Novel(百物語)
02ten

家族

シューマイというと、今でもあの光景が思い出される。
小学三年生の夏休みだった。
両親が離婚し、母と僕は母の実家に行くところだった。
長崎から鹿児島本線に乗り換えるその駅は、シューマイが有名らしい。
もちろん、当時の僕がそんなことを知るはずもない。
母が手渡してくれたシューマイ弁当を、早く食べたいという気持ちだけだった。
朝ごはんを食べていなかったから、ひどく空腹だったのだ。
ところが、弁当を包んである紐を間違った方向にひっぱったらしく、どうやっても紐をほどくことができない。
「おかあさん、開けて」
そう頼むと、煙草を吸っていた母はめんどうなことを、という表情をした。
あの当時は、列車の中で大人は煙草を吸っていた。
すべてがずいぶん昔のことのように思えてくる。
窓の下にとりつけてある灰皿で煙草をもみ消し、母はそれでもどうにか紐をほどいてくれた。
「おかあさん、食べないの?」
聞いても、母は何も答えない。
顔はこちらに向いていても、見ていないように感じてしまう。
母の瞳の色が薄すぎて、焦点がどこかわからないからだ。
日本人とは思えない顔立ちの母を、周りの男が盗み見しているのを僕は気付いていた。
物ごころついたころから感じている居心地の悪さだが、さすがに十年も母の子どもとして生きているから、どうにか慣れている。
僕は全くの日本人だ。
母だってそうなのだ。
なのに、いったいなぜ、母はハーフどころか、まったく日本人とは思えないような顔立ちになってしまったのだろう。
父の機嫌のいい時は、ハシバミ色の瞳などと自慢していたのに、結局は別れてしまった。
夏休みに入る時は、まさか離婚になるとは思ってもいなかったから、僕はクラスの誰にも別れを言わずに長崎から出ていくことになってしまった。
僕はシューマイ弁当を食べ終わり、まだ動いてはいない列車の窓越しに駅の構内を眺めた。
これから向かう、まだ一度も行ったことのない母の故郷を想像した。
空腹が収まると、不安は消え、穏やかな気持ちになった。
どうにかなるさと僕は思った。
母は僕の様子をずっと眺めていたらしい。
いつのまにか、また煙草を吸っていた。
満足そうな僕の顔を見ると、「決めた」とひとこと言い、席を立った。
「降りるわよ」
僕は驚きながらも、ランドセルを背負い、母の後に従った。
こういう時に、母に理由をたずねても、何にもならない。
いつもそうだった。
ついていけばどうにかなる。
友だちとさよならも言えなかったのだから、僕にとってはどこに行こうが同じだった。
喧嘩ばかりする両親だったが、先の見通しも立てず生きていくことに関しては、似た者夫婦だった。
おかげで、僕はいい思いもしたし、とんでもない思いもした。
一輪車に乗るのに似ていて、バランスをとっていればどうにかなる。
もう大丈夫だと思いさえしなければ、それはそれで楽しい生活もあるのだ。
結局、母は実家に戻らず、東京へ向かった。
結婚前に生活していた場所だ。
かつての仕事仲間という友人のアパートに同居させてもらい、僕の二学期は始まった。

母は英語が少しできるのを活かして、海外からやってくる俳優やミュージシャンの怪しげな通訳をしていた。
その後、指定のクラブに彼らを連れて行く。
どこも東京で有名なクラブだから、怒る客はいなかった。
通訳というよりは、外国人をクラブに連れて行くというのが本来の仕事だったにちがいない。
母は日常でも、慌てるということが少なかったから、こういった仕事には向いていたのかもしれない。
長崎でも似たような仕事していたから、慣れていたということもある。
母のセリフで今でも憶えているのはふたつある。
どちらも似たような意味だった。
こちらが、何かに失敗して泣いたり、あるいは強い子にやられて悔しい思いをしているときに使う。
母は煙草をくゆらせながら、低い声で「殺されるわけじゃあるまいし」と言う。
直接説教しているわけではないのだが、そのセリフを耳にすると、幼い僕でも悔しかった。
次は負けるものか、と知恵を出した。
「死ぬわけでもあるまいし」とも、母は言った。
母は僕を叱ることは少なかったが、叱られるよりも嫌だった。
幼稚園の頃の僕は、母の仕事をまだ理解していなかった。
いつもは家にいるのに、イベントがあると全く家に帰ってこない。
そういうときは、父親が僕の面倒をみていた。
この人もまた母とは違うものの、僕を大人びた子にさせたひとりだ。
安心して頼ると、痛い目にあう。
本当の父親なのだが、遊び相手くらいにしか僕を見ていない。
自分の気分がいい時は最高の男だが、感情が爆発すると、足許に幼い子どもがいるなんてことは簡単に忘れる。
大人もよく見極めないと危ない、僕は十歳くらいにはそう思うようになっていた。
母が英語を勉強したのは、アメリカ人に間違われるせいだった。
長崎でも、母に話しかける人は、最初必ず英語を使う。
若い頃住んでいた東京でもそうだったらしい。
必要に迫られて、あるいは嘘をつき通したくて、母は英語をどうにかあやつり、相手や自分ををだまして生きていた。
それでも僕の本当の父親よりは生活力があったのだから、えらいと思っている。

