Novel(百物語)
02ten

住人ではないけれど

とうとう、三十一年目になってしまった。
地下鉄の改札を抜け、階段をのぼりながら、私はため息をつく。
ためいきが三十一年目への思いなのか、この長すぎる階段のせいなのか、よくわからないが。
少なくとも、体力はずいぶん落ちてしまった。
好きだったテニスもやめ、特に体を使うこともない。
それにしても、人形町駅の階段は、何と長いことか。
上り終わったと思うと、また階段が現れる。
特別な運動をしなくても、毎日の通勤のおかげで、充分に私の足腰は鍛えられているにちがいない。

三十年目の時は、それなりに覚悟があった。
よくまあ、頑張って働いたものだ。
それも同じ会社に。
以前なら当然のことかもしれないが、三十年も同じ会社に勤務しているなんて、いまでは珍しがられる。
私があの父の娘だなんて、信じられない。
私の父は、長くても五年と同じ仕事についたことはなかった。
終身雇用の時代の人なのに。
そんな夫のことを、近所の人や子どもたちには愚痴をこぼす母であったが、最後まで愛想をつかすことはなかった。
内職でどうにか家計を助け、母は子どもたちを育ててくれた。
母親が頑張るから、父親は呑気になり、もっとだらしなくなったとも言える。
しかし、もし、母親が自分だけ勝手に生きて、ひとり家を出たとしたら、
後に残された子どもたちはどうなったことだろう。
そう思うと、私は母を責めることはできない。
ただ、大きくなるにつれ、自分の家庭が嫌になった。
「お前は、美術の方面でも才能あると思うんだがな。
大学はだめだとしても、せめて、デザイン関係の学校でもいいから進学したらどうか。
先生がお母さんに話をしてもいいぞ」
担任の先生の言葉は、私の大切な宝物だ。
そういえば、あの先生はどうしていらっしゃるのだろう。
先生の親身なアドバイスは嬉しかったが、独立したくて、私は就職の道を選んだ。
勤めて二年目には、貯めたお金でアパートを借りた。
ようやく、自分の世界が出来たのだ。
油絵も始めたし、大好きなテニスも同好会に入って励んだ。
仕事は忙しかったが、嬉しくて楽しくてたまらなかった。
今、考えると、本当に昔のことに思えてくる。
ここ数年入社してくる若い人たちは、あの当時、この世に生れていないのだから。
あなたたちが生まれる前から、この駅の階段を上って、通勤していたなんて。

会社の近くの喫茶店で昼ご飯を食べた。
食後に少しはゆっくりしたいとは思うが、次から次へと客が来るから長居はできない。
コーヒーを飲み終わると、私はレジに向かった。
支払いが終わったはずの二人連れの女性が、私の前に立ったまま、なかなか出て行かない。
「すぎのもりじんじゃってどこなのかしら」
「今日、べったら市だって聞いたものだから」
レジの女の子は、この町で働いてはいるものの、べったら市も知らないらしい。
首をかしげたままで、答えない。
「すみません」とその女性たちなのか、私なのか、
どちらに向かって言っているのかわからない無表情のまま、私の伝票を受け取ろうとする。
後ろに人が並んでいるのに、女性たちはまだ、聞きたそうなそぶりだ。
「椙森神社なら、私、わかりますから」
支払いをすませた私はそう言って、彼女たちを店から押し出した。
「ありがとうございます」
レジの女の子の大きな声が、私たちを送り出した。
自分に関係なくなると、現金な子だと思いながら、私はおかしくなる。
神社の方角を説明したものの、結局、遠回りをして、
おばさん二人連れを神社まで送る羽目になってしまった。
「まあ、ご親切に。ありがとうございます」
それで終わればよかったのに、最後にひとりが私に聞いた。
「ご近所の方なの?」
「いいえ、この近くの会社に勤めています」
「あら、なんだ、まあ、OLさんなの?」
なんだとは何だ、思わずそう言い返したかったが、ぐっとこらえて軽く会釈をして会社に向かった。
さんざんな昼休みだ。
近所の人に間違われるような格好なのだろうか、とビルのガラスに映る自分の姿にさっと目をやる。
スカートではなかったからだろうか。
しかし、回りを見ても、パンツ姿の女性はいくらもいる。
その日は、仕事をしていても、溌剌とした気分にはなれなかった。
勤め人が、会社がある町を詳しく知っているわけがない。
あの女性たちには、そんな気持ちがあったのだろう。
しかし、私はここに三十年も通っているのだ。
この町を知らないはずがない。
会社の人間だって、地域のお祭りには駆り出され、市の手伝いもしてきた。
「以前のべったら市は寒くてね。
十月も末になると、あの頃はみんなオーバーを着ていたもんだ」
そんな話も聞かされた。
日本橋人形町は、料亭や老舗やうまいものの店ばかりと思われがちだが、オフィスも多い。
勤め人は昼ご飯を食べに毎日出かけるから、店が開店しては消えていくのもずっと見てきた。
十年ももたない店がほとんどだ。
あの店、この店と、思い出してみれば、いろいろなことが浮かんでくる。

