Novel(百物語)
02ten

田舎のコンシェルジェ、実は居候

僕の就職活動は、ちっともうまくいっていない。
合同説明会に行ってみるが、人の多さで、まず気後れしてしまう。
ようやく面接にこぎつけても、僕は相手が期待する新人にほど遠いらしい。
つまり、明るくもなく、行動的にもみえないらしいのだ。
履歴書も何度も書き直して挑戦するのだが、今の僕には、特別自分をアピールすることがない。
それでも、考えに考えて書いてはいくのだが。
「仕事する気、あるの?」
そういわれれば、僕だって落ち込む。
「じゃあ、どうすればそう見えるんですか」
本当はそう言いたいところだが、さすがの僕だって、そんな馬鹿なことはしない。
「やる気はあります」
僕は元気よく答えた。
「私にはそう見えないけどね。君には必死さを感じられないんだよ」
面接官は、はっきりと僕にそう言った。
五日前のことだ。さっき、パソコンに、第一次面接の結果が届いた。
待ちわびていた連絡だったが、結局、だめだった。
必死さって、一体何なんだろう。
僕の必死さを、まわりの人は見えるんだろうか。
まわりに見えるような必死さしか、必死と言わないんだろうか。

今日も、面接を受けた。
感触はあまりよくない。
面接会場から地下鉄駅までの道のりが、行きと帰りは違って見える。
二度とこの道を歩くことはないだろう。
僕の好きなコーヒーのチェーン店も見かけたが、入る気持ちにはなれない。
通りに面した椅子に腰かけてコーヒーでも飲んだら、
この道を二度と通らない自分を想像して、もっと落ち込んでしまいそうだ。
なにより、コーヒー代もけちらないといけないありさまだった。
これまで何十も面接会場に行っている僕には、面接会場までの交通費もばかにならない。
ゴールが見えないレースは、金銭面でもきついことがよくわかる。
コンビニでパンを買い、立ち食いしても、昼食代はかかる。
使い回しがきかないから、履歴書も毎回買う。気をつけて節約しているが、財布は空っぽだ。
就職活動のために、バイトを減らしているから、入りが少ないのは当たり前なのだが。
コーヒー店の前を通り過ぎる。
こころなし、とぼとぼ歩きになってしまう。
クラブの後輩を引き連れて元気よく歩いていた数年前の僕と同一人物なんて自分でも思えない。
前を向いて。
自分に掛け声をかける。
目をあげると街路樹が目についた。
この街路樹はたしか、アメリカハナミズキ。
ゼミの女子に名前を教えてもらった木だ。
もう花は終わっているが、新しい葉がきれいだ。卒業して、最初の春もすでに終わった。
初夏といってもいい。
大気も木も、すべて爽やかなのに、僕は行くあてがなく、うろうろしている。

