Novel(百物語)
02ten

頭を探す

伯母の見舞いに行ったが、不在だった。
施設に入ったことを、いとこから聞き、出かけたのだが、デイサービスで出かけているとは考えもしなかった。
事前に電話すればよかったと後悔し、伯母の部屋で途方に暮れた。
部屋には、ベッドとパイプ椅子しかなかった。
椅子に腰をかけ、大きな窓から見える殺風景な景色をぼんやり眺めた。
開けてあるドアをふり返ると、廊下をはさんで、同じような部屋がある。
そこにおじいさんがいた。
ベッドにあぐらをかいて、私を見ている。
「いないよ」
おじいさんが言った。
「そうみたいですね」
私は応え、立ち上がった。
施設のスタッフによると、伯母が戻ってくるのは夕方らしい。
それまで待っているべきかどうか、私は迷っていた。
田舎道を車で二時間半かけて来た。
慣れない道を夜間走るのは避けたかった。
また来よう、そう決め、おじいさんに挨拶するつもりで向かいの部屋に入った。
ひとことのはずが、一時間を過ぎてしまった。
それが、永田さんとの出会いだった。
それから何度か、田舎道を運転して施設に通った。
伯母の見舞いなのか、永田さんの話を聞きたかったのか、よくわからない。

「幼い時は悪戯者でね」
永田さんはそう言った。
「自分でも何となく憶えている。ただ、それは小学校の低学年ごろまでだ。
その後は、大人の手伝いなど人一倍やっているはずなんだ。
最初が肝心っているだろう。あれだね。いつまでたっても、村での私の印象は消えないから困ったもんだよ」
お地蔵さんの話をしてくれた時、最初に永田さんはそう言った。
当時、永田さんは中学生だった。
ある日、青い顔をした子どもたちが校門の前で永田さんを待っていた。
小学校に上がる前の幼い子どもたちだ。
真剣な顔をして、「あにさん、助けてくれ」と言う。
永田さんの村では、年上の男の人を「あにさん」と呼ぶ。
そう言われれば、あにさんとして、無視するわけにはいかない。
永田さんは、部活動を終えたばかりで疲れていた。
宿題もあるし、中間テストも控えている。
何より、中学対抗のスポーツ大会が間近に控えており、優勝を狙っていた。
先生たちは昼間のスポーツ大会で仕事は終わりだが、男子中学生には、夕方にもうひとつ試合が待っている。
村に帰るまでに、山道のどこかで別の中学校の生徒から襲撃される。
スポーツ大会よりも歴史のある、恒例行事だ。
負ければ悔しいし、勝てば勝ったで、別の中学の連中が聞きつけてくる。
家に帰るまでは気が抜けない。
その準備も始めなくてはいけなかった。
幼い子に付き合っている暇などない。
そう言いたかったのだが、ひとりの子が「あにさん、頭がみつからない」としゃくりあげた。
「お地蔵さんの」と、別の子どもがやはり泣きそうな顔で言う。
中学生の永田さんはため息をつき、子どもの話を真剣に聞くことにした。
そばにいた仲間に「ちょっと待て」と言い、数人を残した。
村でお地蔵さんといったら、崖っぷちに立つそれしかない。
その頭がないなどとわかったら、大変なことになる。
大人が騒ぐ前に、手をうっておくしかなかった。