僕が新しい学校で、まだ三年生の終業式を迎えないうちに、母は再婚した。
母にとっても僕にとっても、幸運な再婚だった。
僕たち二人にとって、新しい父は良すぎる人だと最初から僕は思っていた。
もちろん、僕は母が好きだったから、テレビや本にあるような幸せな家庭が生まれたのは嬉しかった。
どんな仕事をしているのかよくわからなかった僕の父親とちがい、新しい父は林業の技官だった。
技官という仕事を僕は初めて知ったが、真面目で優しくて何でも知っている人だった。
連れ子の僕を可愛がってくれる。
毎日かならず仕事に行き、疲れて帰って来ても怒らない。
世の中にはこういう大人がいることを、僕は実感として知った。
僕や母がおいしそうに食べるのを、にこにこ笑って見ている。
一緒に散歩に行き、キャッチボールをして、買い物にも行った。
自分の洋服よりも僕の服を買い、母の荷物を持ってくれた。
本屋さんに連れて行ってくれて、僕が読みたかった本を買ってくれた。
なんだかだまされているように思えるくらい、幸せだった。
こんなに幸せなことばかりが長く続くはずがない、とその頃の僕は思い、不安になるときすらあった。
新しい父は僕がびっくりするくらい、母を大切にした。
母も嬉しそうで、少しだけ照れていた。
しかし、やはり母らしく、煙草も止めず、長崎の頃と大して変わりはなかった。
母の英語がもっとうまくなるようにと、父は家で映画を見るようになった。
テレビの前に座布団を二枚敷いて、ふたりで仲良く見ている。
絵本に出てくるおじいさんとおばあさんのようだ。
ソファでテレビを見るのが、日本のどこでも普通になっていた。
正座する両親が洋画の中身とはかけ離れているように感じ、僕にはおかしかった。
時々、母は父によりかかるような姿勢をする。
すると、父は母の腰を抱いたり、あるいは母の手をとって、自分の膝にのせた。
のちに、妹が両親の背中に抱きついたりするのを、僕はすこしだけ羨ましく思った。
両親のあのふたりだけの世界に、僕はどうしても子どもっぽく侵入することはできなかった。
残念だったが、母が穏やかな表情で父と映画を見ている光景は、嫌ではなかった。
それまでも僕は一応勉強はできていたが、父をがっかりさせたくなくて、一生懸命勉強するようになった。
翌年、妹が生まれた。
両親は喜んだが、僕だって嬉しかった。
母には全く似ず、でもかわいい日本の女の子だ。
父は妹を可愛がったが、父が一番好きなのは母だった。
父と母は全く違うのに、なぜあんなに仲がいいのか、僕には不思議だった。
どうやって知り合ったのか、母は教えてくれなかった。
しつこく聞いても、笑って「お見合い」と言うだけだった。
嘘に違いない。
母はなかなか本当のことを言わない人だったから。