勤続三十一年のお祝いに、私はひとり茅ケ崎にでかけた。
お祝いなんてものでもないのだが。
実は、新聞で見た椿園というものを、実際に目にしたくなったからだ。
もうひとつ、茅ケ崎に足を向けても、もういいころだと自分で思ったからだ。
本当は、そちらの理由が大きいのかもしれない。
椿園は、今は茅ケ崎市が管理しているが、もともとは個人の家だったらしい。
スマホを見ながら歩いて行くと、住宅街の中に、椿の生垣が続いている場所に出た。
門扉もなく、いつのまにか、庭に入っていた。
新聞で紹介してあった通り、椿は見ごろだ。
広い庭に、様々な種類の椿が咲き誇っている。
咲いたばかりの白い椿は、本当に美しい。
ボランティアの人たちが、落ちた椿の花を拾っている。
そのせいか、庭はどこも、今掃き清められたかのように清々しい。
香りの高い椿もあった。
見に来ている人は思ったよりも多い。
ただ、買い物のついでに、あるいは散歩のついでといった感じの人ばかりだ。
あの人と結婚して、この近くに住んでいたら、私もそうやってこの庭を見に来たのだろうか。
今となっては、もう想像もできない人生を、この庭で私は探してみたくなる。
二十九歳の時、テニスの同好会で彼と知り合った。
すごくうまい、とほめてもらい、嬉しかった。
彼は私を指名して、ダブルスを組んでくれた。
同好会の合宿で、あちこち出かけたものだった。
茅ケ崎に住んでいると、彼は教えてくれた。
しばらくして、おふくろに会ってくれないかと彼に言われた。
それが結婚の申し込みだとは、私は最初、気付かなかった。
嬉しさは次第にふくらんでいき、あの頃の私は本当に幸せだった。
仕事も、テニスも楽しく、彼は私を好きでいてくれる。
あの頃の私のような、花開いたばかりの椿を私は見て回った。
茅ケ崎の駅で待ち合わせ、彼の家に行く約束はかなわなかった。
その前に、彼は突然死んでしまった。
テニス合宿に行く途中の事故だった。
二台の車で出かけ、私は後ろの車に乗っていた。
彼は最初、私と同じ車に乗っていたが、途中の休憩後、前の車に移った。
運転を交代してほしいと頼まれたのだ。
あの時、私も一緒に行けばよかった。
からかわれてもいいから、助手席にすわればよかった。
カップルだと回りは思っていなかったから、恥ずかしく、勇気がなかったのだ。
スピードを出し過ぎた対向車が、急カーブを曲がり切れず、激突してきた。
助手席にいた知人も大けがをしたが、死んだのは彼ひとりだった。
私たちの結婚は、誰に知られることなく消えてしまった。
あのあと、しばらくはどんなふうに生きていたのか憶えていない。
惰性のように仕事を続け、地下鉄の改札を通りすぎた。
駅の長い階段を上り、下った。
毎年、祭りがあり、市も立った。
弁当を持ってこなかった日は、昼休み、どこかの喫茶店や定食屋に行った。
そうやって、この町になじんだ。
住んでいる人と同じくらい、よく知っている。
いつのまにか。