必死とは、必ず死ぬと書く。
そういえば、僕の身近に、遠からず必ず死ぬ人がひとりいた。
両親は僕の就職以上に、祖母のことでけんかばっかりしている。
ある意味、ありがたい。
おばあちゃん、ありがとう。
「なぜ、あなたのおかあさんは東京に連れてきたのに、私の母はだめなの?」
「兄貴がよんで世話してくれたからじゃないか」
「私は一人っ子だから、よびたいのよ」
「いまさら無理だよ。いままで田舎に住んでいた人が、九十近くなって急に都会に出てきても」
「ここはいわゆる都会ではありません。
東京都かもしれないけど、母の住んでいる田舎と大して変わりはありません。
あなた、母が今、どんなところに住んでいるかもろくに知らないくせに」
「田舎じゃないなら、いいじゃないか。おかあさんはあそこで過ごしたいんだろ」
ああ、また始まったよ。
親父は、おふくろのおかあさんが嫌いなんだ。
結婚前の引越しで、親父が大失敗したのが原因らしい。
そのとき、まだ五十代だったおばあちゃんから、さんざんいやみを言われたらしい。
親父は言われたことを根に持つタイプなんだ、当人は気がついていないけれど。
十一月の誕生日で、おばあちゃんは九十になる。
そういう人がひとりで生活するのは、もう限界だというおふくろと、
なるたけおばあちゃんに関わりたくない親父との攻防戦が、ここ数年続いている。
親父にすれば、これまで関わらなくてすんだのだから、これからも関わりたくないのが本音だ。
おじいちゃんがいつ死んだのか、僕は憶えていない。たぶん、幼稚園前だったんだろう。
それからずっとおばあちゃんはひとりで暮らしている。
特に持病もなく、元気らしい。
おばあちゃんが僕の家に来ることは、一度もなかった。
僕たちが遊びに行ったことも、ほとんどない。
親父の仕事は転勤が多く、しょっちゅう引越しをしていたからかもしれない。
おふくろも、僕が小さいときは、おばあちゃんがひとりで暮らしていることを、さほど気にしていなかった。
「おばあちゃんは元気だから」
そういって、自分の体調が悪いときなどは、自分の母親をうらやましがるくらいだった。
学校から僕が帰ると、おふくろがおばあちゃんに電話していることがときどきあった。
おふくろはなんだか楽しげで、ぼくも嬉しかった。
ただ、それだけでおふくろも満足しているらしく、田舎に帰ることはなかった。
おふくろは、おばあちゃんが九十近くになっていることを、このごろようやく気づいたにちがいない。
これは親父が僕にこっそり言ったことだけど。
おふくろは、僕が大学生になると、春夏秋冬、最低四回はおばあちゃんのところに行くようになった。
二週間ほどむこうで過ごしてくる。
買い物や掃除、季節の衣替えをしてくるらしい。
おふくろがいない間、食事や洗濯が面倒な親父は苛立ちを隠せず、夫婦喧嘩が多発している。
ときどき、おふくろは僕の現在の状況を思い出し、内定をもらっていないことを嘆き、怒る。
つまり、おふくろはかわいそうに、子育ても自分の母親のことも、どれもさほど改善されていない。
ただし、おふくろは更年期だけはうまくすりぬけているような気がする。
以前よりは、体も丈夫になったような気がする。いらいらしてはいるが、のぼせもさほどない。
残念ながら、体全体から「長く生きてきました」という雰囲気はある。
しかし、これは僕が指摘しているのではなく、おふくろが僕にしょっちゅう嘆くからだ。
そのせいで、いつのまにか、僕も更年期というものを、若者にしてはよく知っている。
普通のおばさんの顔のたるみや、肌のきめの粗さを気にしている赤の他人が、この世の中にいるのだろうか。
僕はそういいたいのだが、これまた就職の面接官を相手にしてと同様、口にしてはいけない類の言葉だった。
おふくろは特別ふけてもいない、普通の中年のおばさんだ。
僕は、おふくろにとってこれは最高の賛辞だとおもっている。

