Novel(百物語)
02ten

月のうさぎ

おじさんは、飲み終わったガラスのコップをさっとひっくりかえすと、
これから手品でもするように、手のひらの上に置いた。
「しいちゃん、じっと見てるんだぞ。もうすぐ、酒の匂いに引き寄せられて、小鬼がやってくるぞ」
数秒おくと、コップの口を手のひらから少しずつ離し、私の膝の前に置く。
私は息を詰めて、コップを見つめる。
何も出てきはしない。
「おじちゃんのうそつき」
私が大きな声で言うと、おじさんは真面目な顔をして、「しっ」と小さな声で制する。
それから、伸びあがって私の後ろを見、「ああ」と残念そうな声を出した。
「しいちゃんが大きな声を出すから、小鬼が逃げちゃったじゃないか。
しいちゃんの後ろに見えたのにな」
「えっ、ほんと?」
私は後ろを振り向く。
「おじちゃん、いないじゃない」
「しいちゃんに見つかるほど、のろい鬼なんているもんか。
惜しかったなあ。
いっつもおじさんしか見られないんだから」
おじさんは、手のひらに少しだけくっついているらしい酒を、まるでキスでもするかのように、そっとなめる。
「おじちゃん、もう一回飲む?」
「いや、これで十分。しいちゃんのおかあさんは、菩薩様みたいだね、ほんと。泥中の蓮だ」
「和郎さん、そんなお世辞言ったってだめですよ。
まったく。
うちの人が知ったら、出入り禁止ですよ」
「ほんとだよね、おお怖わ。
兄貴は酒飲んだって、真面目な顔してるからねえ。
あれじゃ、酒の神様に申し訳ないよ。
兄貴のどこがよくて、こんないい嫁さんが来ちゃったんだろう」
「もう・・・」
母は笑っている。
おじさんにかかったら、小言も説教もなんの意味もない。
「おじちゃん、おかあさんは菩薩様なの?あたしは?」
「しいちゃんはねえ。
そうだねえ、泥の中で泳いでる、元気のいいどじょうってところか?」
「あたし、どじょうじゃない!」
「じゃあ、たにしか?」
私はおじさんをぶつ。
おじさんはにこにこしながら、逃げて行き、玄関に行って靴をはく。
「ねえさん、お邪魔しました。ほんとにいつもすみません」
母が玄関に走って来る前に、おじさんは私に手を振り、行ってしまった。
私はひとりでおじさんを見送ったから、誇らしくなる。
「おじちゃん、もう行っちゃったよ」

おじさんは、父のいない時を見計らって、うちに遊びに来た。
なんのことはない、酒を飲みに来るのだ。
「もう、いいかげん、やめてちょうだいよ」
そういいながらも、母は台所に行き、一升瓶を入れてある戸棚をあける。
酒屋でもらった小さなガラスのコップに、母はきっかり半分、酒を注ぐ。
一升びんから器用に注ぐ母の手元を見ているのは、とても楽しかった。
おじさんも、私の隣で子どものようにじっと見ている。
コップを受け取ると、おじさんは母にお辞儀をする。
「ねえさん、ほんとにいつもいつもすみません」
「もう、今度でおしまいよ、和郎さん」
こんなやりとりが、まるで芝居のようにいつも続いた。
小さなコップに半分の酒を、おじさんはおいしそうに飲む。
大切にちびりちびりと飲んでいるが、それでもすぐになくなってしまった。
酒を飲み終わると、おじさんは小鬼だけではなく、
私になにか面白いことをしてみせてくれるのだった。
いつも持ち歩いている筆を使って、そばをすすってみせたりもした。
酒を飲んだ後、おじさんが本当にそばを食べているかのようだった。
時には、筆を巻いているすだれも芸のひとつになる。
すだれをくぐって店から出てきたご隠居さんになってみせたかと思うと、
御簾ごしに、かぐや姫に求婚する男にも変身する。
「かぐや姫さま、ここにいる小さな女の子は、月から来たものでしょうか?」
「はい、この者は、月のうさぎでございます」
「あたし、うさぎじゃない!」
私が抗議しても、おじさんは素知らぬ顔で、今度は御簾ごしのかぐや姫になる。
「餅をついてもすぐにひとりで食べてしまいますので、皆が迷惑をしております。
そこで、こちらに連れてまいりました。私は早く月に帰らねばなりません。
このうさぎだけ置いていってもかまわないでしょうか」
「おじちゃん、あたしお餅なんて食べてない!」
ふり返ると、母が口を押さえて笑っている。