母は父のおかげで、英語がかなりうまくなっていた。
しかし、通訳の仕事は減った。
父は母の仕事を邪魔したわけではなく、応援していたくらいだ。
父の仕事は、転勤が多い職種だった。
その上、赴任する先は、外国人どころか人間自体が少ない山の中だった。
僕が五年生になると、東京暮らしは終わった。
それ以降は、見えるものは山の稜線と木ばかりの生活になった。
中学を卒業するまで、何回引っ越ししたかわからない。
通った学校は小規模校ばかりで、学校全員でも十人を切ることはざらだった。
あまりに何度も引っ越しをしたから、ひとつひとつの学校に思い出は少ない。
嫌いだったわけではない。
山や川の自然と学校は、僕にとって同じ程度のものになってしまったのだ。
引っ越しのたび、我が家の荷物の少なさにいつも周囲が驚いた。
衣類と本と雑貨、それに布団。
どれも最低限。
布団が足りなくて、オーバーを掛けて寝たこともある。
すべて、段ボール代わりの木の箱に、入れてある。
木の箱は、中身を出すと組み合わせて釘で止め、棚になる。
足りない物は、地元で買い足すというのが父の流儀だった。
もともと、母も似たようなタイプだった。
長崎から東京に行った時、母は、僕の教科書まで置いていった。
「向こうじゃ、きっと教科書はちがうわよ」
そう言った母の声が、今も僕の耳に残っている。
ランドセルに入れたのは、筆箱と下敷と下着と少しの衣服だった。
母が僕や妹を可愛がってくれたのは、言葉に出さなくてもわかっている。
しかし、母は、かなり大切なものもさらっと置いていきそうなところがあった。

山の生活の中で、妙に憶えていることがある。
トンネルをいくつも通り抜け、ようやくたどりついた駅で、僕たちはしばらく休んでいた。
これから住む官舎は、駅からさほど遠くないらしい。
遠くないといっても、子どもの足で二時間程度の場所なのだが、そのころには、僕もその距離がたいして遠いとは思わなくなっていた。
それまで母と手をつないでいた妹は、父がおんぶして歩いて行くことになった。
駅舎は古い木造で、百年近く経っていると父が教えてくれた。
母は身軽になったせいか、駅の周りをぶらぶら歩いている。
車が一台止まり、バックパッカーの若者たちが降りてきた。
みな金髪で、背が高い。
母を見ると、話しかけてきた。
また間違われていると思いながら、僕は遠くから見ていた。
若者たちはしばらく母と話をし、駅舎に近づいてくる。
女の子のひとりが、母に手を振った。
母が何か言ったようだが、英語だったから僕には聞き取れなかった。
それから、母は石碑のようなものに近づき、顔を近づけ、熱心に読んでいた。
石碑の後ろから、急にひとりの男が現れた。
母の腕をひっぱり、「出ていけ」と大声で怒鳴った。
思わず僕は父を見た。すでに父は母のもとに走っている。
妹の首が、がくんがくんと父の背中で揺れている。
駅舎にいたはずの若者は、いつのまにかいなくなっていた。
僕は父のあとを追いかけた。
「こんなところまでやられたんだ、アメリカに。
おまえなんか出ていけ」
男はまだ母に怒鳴っていた。
近くで見ると、かなり年配の男だった。
母は落ち着いた様子で立っている。
それが男には気に食わない。
なおのこと、感情が高ぶっている。
母は相手が怖くないのだろうか、と僕は思った。
「ねえ、煙草持っている?二本くれる?」
相手が息を切らした瞬間、母は静かにそう言った。
「ちょっと吸いたいんだけど。もう一本はトンネル事故で犠牲になった人たちに手向けたいのよ」
男は走ってきた父と僕を見て、妙な顔をした。
ぶつぶつと何か言いながら、行ってしまった。
この話はまだ続きがあった。
引っ越しして、まだ1ヶ月もたたない頃のことだ。
休みなのに仕事だと言う父に、ひまだった僕はついて行った。
近くの町で県のイベントがあったらしく、町長さんが父に会いに来るという。
町長さんたちは、車二台でやってきた。
事務所の前庭で遊んでいた僕は、降りてきた中に、あの男がいるのに気付いた。
急に父の様子が気になり、そっと事務所のほうを観察した。
休みの日で、所員は誰もいなかった。
父は客に茶を出し、話をしているようすだった。
しばらくすると、賑やかな声が聞え、客たちが立ちあがっている。
町長さんが事務所から出てきた。
「息子さんですか?」とにこにこしながら父に言い、僕の頭をなでた。
父も控えめに話をしている。
町長さんが車に乗った瞬間、父はあの男のそばにすっと立った。
「あれは私の妻です。あなた以上に日本人で、日本人の美徳を持っています。なにか言いたいこと、ありますか」
父の低い声が僕には聞えた。
男は妙にきょろきょろして父の顔を見ることなく、車に乗り込んで行ってしまった。
その時、僕が感じたのは、申し訳なさだった。
この感情は奇妙かもしれない。
父が母を大切にしているのを見るのは、とても嬉しかった。
しかし、もともとの父は、ああいうことを口にするタイプではない。
僕だってそうだが、父は本当に母のことをわかっているのだろうか。
大好きだというのは、何だか怖いことだと僕は感じた。
父は妹よりも母が大事なのだ。
最初に駅であの男を見た瞬間、父は妹をおぶっていることなど忘れていたに違いない。
幸せな家庭というのを僕が怖く感じるのは、間違っているのだろうか。