おふくろは、新幹線で広島まで行き、高速バスに二時間乗っておばあちゃんの家に行く。
おばあちゃんの家は、駅からはかなり遠い。
高速バスはいくつかの停留所に止まる。
幸運なことに、おばあちゃんの家から歩いて数分のところに停留所ができた。
今回、おふくろはバスの予約をしようとして、ぎっくり腰になってしまった。
携帯をかけながら、片づけをしていたのが原因だった。
片手で重い鍋をしまおうとしたらしい。
僕が面接会場から帰宅すると、おふくろは床にのびていた。
「動けない」
おふくろは、小さな声で言った。
体がおかしくなると、声までおかしくなる。
いつものおふくろの声とはまったく違った。
初夏になってきたとはいえ、フローリングの床は、夜になると冷たい。
仕方がないので、僕はおふくろがのびているリビングの床にホットカーペットを出した。
タオルケットもかけた。
その夜は、僕は久しぶりにピザを頼み、両親には弁当を買ってきた。
ピザはおいしかった。
僕は料理ができない。
作ってみるのだが、おいしくない。
それを知っているのか、おふくろは僕に料理は頼まなかった。
「明日は悪いけど、スーパーで買い物してきてね。ほしいものを言うから。
冷凍で、アルミの鍋に入っているおうどんはおいしいのよ」
おふくろは、リビングで横たわっている。
テレビの横で寝ているから、テレビを見ると、必然的におふくろも目に入る。
「着衣のマヤ」という絵があるが、それに近い。
あれは名画らしいが、僕は授業で見てもあまりそう思わなかった。
「おばあちゃんちに行くの、どうしよう」
おふくろは翌日、僕にそう言った。
夜行バスの予約の電話をしている最中のぎっくり腰だったのだから、
僕はそのことをすぐに口にするとばかり思っていた。
なぜなら、近頃のおふくろの話題は、おばあちゃんのことばかりなのだから。
だから親父と喧嘩する。
それなのにおふくろは丸一日、おばあちゃんのことを忘れていた。
これはいいことなんだろう、僕はそう思った。
腰が動けなくても、おばあちゃんのことを一番に考える素晴らしいおふくろの子どもなら、
僕は就職の内定を取っているような気がする。
おふくろが普通の人でよかった。
「無理だよね」
僕は言った。
トイレに行くのだって大変なのだから。
アイロン台を使って、体をそおっと起こし、それに伝ってトイレまで行くことを工夫したのは僕だ。
「おむつ、つけようか」
横たわっているおふくろに提案したら、即、却下された。
しようがなく、僕は家中を厳しい眼で観察し、アイロン台に注目したのだった。
おふくろが使っているアイロン台は金属製で、高さが調整できる。
女性がアイロン台の面に力をかけてもどうにか大丈夫なくらいは頑丈だ。
ただ、アイロン台が勝手に動いてくれるわけではないから、僕がアイロン台を少しずつ移動する。
そうやって、おふくろをトイレに近づけた。
我が家のトイレは狭いので、便利だった。
壁が手すり代わりになる。
おふくろは、中年だが中年太りにはなっていない。
今回、それがどんなに助かったことか。
アイロン台が壊れたら、僕だって困ったに違いない。
四日目には、おふくろは、どうにか動けるようになった。
僕は三日間、お袋がトイレに行くたびにアイロン台をすこしずつ動かした。
買い物をし、ごみも出した。
僕が就職していなかったことが、こんなに役立つとは思わなかった。
最後に受けた面接も落ちていたから、悔しいが僕はひまだった。
おふくろが親父の言うことをまったく聞かず、
病院に行かないで寝ていたのが、よかったのか悪かったのか、医者でない僕にはわからない。
しかし、以前にどこかで聞いた、体を動かさないというやり方を忠実に守り、
どうにかおふくろはひとりでトイレに行けるようにもなった。
ぎっくり腰から一週間がすぎたが、おふくろは家で静かに過ごしている。
買い物はあいかわらず僕がしている。
料理は惣菜を買ってくるか、弁当だ。
洗濯は親父がすることになったが、まだやってはいない。
親父なりのアドバイスをおふくろは受け入れなかったのだから、親父だってあんまり協力したくないんだろう。
あと一週間もすれば、おふくろはもう大丈夫だ。
しかし、おばあちゃんの家に行けるかどうかは自信がないと思う。
家の片付けや、庭掃除や、たくさんの買い物などは無理じゃないかと思う。
「僕が行こうか」
そういったら、おふくろはびっくりしたような顔をした。
「だって、あんたは就職活動があるから」
「あっちで探してもいいんじゃない」
「そんな、冗談言って」
「冗談だよ、もちろん。でも、おかあさん、まだ無理だから。僕はひまだし」
「そりゃ確かに、あんたはひまだよねえ。内定はないし、もう卒業してるし」
おふくろは今の僕にとってじゅうぶんきついことを平気でいい、どうしようか悩んでいる様子だった。
「そうしてもらおうかな。でも、お父さん、怒らないかな」
「親父には言わなきゃいいじゃないか。
就職活動で出かけてるって言えばいいだろう、聞かれたら」
「そうよね、そうよね」
おふくろは安心したような顔をした。

そういう事情で、僕は今、おばあちゃんの家に来ている。
もちろん、行く前に、おふくろがおばあちゃんに電話して、僕が行くことを説明した。
高速バスから降りて、おばあちゃんの家の玄関に立ったとき、
おばあちゃんから歓迎される孫息子、といったシーンがあるかもしれないと一瞬だけ思った。
残念ながら、そういうものはなかった。
おばあちゃんは
「確 か、かいとっていう名前だったかねえ」
と僕の名前を確認し、僕を家にあげた。
おばあちゃんは、僕を特別かわいがりもしない。
考えてみれば、おばあちゃんが僕を見るのは四度目だ。
憶えてくれていただけ、感謝しなくてはいけない。
時々思い出したように、なぜ僕がここに来たのかを訊く。
おふくろのぎっくり腰のことを、僕はそのたびに説明すると、
「気をつけないとね、もうあの子も若くはないんだから」
と言う。
僕がおふくろの代わりに来てくれたことを、感謝している言葉はない。
最初はちょっとがっかりしたが、そのうち、楽な気持ちになった。
僕の就職のことなどは考えたこともないようだ。
もしかして、僕のことをまだ学生だと思っているのかもしれない。

