Novel(百物語)
02ten

家出の勧め

中学を卒業した翌日、俺は家を出た。
親父は、前日、飲みに出かけたまま帰ってこなかった。
いつものことだ。
俺は誰もいない家を出た。
荷物はほとんどない。
ばあちゃんが住んでいたアパートを最後に見ておきたくて、俺は少しだけ遠回りをした。
のんきそうに歩く俺は、春休み、友だちとゲームセンターに遊びに行くような少年に見えたことだろう。
「準備というものは、高校受験だけじゃないんだよ。
人生、万事、段取りをつけておくもんだ。
そうすれば、思いがけないことがあったとしても、落ち着いていられるんだよ。
慌ててはいけない。
うろたえたらおしまいだよ」
家出を勧めたのは、ばあちゃんだった。
およそ一年かけて、ばあちゃんは俺に家出の準備をさせた。
準備さえすれば、十五歳でもひとりでやっていけることを、ばあちゃんは俺に教えてくれた。
何気ないふりをして歩いていたが、駅まで行き、列車に乗った時も、かなり緊張していた。
車掌から声をかけられた時、返す言葉も暗記していた。
高校受験が終わって同級生はみんな解放感に溢れていたが、まさにその日が俺の試験日だった。

俺の両親は、親らしいことをしたことがなかった。
俺を育ててくれたとは言いたくない。
衣食住の最後の部分しか、俺には与えられなかった。
それだけでも感謝しなくてはいけないのだろう。
飲んだくれで暴力をふるう親父に愛想をつかして、おふくろは俺が中学に入るといなくなってしまった。
おふくろは俺を捨てたのだが、うんざりするような生活だったのなら、逃げることも解決のひとつだ。
俺はおふくろを責めないが、だからといって、おふくろを慕ってなどいない。
誰もが持っているらしい母親への感情なんて、俺には幼いころからなかった。
親父に比べればましだというだけで、おふくろも親というには程遠かった。
親父は実は弱い男だった。
俺の体が人並みになってくると、それがよくわかった。
飲まなくては暴力もふるえない。
俺が学校に通ったり、食い物の心配をしなくてすんだのは、ばあちゃんが近くに住んでいたからだ。
ばあちゃんは俺のことを心配し、料理を作っては、俺に届けてくれた。
足の悪いばあちゃんは、自分ひとりで生きて、その上、孫のことまで気を配った。
俺の両親はろくに働かず、すこし稼ぎがあると、子どものことなどほったらかしにして遊び歩いていた。
競馬や競艇、パチンコに使う金はあっても、子どもの俺にろくな食べ物すら与えなかった。
ばあちゃんは親父のことをいつも俺に謝り、おまえはきちんとした人生を送らなくてはいけないと何度も俺に言った。