高校を選ぶ時、僕は親元からかなり遠いところを選んだ。
両親と住んだ山の中は、高校があったためしがない。
中学だってかなり遠く、僕は中学から家を出たいと思っていたくらいだった。
大変だねと周囲は同情してくれるが、決してそんなことはなかった。
まだ大人でもないのに、自分の好きな所で生活できるのだ。
僕は一般の中学生よりはかなり真剣に高校を選び、合格するために熱心に勉強した。
僕が家を出る時、妹はまだ小さかった。
いつも家の近所で遊んでいるが、もともと山の中だ。
かなり危険な遊びを、怖がらずに楽しんでいるようだった。
妹は大切だったが、幼かったから特に何をしてやったわけでもない。
ただ、大学を卒業して就職すると、僕は妹のことを考えるようになった。
妹はもうすぐ中学生になる。
両親は、当然のことながら、妹をまだ小学生としか思っていない。
僕がそうだったように、何度も引っ越しても一緒にいることを当然だと思っている。
三人の楽しい家庭は、父が僕と母との三人の家庭をつくったときと似ていた。
僕だけがよそ者になったと、ひがんだわけではない。
親元を離れ、楽しく学校生活を送った僕だったからこそ、妹には他にも選ぶ道があることを伝えたかった。
僕は、大学も就職先も東京だった。
東京なら、中高一貫の学校はいくらでもある。
両親だけでなく、僕も手伝えば、私立の学費も充分可能だった。
おせっかいかと悩みながらも、僕は妹にメールを送った。
小学生にわかるようにと考えながら何回かに分けてメールを送ったのだが、業務用の文章よりもずっと難しい。
最初、妹は「どっちでもかまわない」と返事をしてきたが、実は乗り気だった。
両親にはすぐに話をしたらしい。
父からメールがくるようになった。
母からは電話が一回あっただけだ。
反対しているわけではなく、母は僕にメールで連絡するのが面倒なだけのようだった。
結局、妹は受験をし、東京の中学校に進学した。
寮生活は楽しいらしい。
嬉しそうな妹を見て、僕はほっとした。
母は父がいるから、大丈夫だった。
父は妹よりも母を大事にする。
両親は夫婦なのだからそれでもいいだろうが、僕は妹のことが心配だったのだ。
気にしすぎだと友人からも言われた。
僕は変なやつなのかもしれなかった。
母は笑いながら、はっきりとそう言った。
父は「お前のほうが正しいのかもしれない」、そう言ってくれた。
なぜ、僕が妹を東京に呼んだのか、あの日が来るまでは、僕だってわからなかった。
しかし、今となっては自分の感覚を信じている。
僕は妹を両親の道連れにはしたくなかった。
妹には、もっと長く生きてほしかった。
それは、やはり幻だった楽しい家庭というものを僕が信じていなかったからかもしれない。

夏休みや長期の休暇で両親の家に戻る時、まず確認しなくてはいけないことがある。
両親が、今、どこに住んでいるか、だった。
インターネットのおかげで、いつでも両親と連絡することは可能だが、実際に住んでいる場所は近くの移動を含めると、ほとんど毎年変わった。
前に住んでいた場所の記憶が鮮明だと、ついそっちに行ってしまう。
わかっているつもりでも、僕は数回、そのような失敗をした。
有難いことに、妹は寮がなじんだらしく、長期休暇に帰省することすら面倒だと僕にぼやいていた。
たしかに、両親が生活する土地に行きつくまでは、二日はかかる。
空港にはすぐついても、普通列車に乗り、バスに乗り継ぎ、最後は歩かなければならないような山の中だった。
「いいよ、せっかく東京に来たんだから、遊んでかまわないさ」
帰りたくないという妹に、そう答えたこともあった。
そういったことも、ある日を境に止まった。
山津波が起こり、両親の消息は集落ごと消えた。
あの二人はようやく居場所を作ったのだと、僕は思うようにしている。
両親の遺体は発見されなかった。
駅舎も消えた。
そのあたりには、最大八トンもの大きな石がただ転がっているだけだった。
斜面は赤土が剥き出しになり、かつて集落があったとは信じられなかった。
両親は近所の老人たちを車に乗せ、麓まで何度も送ったらしい。
その後、二人の消息はぷっつり消えている。
辺鄙な場所の山津波は、新聞記事にすらならない。
遺体がないのだから、葬式だってできない。
「神隠しみたいね、なんだかお母さんらしい」
妹はぽつりとそう言った。

