたに過ぎない。
あんたはどこに親父の金を隠したんだと、男の子どもたちは女に詰め寄った。
それに対し、女は困ったような様子で穏やかに説明した。
「なぜ、私がお父さんのお金を隠さなくてはいけないのでしょう。
みなさんにお渡しできるのはこれしかないのです」という。
「このおうちはあなたがたのものですから、好きに処分してください。
1ヶ月待っていただけたら、私は出ていきますからご心配には及びません。
あなたがたのお父さんと暮らして、私も幸せでした。
また、私はひとりの暮らしに戻ります」
と、男の子どもたちから見ると、女狐そのものの憎たらしさなのだ。
調べていくと、最初の夫の時にも通帳はゼロに近かったというではないか。
少しは遺産が入るだろうとあてにしていた子どもたちは、義理の母親に疑いを抱いた。
弁護士を通じて彼女を訴えた。
そのあたりから、ふたりの男を殺した悪女という噂が立ち始めた。
近ごろよくある話だ。
フリーの記者が勇んで調べ始めたが、何も出てこない。
二人の夫の死亡理由は、どこもおかしいところはなかった。
医者も証言している。
しかし、亡くなった時点で財産がほとんどないということは奇妙だった。
計算していたとしか思えない。
そうでなければ、一体どうやってそのあとのひとりの老後を過ごす計画だったのか。
一人目の夫の時のように、また、つましく生きていくつもりなのか。
調べれば調べるほど、彼女は潔白だった。
二人で楽しんだ海外旅行も、クルーズの旅も、1回くらいなら、一生に一度は、と退職した夫婦ならありそうなことだった。
彼女が疲れ始めているのを夫が心配し、月に2回の掃除や、弁当の宅配などを利用しているのも、その年齢なら当然とも言えた。
どこにも怪しいところがない。
しかし、子どもたちは、数十万円の残金の入った通帳を渡され、ああそうですか、
ありがとうございましたと引き下がるわけにはいかなかった。
弁護士の尻を叩いてみてもだめなら、と今度は警察に持ち込んだ。
彼女はまた以前のように、年金とアルバイト生活でつましく暮らしている。
約束通り、1カ月以内に再婚先の家から出ていた。
その際も、自分で掃除をし、誰も頼らずに引っ越しをすませている。
結婚相談所で三度目の男を探している気配もない。
二度目の夫との出会いは、アルバイト先で知り合ったのがきっかけだった。
刑事や記者が訪ねてきても、彼女は迷惑そうな顔もせず、きちんと家に上げてお茶を入れてくれた。
「あんなに丁寧にお茶をいれてもらったのは、本当に久しぶりだったよ。
俺ってペットボトルのお茶しか飲んでいないんだよね。
お疲れさまでございますって言われて、すごい女狐だって思っていたのがだんだん恥ずかしくなってきた」
そんなことを口にし、彼女の味方に立つ者も出てきた。
それがかえって彼女には困ったことになった。
実の子どもはともかくとして、二度目の結婚相手の子どもたちは嬉しくなかった。
刑事や記者をたぶらかしていると、事を大きくしてしまっているらしい。
「俺はね、彼女が殺人を犯しているとは思わないよ。
ただね、なぜ、ぴったり使い切ることができるのか、それが不思議でならないんだ」
私の友人の新聞記者はバーボンを飲みながらそう言った。
「癌で余命宣告されているわけでもない。
それなのに、どうしてそんなことができるんだい?」
「妙な支出はないのかい?」
つい、私も聞いてしまった。
「うん、それがないんだよ。
彼女の隠し口座もない。
二度目の結婚生活では、小さなリフォームをしている。
立派な家だが、かなり古いからね。
上等な車を処分してタクシーを使うようになったのも、今時の免許返納の流れから言えば当然だろう。
逆に車を維持するよりは、年間計算では安くなっているはずだ。
これが怪しいと思った出費は、孫の入学祝や結婚祝いなんだよな。
子どものほうがずるくてね。
もらっていることのほうは言わないんだよ」
「あれは事件じゃないよ」
刑事がはっきりと言った。
「たとえ隠し口座があったとしても、いいじゃないか。
俺のかみさんだってやってるさ、そのくらい。
それすらないから、だからおかしいというやつもいるけれど、俺はそうは思わない。
あの女性は、なにかが見えるんじゃないかな」
刑事からそんな言葉が出てくるとは思いもしなかった。
私と記者は思わず笑ったが、刑事は笑ってはいなかった。
「俺もね、その話を聞いて、こっそり彼女を見に行ったことがあるんだよ。
バスで通勤しているから、様子を見ることはできる。
何度か見ていて、不思議な人だと思った。
つまり、なんというか当たり前のことができる人なんだよ。
年をとっている人がいたら、バス停で並んでいても列を譲る。
雨が降っていると、狭い道を通るとき、相手にぶつからないように傘を傾けるんだよね。
今時、珍しい人かもしれない。
つまりね、自分のために残すことよりも、夫と幸せに生きることを選ぶんだろうね。
そのとき、相手が気持ちよく暮らせることを最優先してしまうんじゃないかな。
これをとっておいて、自分だけが楽しもうとか思わないんだと思う。
もちろん、借金をするわけじゃない。
出費は分相応で、このくらいなら大丈夫という範囲だよ。
それが達人の域に達すると、ぴったりと勘定があうようになるんじゃないだろうか。
自分が生活するには、少し足りないかもしれないけれどね。
つまり、自分はまた、つましく生きていく覚悟がなくっちゃいけない。
今時、そういう生き方は流行らないんだろうね。
なにより、下手すると疑われてしまうんだから寂しいね」
「たしかにな、みんなが自分だけが幸福になることばかり考えていたら、それとは違う生き方をする人間は怪しく見えるね」
「キリストか」
記者は重々しく会話を締めた。
「ちゃっかりまとめるな。当たり前のことが当たり前に見えなくなっただけさ」
刑事が笑った。
「なあ、俺がなんでこんなことを口にしたと思う?」
記者が言った。
「気まぐれだろ。仕事のこと話すなんて珍しいなと思っただけだ」
私は答え、残っていた酒を口にした。
そう言いながらも、うすうすわかってはいた。

佐智子が亡くなってもう長い月日が経った。
彼女は出産時に子供といっしょに私の元から消えた。
ひとり暮らしが長くなり、佐智子との思い出はもしかすると、この一年に一度の集まりが一番濃いかもしれない。
だからこそ、高い値段を払って、ふたりの友人は私に付き合ってくれている。
以前は、自分はどんな家族を作ったのだろうと想像することもあった。
だが、今はそういう妄想も消えた。
ひとりの身軽さで、海外赴任も長かった。
国内もあちこち行った。
仕事もしやすかったとも言える。
ひとり暮らしの良さもあるのだ。
「世の中には素晴らしい女性もいるってことさ。
その女性と再婚して死んだ男が俺はうらやましいよ」
記者が言った。
「まったくだよな。
俺には最上の妻がいるから、その幸せとは縁がない。
お前だけだよ、チャンスがあるのは。
さっちゃんは喜ぶと思うよ」
刑事が言った。
「わかった、ありがとう」
私はそう言い、今日の支払いは自分がしなくてはならない羽目になったなと考えていた。
実は、今日、私は社長になった。