おばあちゃんは、テレビをよく見ている。
僕もひまなので、一緒に見る。
時代劇よりも、ドラマをよく見るので驚いた。
「今の人がどんな格好をしているのか、よくわかるからね」
と説明してくれた。
たしかに、おばあちゃんの家のまわりには、あんまり人がいないから、テレビが人間観察になるのかもしれない。
おばあちゃんは、健康番組はほとんど見ない。
おばあちゃんは年寄りではあるが、持病がほとんどないらしい。
体全体が、単に「がたがきている」そうだ。
「年取ったら、病気になって、病院に行って死ぬのかと思っていたんだけどねえ。おじいちゃんみたいに」
そういって、おばあちゃんは嘆く。
病名がつかなければ、確かに入院はできない。
単に年取っただけでは、病院には行けない。
おじいちゃんは、年取ってからは病気をたくさんして、ずっと病院にいたらしい。
そういうおじいちゃんを見ていれば、おばあちゃんが、自分もそうなるのかと思うのも当然だ。
おばあちゃんは、自分の家にいて、年をとっていく自分を静かに見ているしかない。
それはそれで大変なんだろうと、僕は初めて思った。
テレビを見ているから、社会の様子もそれなりにわかっているらしい。
いまどきの犯罪についても、それなりに知識はある。
「女の人から電話があって、息子を行かせます。
そう言って数日後に、見たこともない若い男が家に来たら、こりゃ、詐欺だよね」
と笑って僕に言う。
おばあちゃんには冗談なんだろうけれど、僕はけっこう傷ついた。
せっかく来たのになあ、就職活動も止めて。
そう思ったが、一晩寝てみると、就職活動が嫌になったから、
おふくろのぎっくり腰騒動をこれ幸いと利用して逃げてきたのは事実だった。
おれおれ詐欺ではないかもれないが、僕が僕をだましていることを、
おばあちゃんは笑い飛ばしているのかもしれない。