私が働いている町は、以前は寄席があった。
大工の祖父に連れられ、父とおじさんはここの寄席に幼い頃から来ていたそうだ。
おじさんは、寄席にやってきても少しもじっとしていない。
すぐに走り回り、祖父から殴られていたらしい。
「しいちゃんが大きくなったら、いつか寄席に連れて行ってやるよ」
そう言っていたくせに、おじさんの約束は、まったくあてにならなかった。
おじさんが生きていたら、約束を破った嫌みのひとつでも言えるのだが、両親もおじさんもこの世にいない。
この町のお年寄りと話す機会があると、たいていの人が思い出話を始める。
以前は、ここに寄席があった。
あそこに、芝居小屋があった。
芸者の姿も、三味線の音も聞こえなくなった。
みんななくなっちゃって、ほんとに寂しくなった。
高いビルが建っちゃって、町が変わったからねえ。
昔話に頷きはするものの、私は少しもそう思えない。
この町で私がビル清掃の仕事を始めてから、もう二十年が経つ。
あの当時、この町の表通りは銀行ばかりだった。
四角く大きな、この町に似合わないビルだった。
朝五時から三時間、ひとつの銀行の仕事が終わると、仲間と別れ、また別の銀行の清掃をする。
「あんた、体力があるねえ」
年上の同僚から、羨ましがられたものだ。
毎日二つも仕事をすると、かなりの額になった。
ところが、経済が悪くなり、この町から銀行が次々に消えていった。
立派なビルの広々としたフロアは、がらんどうになった。
磨き上げられたエントランスはカフェやコンビニに浸食され、見る影もない。
法人向けの二階は、居酒屋に変わった。
カフェや居酒屋は、清掃の仕事など頼まない。
給料がぐんと減り、この町とも、とうとうお別れだと思ったが、
少しだけ景気が持ち直し、仕事は細々と続いている。
小さな古いビルばかりが今の私の持ち場だが、仕事があるだけ、ありがたい。
今時珍しい和式トイレを掃除していると、オーナーがやってきてはため息をつく。
女子社員が嫌がって、事務所がはいってくれないらしい。
インターネット回線敷設以前の問題だ。
しかし、いいことだってある。
便器を這いつくばって磨いていると、新入社員らしい女性からお礼を言われたことがあった。
トイレがどこよりもきれいだというのだ。
そんな時は、本当に嬉しい。
たしか、この町は最初に吉原があったところだ。
江戸城に近いこのあたりは商業の町になり、歓楽街の吉原はもっと遠くに追いやられてしまったらしい。
銀行の人たちは物知りで、掃除のおばさんにまで色々教えてくれた。
西郷さんが住んでいた場所、東京駅の大丸が最初にあった場所など、仕事の邪魔になるくらい説明してくれた。
残念ながら、どれもきちんと憶えてはいない。
立派なビルで働いていた銀行の人たちも、今はどこいるのだろう。
ここは、江戸の昔から、しばしば変化している町に違いない。

おじさんがなんの仕事をしているのか、私には不思議だった。
父が働いている時間帯に、私の家に来て、酒など飲んでいる。
筆で身を立てていることを母から聞いたのは、ずいぶん後のことだった。
そう言えば、休みの日、父も文机に向かい、筆で何かを書いていた。
娘と遊ぶことなどなく、静かに墨を磨っている父の姿が記憶に残っている。
全く似たところのない兄弟だったが、書道だけはあのふたりに共通したものだった。
今の私が、暇さえあれば筆を持っていると知ったら、どんな顔をすることだろう。
おじさんは、私の書にいたずらかきでもしそうだ。
父は、頼みもしないのに、字形をうるさくいいそうだ。
どちらもこの世にいなくて助かった。
おかげで、私は誰に邪魔されることなく、心静かに紙に向かうことができる。
フローリングの部屋の隅の、通販で見つけた畳らしきものを敷いてある場所が私の稽古場だ。
ひとり暮らしは気楽なもので、帰宅したらさっそく書き始める。
壁に画鋲をうって洗濯ロープをとりつけ、対角線上のカーテンレールにまでつなぐ。
ロープには、昨日書きあげ、気に入ったものを洗濯バサミでつりさげる。
これは、師の真似だ。
よし、と思えるものを残しておけといわれたが、洗濯ロープに残ってくれるものはほとんどない。
それでも、毎日書いて、毎日つりさげることが楽しみでならない。
仕事から帰ってくると、まず、その日、目にした文字を書いてみる。
それが私の筆慣らしのようなものだ。
人形町通りには、年末になるとずらりと提灯が現れる。
謹賀新年という文字が、提灯の白さを引き立たせている。
年末になって提灯を最初に見た日は、謹賀新年という言葉が書きたくなる。
以前は、銀行名もよく書いてみたものだ。