俺が中学三年の冬に、ばあちゃんは死んだ。
今になって考えると、ばあちゃんは自分で死ぬ時期を決めていたように思う。
家出を決行させるためにも、自分がこの世にいないほうがいいと思っていたにちがいない。
弱ったばあちゃんを残して俺が家出を決行できたかどうかは、かなり難しい。
食事をしなくなったばあちゃんを心配し、俺が病院に行こうと誘うと、ばあちゃんは言った。
「そろそろお迎えが来るころなんだよ。
ありがたい。
小さいときから年寄りがたくさんそばにいたから、ばあちゃんはよくわかっているんだ。
お前は腹が減ったら、たまらんだろう。
あたしはそうじゃない。
何か食べなかったらおかしくなりそうだなんてことはないんだ。
ちょっと水を含んでいるだけで十分なんだよ。
それが年をとるってことさ。」
そう言われても俺は心配で、近くの医者に相談に行った。
俺が幼いころ病気になると、ばあちゃんがよく連れて行ってくれたところだ。
ばあちゃんは往診に来てくれた医者にも同じことを言った。
いつのまにかでっぷり太った医者は、
「でかくなったな。元気でなによりだ」
と俺に言った。
医者はばあちゃんとしばらく話をし
「何かあったら連絡してくれよ」
といって帰っていった。
その4日後に、ばあちゃんは息を引き取った。
学校からの帰り道、アパートに立ち寄ると、布団から半分はみ出した格好でばあちゃんは死んでいた。
夏の夜、暑くて布団をけとばしている姿に似ていた。
「救急車は呼ばなくていい。俺が行くから」
医者の言葉を思い出し、俺はクリニックに走った。
ばあちゃんを置いていくのは心配だった。
しかし、よく考えてみれば、ばあちゃんがあの世に行った時、俺はそばにはいなかった。
俺が学校で授業を受け、給食を食べ、友達と遊んでいるそのどこかで、ばあちゃんはひとり旅立ったのだ。
「臨終に立ち会わなければだめだってことはない。
こうやって連絡しに来てくれたじゃないか。
それがばあさんの願いだったんだ。
死ぬときはな、年寄りでもすごいんだぞ。
マラソンをした後のように、はあはあ言うこともあるし、お前の腕をものすごい力でしめつけることもある。
お前がいてもうれしかっただろうし、いなくてほっとしたかもしれないんだ。
この顔を見てごらん。
ばあさんはきちんと死んでいったんだよ。
心配するなって顔をしているじゃないか」
かなり太ったためか、幼いころに憶えていた顔とは全く違って見える医者は死亡診断書を書きながら、俺にそう言った。
それから、医者は改めてばあちゃんに手を合わせ、深くお辞儀をした。
「葬儀社には俺が連絡しておいてやるよ。
ばあさんから聞いているから。
お前、いまのうち、なんか食べとくんだぞ」
スクーターで医者は帰っていったが、あんなに太っているのによく走れるものだと俺はその後姿を見て思った。
ばあちゃんが死んだことよりも、そんな些細なことが妙に頭に浮かんだ。
長年の付き合いだという葬儀屋がやってきて、すべてを取り仕切り、ひっそりとした葬儀をしてくれた。
「俺にそんな金はない」と親父はすごんでいたが、葬儀屋は静かに頷いただけだった。
「大丈夫です。つつましい形でと言われていますし、お代はいただいていますから」
ばあちゃんは自分の息子などひとつも当てにしていなかった。
もちろん形だけは親父が喪主だったが、親父は操り人形のようなもので、
ばあちゃんは棺桶の中で穏やかな笑顔を見せていた。

中学三年生になってすぐに、ばあちゃんは俺に一冊の通帳を渡してくれた。
通帳には俺の名前が書いてあった。
俺が生まれた日から、貯金は始まっていた。
ばあちゃんが長いことかけて少しずつ貯めた金額は、百万円を少し越えていた。
通帳も驚いたが、それよりもびっくりしたのは、ばあちゃんが俺にむかって口にしたことだった。
家出の勧めだった。
「中学を卒業したら、あんな親からはすぐに別れたほうがいい。
卒業式の翌日に、だまって出ていきなさい。
遊びに行くようなふりをして、そのまま家を出るんだよ。
なんにも持って行ってはだめ。
この通帳と印鑑さえあれば、大丈夫。
金さえあれば、当座のものは買えばいい。
住み込みで働けば、寝る場所もある。
親には、家を出る時に葉書を出しておけばいい。
それでしばらくは、親とは縁を切っておけばいいんだよ。
どうしようもない親だけれど、だからといって、お前が同じになる必要はない。
ここで不満を言うよりは、親を捨てていくほうがずっといい。
来年高校に行くのは無理だろうが、やけを起こしちゃいけない。
働けばどうにか生きていけるんだ。
それから高校に行っても間に合うんだよ」
ばあちゃんは、俺にゆっくり静かに伝えた。
あんまり驚いて、俺は何にもばあちゃんに尋ねることができなかった。
ふたりで、通帳と印鑑の隠し場所だけを考えた。
次の日から、ばあちゃんはどうやって家出をすればいいのか、少しずつ俺に教えた。
ばあちゃんはとんでもない人だった。
後でわかったことだが、俺を養子縁組にして、親の戸籍から抜いていた。
法律上の親子の縁は、俺ではなく、ばあちゃんが切ってくれていた。
家出とわからないように、ばあちゃんもさまざまな準備をしていたのだった。
俺のどうしようもない父親なんて、ばあちゃんの恐ろしさからしたら、可愛いものだったのかもしれない。

