Novel(百物語)
02ten

電車の中で

あの女子中学生は、志望校に合格しただろうか。
冬になり、着ぶくれて電車に乗ると思い出す。
一年ほど前、電車で隣りに座り、彼女と言葉を交わした。
中学生と高校生では、生活もずいぶんと変わったことだろう。
若いことはいいことだ。
私は昨年も今年も、ほとんど変わらない。

勤務している大学の付属高校は、その日が入学試験二日目だった。
私の仕事が終わったのは二時すぎで、受験終了時と重なっていた。
中学校のサブバッグを肩にかけ、オーバーを着た女生徒が、附属高校の敷地から一人二人と出てくる。
両親に挟まれながら歩く子もいれば、父親とふたり仲良く帰って行く子もいる。
ひとりで歩いている女生徒に、つい、私の目が行く。
受験が終わって、どんな思いだろうか、まずは息が自然に出る状態になったのだろうか。
親でもないのに私はそんなことを考え、駅まで歩いた。
いつもより歩みが遅いらしく、何組かの親子連れに追いこされた。

駅の売店で新聞を買った。
朝刊は午後になると撤収され、夕刊に代わる。
朝、買いそびれると、じっくりと新聞を楽しめない。
今日は間に合った。よかった。
陽のあたるベンチで、私は新聞を読む。
家でも新聞はとっているが、ホームで読むほうがなぜかゆっくりとした気分になる。
百三十円の新聞は私にとって、自動販売機の飲み物よりもほっとする。

この駅は各駅停車しか止まらない。
通勤に時間がかかると、同僚は文句を言う。
せっかく急行に乗っても途中で各駅停車に乗り換えなくては、この駅に降りられない。
各駅停車にずっと乗っているのと、さほど時間は変わらない。
同僚の不満もわからないではない。
駅のホームを急行電車が通過していく。
通過していく電車が多いおかげで、私はホームのベンチで新聞をゆっくり楽しめる。
漸く、各駅停車の電車が来た。
私の隣りに、オーバーを来た中学生が座った。
ぱんぱんにふくれたサブバックと、お弁当が入っていそうな、かわいい布の袋を膝の上に乗せている。
「受験生?」と聞くと、彼女は頷いた。
思わず尋ねてしまった私に対して、うるさそうな様子もない。
中学生の態度が嬉しくて
「お疲れさまでした」
と私は言葉を続けてしまった。
優しい子で、隣りに座った私と会話を続けてくれる。
私が手に持っている新聞に、ときどき視線を移す。
明日も入学試験があるという。
「晴れって出ている。よかったね」
そう言うと、彼女はにっこり頷いた。
「水曜日、また雪らしいけど、この日もあるの?」
と尋ねると、
「一応あるんです」
という。
滑り止めだから、今日の試験がもし受かったら、水曜日の受験はやめるらしい。
曇りのち雪だから、帰りが大変かもしれない、と私達はとりとめもない話をする。
中学生は、終わったばかりの試験の話をしてくれた。
私立だから、試験は三教科だったらしい。
面接もあったと彼女は話してくれる。
「どの教科が好き?」と聞くと、社会と答えてくれた。
歴史や地理が好きだと言う。
地図を見ているだけでも大好きという彼女と私は気があった。
急行が止まる駅に着き、待ち合わせのため、長く停車する。
乗客が多く降りたせいか、電車の中が急にがらんとなった。
「乗り変えますか?」
と彼女は私に聞き、
「私はゆっくり新宿までこの電車です」
と言った。
私も各駅停車派だ。
二人、同じ電車に乗り続ける。

乳母車が入ってきた。
男の子だろうか、目のぱっちりした赤ちゃんが私の隣りの中学生を食い入るように見ている。
「見つめられちゃったね」
赤ちゃんと同じくらいきれいな頬の中学生は、笑顔になった。
乳母車を押しているのは、背の高いお父さんだった。
幼いお姉ちゃんが、お父さんのズボンの膝の上あたりに立っている。
女の子は、私たちを見るなり、乳母車にかけてある布の袋から兎のぬいぐるみを取り出し、しっかり抱きしめた。
女の子のお父さんは、可愛くてたまらない様子で娘を見て、手をつなぐ。
「あなたも好きなぬいぐるみあるの?」
私は中学生に聞いた。
「小さい時、アンパンマンが大好きだったんです。ぬいぐるみもおもちゃも」
彼女は答える。
「いまも持っているの?」
「もうないけれど、おもちゃをひとつ、お母さんが記念に残しています」
中学生なのだから、アンパンマンがあるはずもなかった。
考えてみれば、私も子育てからすっかり遠ざかり、妙な質問をしたものだ。
しかし、中学生は幼い頃を思い出したのか、私を嫌がるそぶりもない。
有難いものだと思った。
年をとった私に、縁遠くなったものがたくさんある。中学生も、そのひとつだ。
私の降りる駅が近づいた。
「よいしょ」と掛け声をかけて立ちあがると、
「さようなら」
中学生が私に言った。
先を越されてしまった。
「さようなら」
今日も私は新聞を買い、電車を待つ。