Novel(百物語)
02ten

道中ふたり

私が幼いころ育った町は、とても小さかった。
小学生も高学年なら、町をひとめぐりすることはわけもなかったに違いない。
4つの年に引っ越してしまったから、私はその町のことをほとんど知らない。
憶えているのは、祖母とふたりで歩いた道だ。
祖母は私の家にやってくると、いつも私の手を引いて関所跡と神社に向かった。
T字路の突当りに神社はあった。
道路から竹林の奥を見ると、手前の大きな鳥居から始まって、いくつもの鳥居が奥に連なって見えた。
神社の赤い鳥居はいつ見てもつややかで、うっそうと生い茂った竹林の中にあって、はっとするくらいきれいだった。
かぐや姫の着物は紅色だったと信じ込んだのは、あの鳥居のせいだろう。
拝殿で拝むと、次は関所跡に向かう。
関所跡と言っても、石碑が建っているだけだ。
何も残ってはおらず、遊び道具のない小さな公園のようなところだった。
神社を出ると、後は祖母は饒舌になる。
拝んだせいだろうか。
関所跡までの行きすがら、祖母は私にはむつかしいことを熱心に教えてくれる。
「昔はね、関所を越えるのは大変なことだったんだよ」と言われても、私にわかるはずがない。
関所自体がわかっていないのだから、無理な話だ。
ここにもあそこにも小さな道があるのに通れないことが、私は不思議だった。
ただ、「おねしょ」に語感が近い「せきしょ」という言葉は頭に残った。
「入り鉄砲に出女」などは、祖母が何を話しているのかさえ、さっぱりわからなかった。
勇ましい語感だけをうっすら憶えていた。
中学生になり、社会の時間にこの言葉を聞き、なるほどと初めて理解した。
あの頃、祖母はいったい何を孫に話したかったのだろう。
「あんたがいくつになるまで、あたしは生きられるのかね」と祖母は口癖のように言うのだった。
あれから60年が過ぎ、祖母の年に近くなると、ふと気づくことがある。
祖母は夫を亡くし、年の離れた弟までも亡くしたばかりだったのだ。
立派な大人のように見えた祖母も、身近になりつつある死を、まだ受け止めきれなかったのだろう。
「慣れていかなくちゃ、ね」と独り言をつぶやく祖母の姿は、過去の思い出なのか、自分が勝手に作った映像なのか、定かではない。
年寄りと幼い子どもの二人連れは、歩みも遅い。
どちらが面倒を見ているのだろう。
ふたりで、関所跡の敷地にある桜や梅の花が咲いていればそれを眺め、木々が紅葉していれば落ち葉を拾った。
散歩に出るのは午後だから、学校帰りの小学生が通り過ぎることもあった。
「こんにちは」と声をかける子どももいた。
祖母も律儀に挨拶を交わし、私は小学生に手を振った。
「いくつ?」と聞いてくれる子もいた。
鬼ごっこをしてくれることもあり、私は関所に小学生が来るのが待ち遠しかった。

散歩とはいうものの、母親に叱られている私を救い出すために家を出ることもあった。
私は幼いころから、頑固な一面があった。
周りが何を言おうが、自分が気に入らないと受け付けない。
母親が出してくれた服が気に入らなければ、着ようとはしない。
朝からそんないさかいが起こる。
母は譲歩しているが、心のどこかで苛立っている。
他のことでまた私が頑固になると、結局、母の怒りは爆発する。
「どうしてこんなにやりづらい子なんだろう」
母はため息をついて私を見た。
3人の子どもを育ててきた母は、それなりに育児に自信もあったことだろう。
それなのに、4番目の私のせいで、母は初心者に戻ったかのようだった。
私のせいでいらいらしているときに祖母が訪ねてくれると、母はとても喜んだ。
私を祖母に押し付けて、いそいそと家事にいそしむ。
祖母は母の愚痴を聞き、それでも娘に「子どもの前でそんなことは口にするものではないよ」と釘を刺した。
「大変だったね」と祖母から慰められた母はどうにか機嫌が戻り、「ほんとね、まったく私も大人げないわよね」と反省する。
知らん顔をしながらも、私はちゃんと二人の会話を聞いていた。
「それじゃ、あそこまで行くとしますか」
そんな口調で、祖母が私がらみのいざこざを切り上げてくれるのがありがたかった。
道すがらの、祖母のむつかしい話を私が一応は聞いていたのは、そんな事情もあった。
「あぶれもの道中としますかね」
祖母が口にする言葉を、その時私が理解していたら、さぞかし面白かったことだろう。
あのころ分からなかった言葉が、長い年月を経て、あぶり出しの文字のように、本当の意味が浮き上がってくる。