おばあちゃんのごはん。
朝、お米を二合炊き、インスタントのお味噌汁をつくる。
ごはんに、生卵をかけて食べる。
お昼、おかずは魚の缶詰。青菜があったら茹でて、醤油と鰹節をかけて食べる。
夕方、残ったご飯で雑炊を作る。
庭のにらか、細いねぎを入れる。
買ってきたねぎの根っこを庭に植えているらしい。ロビンソンクルーソーのような生活だ。
おばあちゃんのごはんは、僕が作ったのと同じくらいのおいしさだ。
つまり、空腹だったらおいしいと思うけれど、
もし、ここに別の料理があったら、そちらを食べるかもしれないというくらいのおいしさだ。
おばあちゃんに、
「料理を作る気があるのか」
とたずねたら、おばあちゃんは困ってしまうに違いない。
「作ったんだけどね。まずいかねえ」
と言うだろう。
まずいわけではない。
でも、これを料理というんだろうか、と料理もできない僕でも思ってしまう。
一方、これでいいんなら、僕もできそうだ、とも思う。
おふくろも、
「今日のごはん、何にしよう」
と悩むのなら、おばあちゃんみたいなごはんにすればいいのに、と思う。
おばあちゃんに僕の食事を作ってもらったら、僕がここに来た意味がないので、
それぞれ、自分の食事を作っている。
「おばあちゃんのごはんも作ってあげないの」
とおふくろには怒鳴られそうだが、きっと、おばあちゃんも自分で作るごはんのほうが口にあうにちがいない。
おばあちゃんの料理が不思議なのは、「次に」がないのだ。
つまり、「これ、まだ、料理の途中なんじゃないの」と思ってしまう。
ジャガイモや里芋をふかしただけ、というのが多い。
実は、僕は「ふかす」という言葉を知らなかった。
「蒸す」ことらしい。
おばあちゃんの家には、蒸し器はない。
おばあちゃんは深い鍋に水をたくさん入れ、欠けた湯飲み茶碗を一個水に沈める。
その上にザルを置き、芋をいれ、ふたをして火にかける。
蒸かした芋を、おばあちゃんは塩を振って食べる。
芋の中に、卵も入れてゆで卵も一緒に作ることもある。
時々、おふくろが買って冷凍してある肉を、解凍して焼き、しょうゆをざあっとかけて食べる。
解凍は夜、冷凍庫から冷蔵庫に移す。
肉は好きらしい。
「おんなじご飯でつまらなくないの」と僕が聞いたら、
「自分で作ったら、だいたいおんなじになるよ。
おいしくない時もあるけど、おいしい時もあるよ。
毎日生きていくのも、たいていおんなじことをやっているだけだよ」
と、おばあちゃんは答えた。
おばあちゃんの口癖は「どう生きればいいのかね」だ。
元気だったら、「すごいですね」と言われるし、
元気でなかったら、「もう九十ですからね」と言われるらしい。
まわりはおばあちゃんを大切にしているのだが、おばあちゃんは何か物足りないのかもしれない。
おばあちゃんにも「やる気」はある。
ただ、おばあちゃんに「やる気」があるようには、残念ながら見えない。
立派な「やる気」というのが世の中にあるとしたら、
おばあちゃんも僕も、ふたりの「やる気」は、大したものではない。
このごろになると、僕は、あの面接官が口にした「私にはそう見えないけどね。
君には必死さを感じられないんだよ」という言葉の真意を、少しばかりわかったような気がする。
おふくろが、おばあちゃんの家の台所を電磁調理器にしようかどうか、迷っていたことを思い出した。
ただ、ガスから電磁調理器に変えて、おばあちゃんは慣れるだろうか。
おばあちゃんは、僕が見る限りでは、ごく普通にガスで調理しているように見える。
「おばあちゃん、料理で火を使うの、大丈夫?」
と僕は聞いた。
失礼にならないように気をつけながら。
「今日はぼんやりしていると思ったら、火は使わないの。
年だからね、危ないから。もう少したって、ご飯を作れなくなったら、何を食べようかね。
ビスケットと缶詰かねえ」
とおばあちゃんは言った。
「僕たちのところには来ないの」
と聞いたら、
「そうだねえ、それがいいかはよくわからないねえ」
と、おばあちゃんは言った。

僕がおばあちゃんの家にいることが近所の人にわかったのは、
回覧板を持ってきたお隣のおじいさんが初めだった。
「お孫さん、そうか、いいねえ」
と、おじいさんは僕を初めて見る新種の動物のように見た。
「ちょっと手伝ってくれないかねえ」
おじいさんが翌日、訪ねてきた。
タンスを動かしたいと以前から思っていたのだが、ひとりではできない。
気になっていたから、ぜひ僕の力を借りたい、ということだった。
僕は二つ返事で引き受けた。
「車の運転はできるかね」
翌日、おじいさんはまたやってきた。
町の薬局まで、薬を取りに行ってほしいとのことだった。
「あのおじいさんはずうずうしい」
珍しくおばあちゃんが文句を言った。
ふたりでごはんの後、ケーキを食べているときだった。
ここに来て、ケーキを食べるなんて、初めてのことだ。
僕は病院の隣にあった洋菓子店で、おばあちゃんにお土産を買ったのだった。
おじいさんの車で町まで出かけたから買えたケーキだ。
そのことをおばあちゃんに言うと、
「それとこれとはちがう」
と反論してくる。
「まあまあ」と、おばあちゃんを僕はなだめた。
おとなしそうに見えたおばあちゃんが過激になるのは面白い。
小学生のころ、ダンゴムシをちょんちょんといじって遊んだころを思い出す。