勉強は嫌いだったから、高校に行かなくてすむのは本当に嬉しかった。
俺が行きたくないといっているんじゃなく、ばあちゃんが働けと言っているんです。
面談があっても、そう言えばいい。
高校に行かないのなら、授業をろくに聞かなくてもいいんだ、ラッキーと俺は喜んだ。
ところが、不思議なことに、喜びはすぐに消えた。
たしかに、高校進学をしないのだから、勉強もしなくてすむ。
しかし、同級生は高校は違っても、時には互いに家の近くで会ったり、遊んだりできる。
卒業したら、俺だけが誰にも会えなくなる。
そう思うと、最後の中学生活が全く変わって感じられた。
高校進学は無理なのだから、学校に通うのも、ホームルームで先生が話すのを聞くのも、制服を着ることも俺にはもうやってこない。
嫌いだったはずの授業も、これで終わりだと思うと、何となく耳を傾ける気持ちになった。
真面目に聞いてみると、先生は俺にもわかるように話している。
馬鹿にしていたクラス対抗のバレーボール大会にも、一応参加した。
あきらめずにいいプレーをすると、喜んでくれるやつが出てくる。
一学期のうちは、いくら三年になったとはいえ、生徒は先生ほどには受験を気にしていない。
今、頑張らなくてどうするんだ、と先生は熱心なのだが、クラスの雰囲気はいまひとつだ。
これまでろくに授業を聞いていなかった俺が、真面目になるから、先生は俺が成長したと勘違いする。
先生も、自分の言いたいことをわかってくれる生徒がいるのは嬉しいのだろう。
誤解なんだけどな、とは思ったが、俺も先生の嬉しそうな顔を見ると、どこか気持ちがいい。
ばあちゃんからあんなことを聞かされていなかったら、俺は先生をからかったかもしれないが、みんなと別れるのは、俺も寂しかった。
案外、誤解で世の中は動いているのかもしれないと俺は思った。
先生がかけてくれる言葉が妙に嬉しく、自分なりに勉強に励むようになった。

そういうタイミングを見計らったかのように、ばあちゃんは俺に言った。
「勉強はしておいたほうがいい。
英語だって、中学英語ができれば大丈夫だって言うじゃない」
これまで一度も俺に勉強しろと言わなかったばあちゃんだったから、俺はびっくりした。
「毎日山に出かけて行っても、細い枝一本拾ってこれなかったら、情けないだろう。
船を出して、ひと月に一度も魚一匹持ち帰らなかったら、漁師じゃない。
卒業証書は紙切れじゃない。
せっかくの義務教育の成果を、あんたの頭に、しっかり叩きこんでおくれ。
昔は、金の卵と言われて、中学を卒業した子が遠くまで出かけて働いたんだよ。
でも、その前に、中学校までは学校に行ったんだ。
ばあちゃんが行ったのは小学校まで。
でもね、そこで、先生が教えてくれたことはしっかり頭に入れておいたんだ。
働いてからもたくさん教えてもらったさ。
お前なら大丈夫」
ばあちゃんは俺を励ましてくれた。

俺は大阪の地図を買って、まずは土地勘を育てた。
ばあちゃんが勧めたのは、関西だったからだ。
ばあちゃんは、若い時、大阪で仕事をしていたらしい。
故郷に帰って来てからも、もといた会社や同僚と縁があった。
大阪で働きたいという若い子を紹介したこともあったという。
だから、こんなことを考えつくのかと、初めて俺はばあちゃんの昔を知った。
高校入試の準備ではなく、とんでもない親から脱出する準備に、俺は中学最後の一年間を費やした。
銀行強盗をする時は、こんな風に綿密に計画を立てていくものだろうか、俺はふとそう思った。
ばあちゃんが家出を勧めた時、最初はそんなとんでもないことができるわけがないと思った。
しかし、問題が起きそうなことを探し出し、解決策を考え、練り直していくと、困ると思ったことは消えていく。
大変なことは当然だったが、最後は俺自身にかかっていた。
どうしようもない親のもとを離れて生きていく決断が俺にできるかどうかが、一番の鍵だった。
その場しのぎということが、ばあちゃんは嫌いだった。
「どうにかなるなんてことはないんだよ。
あてもないのに、大金がほしいような奴は、口癖のように、どうにかなるっていうんだよ。
いつも考えておかないと、どうにもならないんだ。
見通しを立てて、順番を考えて、ミスがないか、調べるんだよ。
何がほしいのか、何がしたいのか、まずはそこから始めるんだよ」
ばあちゃんはぽつりぽつりと俺に言う。
毎日ばあちゃんの家に行くと、親父に疑われる。
以前よりもばあちゃんとは会えなくなったが、俺はばあちゃんの家で真剣に準備した。

