Novel(百物語)
02ten

コブシの木

孫のひとりから、絵葉書が届いた。
「この絵はぼくがかきました。
入選して、国立科学博物館の絵ハガキになりました。
おばあちゃんに送ります」
私の中では、この孫の記憶は小学校の低学年で止まっている。
たしか、この孫がシンカンコンという言葉を私たちに残してくれたはずだ。
息子夫婦が幼い子どもを連れ、遊びに来てくれたことがあった。
孫が口にする「シンカンコン」が夫も私も何のことか全くわからなかった。
「この子、さしすせそがうまく言えなくて」
若い母親が謝るように横からヒントをくれた。
新幹線のことだと知り、私たち夫婦は久しぶりに大笑いした。
シンカンコンは、それから、夫と私の合言葉になった。
「明日、俺、シンカンコンだから」
出張の時、夫はよくこの言葉を使ったものだった。
外でサッカーばかりしていると聞いていたが、こんなに絵がうまいとは知らなかった。
葉脈がくっきり見える葉や虫に食われた葉を孫が丁寧に描いていることに私は感心した。
お菓子の豆板のように、薄赤い実がくっついている。
それにしても、孫が描いたこの木はなんだろう。
葉書を裏返し、仔細に眺めると、宛名と文面の間に、何か小さい文字がある。
私の視力では、老眼鏡でも読むことは不可能だ。
よっこらしょと私は立ち上がり、大きな虫眼鏡を取りに行った。
虫眼鏡、爪切り、はさみ、バンドエイド、その他すぐに必要なものは、布張りの箱に入れて、テーブルのうえにある。
そういえば、この箱は、孫の誰かが作ってくれたものだった。
あたかも探偵のように葉書を調べると、植物画コンクール 中学生・高校生の部 文部科学大臣賞とある。
その下に、孫の名前と中学校名が書いてあり、中学1年とあった。
そうか、もう中学生になったのかと、私は虫眼鏡をテーブルに置いた。
大きくて立派なせいか、この虫眼鏡はけっこう重い。
誕生日祝にと、ずいぶん前に息子がこれを送ってくれたときは、ちっとも嬉しくなかった。
こちらを年寄り扱いして、と思ったものだったが、今は必需品だ。
今年の年賀状の絵柄はこれにしようかなと一瞬思ったが、やめた。
子どもや孫の自慢は、相手にとっては面白くもなんともない。
もう一度、虫眼鏡を持ち上げて、小さな字を追う。
木の名前も書いてあった。
コブシだった。
思わず「へえ」と声が出た。
コブシと言えば、早春に白い花をつける木としか知らなかった。
こんな面白い実がなるとは知らなかった。
あの木はコブシだったのかと、数年前の夏の日がよみがえった。

孫のひとりから、遊びに行きますと手紙が届いた。
祖父母がメールを使えないのを知っているからだろう。
友人3人でレンタカーを借り、夏休みに遠出をするらしい。
立ち寄りたいが、この日はご都合がつきますか、という趣旨の文章が書いてある。
敬語と普通の言葉が混在しているのが、愛嬌があった。
かなり苦労して書いたようだ。
いつでも暇です、歓迎しますと返信の葉書を送った。
夫も孫娘が来るのを楽しみにしていたが、体調を崩し、入院した。
以前に患った病気が再発したためだった。
やってきた孫は、夫の入院を驚き、
「おばあちゃん、お見舞いに行く」と言ってくれた。
孫は6人いる。
名前を言われても、夫も私もすぐにはわからない。
長男の子どもか、長女のこどもか、末っ子の子どもかというくらいだ。
以前会った時とは、見間違うほどに成長しているから、わからないのも仕方がない。
「おじいちゃん、あたしはさきちゃんじゃないってば」
すぐに名前を間違える夫を、孫は笑って訂正する。
病院で、孫は昨日見てきた屋外美術館の話を私たちにしてくれた。
写してきたばかりの写真を、小さなスマホの画面で熱心に見せてくれる。
夫はベッドから起き上がり、三人、顔を近づけて眺めた。
私にはよくわからない現代芸術が、芝生の中に点在している。
「これは何かね」
夫が聞く。
「なんだろう。あたしもよくわからない」
孫は素直に答える。
「でもね、おじいちゃん、見ているとなんだかおもしろいんだよ」
「ほら、これもいいでしょ」
最後に孫が写したのは、美術館の入り口に向かう並木道だった。
孫は、木にぶら下がっている赤い実が気に入ったらしい。
それは何とも不思議な実で、黒ずんだ赤い実が、人の握りこぶしの形でくっついている。
「そう?これがおもしろいの?」
私が首をかしげてつぶやくと、孫は色々な角度から撮っているらしく、その実の写真を何枚も見せてくれた。
夫と私には、孫がその木が気に入ったことだけはよくわかった。
「何という木なの?」
私が聞くと、孫は急に夢から覚めたような顔をして、
「ごめん、わからない」と答えた。
なんだか頼りない子だと思いつつも、私たち夫婦は見舞いに来てくれたことに感謝した。
「おじいちゃん、元気になってね」
と言って手を振って帰る19歳の女の子は、私たちにとっては、まだまだシンカンコンに近かった。

夫は割合早く退院したが、その翌年に体調が悪化して亡くなった。
子どもたちは私を心配してくれてはいるが、まだどうにかひとり暮らしはできている。
しかし、そろそろ、身じまいを考える時が来ているようだ。
シンカンコンと言っていた孫が見事な植物画を描けるようになるのとはちょうど反対の流れに、私は乗っているのだろうから。
夫の葬儀で顔を合わせた孫たちは、あれからまた背丈が伸びているにちがいない。
私は虫眼鏡を元に戻す。
葉書は仏壇に供えた。
「シンカンコンがねえ」
そういって、チンと鳴らした。
この家をたたむ前に、一度、コブシの並木道を見に行こうと思いついた。
県内とはいえ、少し遠い場所にあり、私たち夫婦には縁のない美術館だった。
「見ているとなんだかおもしろいよ」と言った孫の言葉を思い出す。
もう一度、絵葉書を仏壇から取り出して眺めた。
コブシのくっついた実は、私たち夫婦の孫のようにも見えてくる。
息子の孫がどの子か、娘の孫がどの子かわからない。
ほんと、見ているとおもしろい。