おばあちゃんの考えの基準が、僕にも少しばかりわかってきた。
つまり、恐縮というものがなくてはいけないということだった。
ずうずうしい人が全員嫌いなわけではない。
申し訳ないという気持ちがあるかどうか、
おばあちゃんの相手に対する判断基準は、そんなところにあるような気がする。
「でも、おばあちゃん、恐縮があればいいってもんでもないんじゃないかなあ。
おばあちゃんが嫌なら、自分できちんと嫌だって言えばいいだけなんだよ。
自分が嫌いな言葉を言わせられたとき、相手を恨んでいるだけのように思えるなあ」
そう言いたかったが、僕は口にはしなかった。
それこそ、恐縮があったからだ。
これまで四回しか会ったことのない孫に、えらそうに人生論を言われて嬉しいわけがない。
大体、九十まで生きてきたこと自体、僕にはまだまだ理解できないのだから。
なにより、九十になっても、となりのおじいさんを「失礼だ」と怒っているおばあちゃんが、
僕には元気そのものに思えた。
しかし、たぶん、おばあちゃんは、あと十年もしないうちに死んでしまうのだ。
おばあちゃんが本当に年取っていることは、しばらく一緒に住んだら、よくわかった。
元気だとか病気だとかいうのではなく、体全体が僕とは違う種類の人のようだ。
おふくろは「疲れた疲れた」と連発して、自分の更年期を強調するが、
おばあちゃんはそんなことは言わない。
しかし、親父やおふくろともまったく違う。
入れ歯をはずすと、おばあちゃんの顔は急に変わる。
顔にしわがあるのは当たり前だが、足や腕の皮膚もなんだか切なくなるくらい薄くて、くしゃくしゃしている。
おばあちゃんが若い女の子だった頃はもちろん、おふくろくらいの年頃も想像できない。
おばあちゃんがどんな人生を送ってきたのか、聞いてみたいとは思うものの、
孫とはいえ、ほとんど会ったこともなかった
僕が聞いていい質問なのか、僕にはわからなかった。
僕がおばあちゃんに、仕事の話をする時間があるだろうか。
間に合うのだろうか。
会社も決まっていないのだから、無理な話なのだけれど。

となりのおじいさんは、十日に一度の割合で、僕に車の運転手を頼む。
近くの町の病院まで行ったときのことだった。
おじいさんを病院の待合室に残し、僕は町の大きなスーパーに行った。
おばあちゃんのための買い物だ。
買い物の前に、一階にたくさん入っているファーストフードの店に行った。
お母さんに連れられてきた幼稚園の男の子と同じくらい、僕もはしゃいだ気分になった。
おばあちゃんのところで、ハンバーガーとポテトを食べられるなんて。
僕は男の子の後ろに並んだ。
「おかあさん、シェークもいい?」
「だめ!」
「おねがい」
「だめ!」
「なんで?」
「あんた、残したじゃない、このあいだ」
「今日は残さないから、絶対」
「だめ!」
なかなか意思の固いおかあさんだった。
「一生のお願い」
大きな声がした。
その男の子の言葉を聞いて、後ろに並んでいた僕は思わず笑ってしまった。
四歳の男の子が、飲み物ひとつのために一生を使ってしまうのか。
まったくこいつは五歳になったら、また「一生のお願い」が出て来るに違いない。
僕の笑いが伝染したのか、守りの固かったおかあさんも笑っている。
「しょうがない。わかった」
お母さんがそういったとたん、男の子は
「やったあ」
とぴょんぴょん飛び跳ねた。
「もう・・・きちんと並んで」
そういいながら、おかあさんは笑っている。
僕もまだ笑っていた。
男の子の必死なお願いが、ぼくとおかあさんを気持ちよく笑わせる。
そう、そのとき、僕はわかった。
あの面接官が言ったことを。
僕の必死さが伝わっていたら、あの面接官は気持ちよくなっていただろうと。
少なくとも、僕を面接して、あの人は楽しくなかったことだけはたしかだ。
「すみません」
僕は心の中で謝った。
あの面接の時、僕が思った
ことは「僕の必死さが、あなたにはわかるんですか」ということだった。
わかってもらいたい、と思ったかどうか、それは自信がない。
面接官を楽しく笑わせることができなかったこと、それに関しては、僕に責任があった。
僕は、あの男の子以下だったということだ。