ばあちゃんは疲れてきたのか、以前よりは料理を作らなくなった。
俺は鍋で飯を作るやり方をばあちゃんから習い、みそ汁といくつかの料理をどうにか作れるようになった。
「炊飯器も冷蔵庫もなくても生きていけるさ。
電子レンジがなくても大丈夫。
ただ、自分の食い物くらいはどうにかするんだよ」
学校で家庭科を馬鹿にしていたのを、俺は後悔した。
古い家庭科の教科書を引っぱり出し、載っている料理をマスターした。
ばあちゃんは時々、俺の通帳を隠し場所から取り出した。
そのたびごとに、残高は少しずつ増えていった。
「あたしが死んでも、あんたは心配しなくても大丈夫だからね」
ばあちゃんは言った。
「葬儀屋にはずいぶん前に頼んでいるんだよ、あんたの父ちゃんをあてにするつもりはない。
父ちゃんをきちんとした親にすることができなくて、ごめんね。
恨まないでおくれね。
お前はどうにか生きていけるはずだよ
考えてみれば、あんたの母ちゃんも父ちゃんと一緒になったのが運が悪かったのかもしれない」
そういえば、俺はばあちゃんがどんな仕事をしていたのか、よく知らない。
ばあちゃんは、いつもいくつかの仕事を掛け持ちしていた。
ビル掃除や家政婦が多かったが、銭湯に行き、番台に座っているのがばあちゃんだと気付き、びっくりしたこともあった。
小柄で細いばあちゃんは、足が悪く、いつも左足をひきずっている。
しかし、年の割には元気だった。
雪が降ると、シャベルでアパートの前を雪かきをする姿をよく見かけたものだった。
並の男よりもずっとうまかった。

料理を作らなくなったら、ばあちゃんはもっと細くなり、小学生の小さな女の子みたいになっていった。
「ばあちゃん、食べないと死ぬよ」
俺がそう言うと、ばあちゃんは笑った。
「人は生まれてきたんだから、いつかは死ぬさ。
生まれてくる前にいた場所に帰るだけだよ。
この世は、ちょいと来させてもらえただけのところなんだよ。
お前だって、いつかは死ぬ。
だからこそ、あの親に振り回されない人生にしないとだめだよ。
過ぎてしまえば、八十年も短いもんさ。
無駄にするんじゃないよ」
ただ、ばあちゃんは、俺を心配させないつもりか、一緒に食べてくれた。
ばあちゃんが好きだったのは、俺が作った親子丼だった。
「いい味だね」
そう言いながら、少しだけ入れた鶏肉を俺の茶碗に戻してくれる。
「ばあちゃん、それじゃ卵丼じゃないか」
俺がそういうと、ばあちゃんは、
「いや、これは親子丼」と言い返した。