村の外れの山道を登っていくと、急に視界が開ける場所がある。
海に向かって、なだらかな斜面になっている。
風が強いせいか、生えている木はひねこびた灌木ばかりだ。
十年ほど前に、一人の男がこの斜面を降りていった。
崖っぷちまで辿りつき、波間に消えた。
灌木の下に、小さな鞄が置いてあった。
中に遺書が入っていた。
永田さんの村は、切り立った海食崖が連なり、東尋坊に似ている。
自殺の名所として知られていないから、誰も使わないだけだ。
崖から飛び降りたら、確実に死ぬ。
男は村の人間ではなかった。
顔もわからない男を探し、村の人は海に船を出したが、遺体は見つからなかった。
その後、男の遺族が村の寺にやってきた。
お地蔵さんを建てさせてもらえないかと、住職に願いを伝えた。
石工がやってきて、山道の端に、優しい顔をしたお地蔵さんを建てていった。
お地蔵さんの先には行ってはいけない、危ないから。
石工の仕事を熱心に眺めていた子どもたちに、大人は厳しく注意した。
言うことを守り、子どもたちは崖に足を踏み入れはしない。
しかし、お地蔵さんのそばで遊んだ。
お地蔵さんが来てから、遊びの種類が増えたことを、大人は知らない。
ある日、子どものひとりがお地蔵さんの頭を持ち上げたところ、胴体から外れることに気が付いた。
両手で抱えなくてはいけないくらい大きく、重い。
お地蔵さんの頭は、子どもたちの力比べに最適だった。
重量挙げのような格好で、お地蔵さんの頭を持ち上げる子もいる。
永田さんもそのひとりだった。

青い顔をして、永田さんに助けを求めた子どもたちは、伝統を受け継ぎながら、変化させていた。
お地蔵さんの頭をころがして遊んでいたという。
灌木があるとはいえ、なだらかな斜面でそんなことをしたら、海に向かって転がり落ちていくことは当然だった。
罰当たりを怒るのは後にして、永田さんは子どもたちに指示を与えた。
灌木の茂みの中に容易に入り込めるのは、背丈の低い子どもたちだ。
中学生には、無理だ。
「あにさん、ない」
どの子も手ぶらで戻ってくる。
「もう帰ろうぜ」
仲間の中学生は、諦めてそう言う。
日も暮れ始めてきた。
弱虫なのか、泣き出す子もいる。

永田さんの決断を、そこにいる皆が待っている。
いつも、そんな役目が永田さんに回ってくる。
兄弟でもないのに、なぜ、こんなことをしなくてはならないのかと、時には永田さんも嫌になることもあった。
そう感じながらも、数学の問題に向かう時と同じように、頭の中は解決方法を求めて動いている。
テストと一緒で、いつまでも考えてばかりはいられない。
時間内に、何か答えを出さなくてはならなかった。
「お地蔵さんの頭と同じくらいの大きさの石を持ってこい」
永田さんは子どもたちに指示した。
簡単すぎる命令に子どもたちは喜び、散らばっていった。
最後に遊んだ場所を確認し、永田さんは最初に石を持ってきた子にその石を転がすように言った。
二番目、三番目、と永田さんは石の転がる方向を見ている。
四番目の子が新しい遊びに参加しようとしたが、永田さんは止めた。
「あのあたりの藪を見てこい」
ただ、そう言った。
それから、自分も少し遅れて藪に入って行った。
「もう少し右だ」
灌木の茂みの中にいる子どもに、永田さんは後ろから指示をする。
しばらくすると「あにさん、あった」と嬉しそうな声がする。
「持てるか」
永田さんがそう聞くと
「持てる」
と元気な声が返ってきた。
無事に頭と胴体がひとつになったお地蔵さんを残して、子どもたちと中学生は山を降りていく。
永田さんの頭は、スポーツ大会の後の試合の流れですでに動き始めている。
こんなに頑張っている割には、大人からの評価は永田さんが思うほどは高くない。
人生ってこんなものなのかなと、中学生の永田さんは年寄りのような気持ちになることもあった。

私に話をしてくれる永田さんは、本物の年寄りだ。
「年取ると、またちゃらんぽらんになる」
そう言う。
「ちゃらんぽらんですか」
わけがわからず、私は繰り返す。
ただ、その時、お地蔵さんの頭が転がっていくのが見えたような気がした。
蒼くなっている子どもたちと違い、お地蔵さんはかすかに笑っているようだった。