おじさんは、ある時期までは、書道界で名を成した人だと、母から聞いたことがある。
それを聞いてなるほどと思ったことがあった。
幼い頃、父に聞いたことがある。
父とおじさんとどちらが字がうまいのかを。
その時、父は怒ったような顔をして、
「あいつと比べられるわけがない」と言ったのだが、私は逆に受け取ってしまった。
弟と比べられて、兄である父が怒ったのだとばかり思ってしまったのだ。
実際、展覧会等の、おじさんの晴れがましい場面を見たこともなく、
筆を箸代わりに遊んでみせるようなおじさんしか知らないのだから。
おじさんは、書道界のありかたになじめず、なにもかも捨ててしまったらしい。
「お弟子さんだけでも、少しは残しておけば楽だっただろうにね」
母はそう言ったが、決しておじさんの生き方を否定しているようには思えなかった。
おじさんは、デパートの熨斗書きや筆耕料で生活していたそうだ。
ただし、それは生活のためであり、毎日、書を書き続けていた。
名が知られている時も、そうでなくなった時も、書き終えると、よく我が家に来たらしい。
「おとうさんのは趣味だけど、和郎さんから書をとったら、きっと何もなくなるだろうからね。
書いている最中は、別の世界に行っているんだと思うの。
自分でも帰って来られなくなるんじゃないかね。
この世に戻ってくるために、うちに来ていたんだよ、きっと」
酒を飲むために来ていたのではなかったのだと、私は初めて知った。
うまそうに酒を飲んではいたが、酒はきっかけでしかない。
家族も弟子もないおじさんが、ふらふらとこの世にもどってくるには、我が家しかなかったのだろう。
「どうしてお父さんのいる時に来なかったの?」
「あら、そんなことないわよ。
憶えていないの?ふたりで仲良く出かけてたじゃない。
あんたがついていこうとすると、仕事仕事とか言ってね。
浅草や神田に遊びに行ってたわよ。
あんたが憶えているのは、お父さんが仕事でいないときだけよ。」
私はなんだか悔しくなる。
自分だけがおじさんに可愛がられていたと思っていたのに。
私の師は、書家とは名乗っていない。
鉄工会社を経営していることもあり、見た目は、まったく中小企業の社長だ。
書から全く遠い人に見えるが、字は端正で、しかし遊びがある。
いつ倒産するかわからない、と金策に走り回っているが、自宅の二階に座っている時は、すべて忘れるらしい。
弟子とは認めてもらってないが、師の家にやってくる私たちは、月一回、書きためた作品を持って集まる。
「お邪魔します」と社長の奥さんに挨拶し、二階への階段を上る時が何より楽しい。
鴨居に渡した洗濯ロープに、それぞれの作品を洗濯バサミで止め、みんなで批評する。
誰の字かわからないから、師の書でも、心置きなく意見を言える。
長居はせずに、みな帰って行く。
「社長」を呼びに来る社員がいるからだ。
一時間にも満たない集まりのために、私は二時間かけて師の自宅に通う。
書いたものを持っていく場所がある。
書いたものを見てくれる人がいる。
なによりも、書いたものから、一度離れる喜びがある。
自分が書いたものは、どこか自分にまとわりつく。
それがいったん切れるから、翌日から気持ち新たに書くことができる。
おじさんが生きていたら、こんな思いを口にしたかもしれないが、さぞかし、からかわれたに違いない。
月のうさぎではなくて、今の私は一体何だろう。