両親が消えた場所へは、しばらく足を運ばなかった。
結婚する前に、ひとりで出かけ、土をひとにぎり持ち帰った。
墓を作り、両親の写真と一緒に入れた。
妻は妹のよい相談相手になってくれている。
偶然だったが、妹にとって、妻は学校の先輩だ。
妹の大学受験のころは、手厳しい指導者となり、泣きごとを許さなかった。
僕だったら、きっと妹を甘やかしていたに違いない。
「全く、お兄ちゃんはとんでもない家族を作ってくれて」
妹は僕に愚痴をこぼした。
「いい具合におとうさんもいないから、注意されなくてすむと思っていたのに」
そんなことが言えるくらいに、妹は両親の事故から解放されていた。
両親には申し訳ないが、妹の言葉が僕には嬉しかった。
大学に入ったと思っていたら、もう就職活動が始まっている。
気がつけば、僕は、離婚した本当の両親と同じくらいの年齢になっていた。
あの父親は、再婚したらしい。
しばらくは年賀状が届いていたが、そのうちふっつり連絡が途絶えた。
「お休みの人たちはいいよね」
就職活動用のスーツを着て、久しぶりに我が家にやってきた妹が言う。
説明会を回ったら疲れたと、ちゃっかりと僕の家を休憩所代わりに使っている。
「労働者にはね、学生と違ってきちんと休日があるのよ、いいでしょ」
と、昨夜も残業だった妻が答える。
そう言いながら、妻は妹に好物を出していた。
スーツを着ている妹は大人っぽいが、アイスクリームを猛然と食べている姿は幼い頃と少しも変わらない。
「大丈夫か?うまくいっているのか」
つい、僕は心配になって妻から笑われる。
「ほらほら、また兄さん父さんになってる」
妹はアイスクリームの次の獲物をほおばりながら、妻の言葉にうなずいた。
「お兄ちゃんは忘れているのよ。あたしもあのお母さんの子どもなのにね」
そして、つけ加えた。
「お父さんはお母さんが大好きだっただけじゃない。頼っていたんだよ。
お父さんは賢くてきちんとしていて、頑張れる人だけど、本当は男らしくない人だったと思うんだ。
もちろん、あたしはお父さんが好きだったよ」
妹は、ようやく食べるのをやめた。
妻もやってきて、僕の横に座っている。
「お父さん、仕事でミスすると、すごく落ち込むの。
お兄ちゃんがいるころはまだ大丈夫だったけれど、ちょっと年取ったせいかな、少しずつ悪くなってた。
誰だってそんなことあるはずなのに、お父さんって普通より気にするタイプみたい。
そんな時、お母さん、ほら、煙草吸って黙ってるんだけど、あれで案外、お父さんは慰めてもらってたんだと思う。
もしかしたら、お父さん、危ない場所に戻るほうがよかったのかもしれない。
疲れてたのかもね。
お父さんがお母さんを好きだって思ってたけど、もしかしたら、お母さんのほうがお父さんを守ってあげたのかもしれない。
ひとりじゃないよって」
「あんた、強いねえ」
妻がぽつりとそう言った。
「そりゃあ、お姉さんに鍛えられてるからね。まったく、うちの家系は怖い妻ばかり」
妹はにやりと笑い、妻に叩かれないうちにソファへと逃げ出した。
僕はベランダに出た。
ふたりの賑やかな声が、ガラス戸越しに聞える。
母と違うのは、妻も妹も騒がしいことだ。
東京郊外のこの町からは、秩父の山並みが遠くに見える。
山ばかりの生活を嫌ったはずなのに、結局は少しでも山が見える所に僕は住んでいる。
「妹が勝手なことを言ってすみません」
僕は青く霞む山を見ながら、遠い山で眠っている父に謝った。