大阪で数年を過ごした後、俺は東京に出た。
大阪時代を、実を言うと俺はあまり憶えていない。
思い出したくないのかもしれない。
たしかに、大変だった。
ただ、がむしゃらに頑張った。
ばあちゃんの三回忌は無理でも、七回忌くらいにはどこかの寺に行って手を合わせるくらいにはなりたいと思っていた。
ばあちゃんが教えてくれたことは、どれも役に立った。
ただ、人はひとりでは生きてはいけない。
仕事仲間はできたものの、年の差がありすぎて、どこか仲間には感じられなかった。
向こうも俺を子ども扱いする。
仕方がないからひとりで夕食を作り、食べて寝る。
ばあちゃんが貯めてくれた金があったからこそ、どうにか道を踏み外さずに生きてこれた。
そういう生活を五年ほど送ると、自分に自信がついた。
仕事を覚え、転職してもおかしくはない年齢になった。
なにより、運転免許をとれたのが嬉しかった。
今度は家出ではなく、引っ越しになった。
東京で俺は仕事を続けた。
かつての金の卵の人たちと同じように、俺も夜間高校に通った。
金の卵を知っていることに、先生は驚いていた。
死語らしい。
「先生にだって知らない人は多いよ」
「ばあちゃんに育ててもらったからだと思います」
俺は答えた。
高校を卒業し、数年後、大学の二部に行った。
大学は夜間とは言わないのが不思議だった。
勉強をするとき、一番役に立ったのは、ばあちゃんが教えてくれた家出の準備だった。
準備をすれば、大学受験も無理ではない。
高校も大学も、いつも仕事と両輪だったから、かなり忙しかった。
ときどき無性に寂しくなったが、忙しさのおかげでどうにか過ごせた。

30近くになって、俺は会社を作った。
会社を作るまでは結婚したくてたまらなかった。
家族がほしかった。
あれからもう10年以上経つが、俺は独り身だ。
会社を起こし、社員を持つことがこんなに大変とは思ってもいなかった。
会社は少しは大きくなり、決して困っているわけではない。
仕事は苦しいがやりがいもある。
ただ、勤めていた時と違い、自分の責任は仕事だけでなく、社員とその家族にも向けられる。
50人ほどの会社だが、家族を含めれば100人以上になる。
あんなに結婚したかったはずの俺は、社員とその家族のことを考えると、それどころではなくなってしまった。
ばあちゃんに訓練されたおかげで、ひとりでも十分に生きていけるのが悲しいほどだ。
洗濯もアイロンかけも料理も掃除も、どんなに忙しくてもこなせてしまう。
本当は会社の一室を自宅にしたいくらいだが、それでは社員に迷惑だと思い、あきらめている。

家を出たとき、ばあちゃんの思い出になるものをひとつだけもってきた。
ばあちゃんがいつも使っていた湯呑だ。
きれいずきなばあちゃんは、湯呑が茶渋で汚れたままになっているのを嫌った。
一週間に一度は漂白剤につけていた。
そのせいか、長年使ってきた割には、きれいだ。
湯呑の中に、俺が幼いころ撮った写真をくるりと丸めていれてある。
残念なことに、その写真にはばあちゃんと俺だけでなく、両親も一緒に写っている。
ばあちゃんと俺だけを切り取ろうかとも思ったが、なぜか思いとどまった。
写真を湯呑から取り出して見たことはない。
湯呑の中でくるりと丸まって、ばあちゃんも他の3人も笑っている。

親父が生きているのかどうか、俺は知らない。
恋い慕う気持ちなど、どこにもない。
ただ、近ごろ親父のことを考えることがある。
俺にとって、ばあちゃんは唯一の家族だと言える。
ただ、ばあちゃんの息子として、親父はああいう生き方しかなかったのかもしれないとも思う。
今、俺が社長を続けているのは、どうにか会社が生き延びてきた証拠だ。
これまで会社をいくつか作り、つぶしてきた。
うまくいきそうだったのに、だめになったものもある。
そのとばっちりを受けた社員はいくらもいる。
自分だけが陽の当たる場所を歩きやがってと、俺を恨んでいるやつは必ずいる。
そんな社員にとって、俺はどうしようもない社長だ。
今の会社がずっとこのまま安泰だとは限らない。
あと数年後に、俺が親父のような生活をしないとは限らない。
ただ、どうにか生き延びる自信はある。
自分の家族ではないにしろ、俺のような奴をひとり、手助けできたらと思う。
自叙伝を書きませんかと、先日、顔見知りの業界新聞の編集者が俺に言ってきた。
俺は即座に断った。
その時、思い出したのが、ばあちゃんが世話になった医者と葬儀屋だった。
忘れていた恩をようやく思い出したが、あの町に帰ることはもうない。
長い家出が終わるのはいつだろうとふと思ったが、メール着信の音が俺を仕事に戻してくれた。