その夜、おばあちゃんは風邪気味になってしまった。
庭に出て、僕の布団を干してくれたからだ。
僕の布団はほっこり温かかったが、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
しかし、おばあちゃんは達成感のほうが強いらしく、
「打ち直した布団は、干したときに違いがでる」
と、誇らしげに何度も僕に言った。
おばあちゃんは熱がすこしあるのか、顔が赤みを帯びて、かえって元気そうに見えた。
「おかあさんは、まだ私がもたせた布団をつかっているのかねえ」
おばあちゃんが僕に聞いた。
僕はわからなかったから、あいまいに頷いた。
「あんたのおとうさんは、引越しのとき、段取りが悪くてねえ。
狭いアパートだったもんだから、うちで、おかあさんに買ってあげた箪笥が入らなかったんだよ」
おばあちゃんが言った。
そう、その話は聞いたことがある。
まず、トラックが入らなかったのだ。
アパートのある路地に。
仕方なく親父はレンタカーで軽トラックを借り、トラックから軽トラックに荷物を移してアパートまで運んだ。
アパートの二階に荷物を入れるのも、階段が狭くて大変だったそうだ。
親父に言わせれば、新婚なのに、何でこんなに大きなタンスなんかもってくるんだと思ったらしい。
おばあちゃんは、路地や、アパートの階段のことを事前に運送業者に確認しない親父を責めたらしい。
まあ、どっちもどっちだ。
一番大変だったのは運送業者で、予定外の時間がかかったようだが、それは追加料金で話はまとまった。
親父は、夫婦生活の最初からけちをつけられたようで、それから、おばあちゃんに会いたがらなくなったらしい。
なんとなくわかるような気がする。
親父は自分がかっこよく物事を進められなかったことに、悔しさを感じたに違いない。
おばあちゃんのいう「恐縮」は、うちの親父にはない。
若い親父は恐縮もせず、今のおふくろの年頃のおばあちゃんもおばあちゃんで、
若い親父を隣のおじいさんみたいに扱ったのだろう。

「あんたのお父さんは、面白い人だねえ」
おばあちゃんは少し赤い顔をしてそう言った。
「親父、ここに来ないから、おばあちゃん、頭にくる?」
僕がそう聞くと、おばあちゃんは笑った。
「まさか。あたしが結婚したんじゃないんだから」
僕はほっとした。
「一緒に住まなくて、ごめんね。
おかあさん、気にしているよ」
「どういたしまして。あたしはひとりが好きなんだから。
あんたのお父さんと一緒に住めるわけがないけど、それはおとうさんが悪いわけじゃないよ。
きっと一緒に住んだら、あたしは芳子と一番喧嘩しそうだね。
人にはタイプがあるんだよ、
今となると、あの引越しのとき、おとうさんとあたしが互いを知って、本当によかったと思っているんだよ。
おとうさんのあの仏頂面は、ほんと面白かった。まったく恐縮ひとつしないんだから」
おばあちゃんはふとんの中で笑い、そのうち咳き込んでしまった。
僕は、おばあちゃんの小さな背中をさすってあげた。

僕はおばあちゃんが寝たのを確認して、電気を消し、自分の部屋に入った。
自分の部屋といっても、おふくろが荷物を置いたりしている場所だ。
おふくろはおばあちゃんと一緒に寝ているらしいが、
僕はそういうわけにもいかないので、なんとなく物置のようなこの部屋を片付けて、布団をひいて寝ている。
おばあちゃんの家は、こういってはなんだが、あんまり上等な家ではない。
小さい頃なら、何もわからず、口にしたような気がする。
きっとおばあちゃんをがっかりさせたに違いない。
おふくろを怒らせ、親父をにんまりさせたかもしれない。
これまで遊びにこなくてよかったと思った。
テレビドラマに出てくる田舎の家は、もっと大きくて、庭もある。
庭木もある。
古くても、いかにも木造といった感じの家だ。
おばあちゃんの家は、普通の家のサイズがぎゅっと小さくなっただけで、庭もほとんどない。
サッシもガラスも壁も全部が古い。
壁はしみだらけだし、ひびわれしている。
田舎の家というよりは、東京にもきっとあるにちがいない、古くて小さな家だった。
ここにおばあちゃんはずっとひとりで住んでいた。
今と違って、もう少し活動的で、バスに乗って買い物に行ったり、町内会の仕事をしたりしていたにちがいない。
狭い庭の手入れをしていたかもしれない。
空っぽの植木鉢がいくつか転がっていたから。
布団に寝ころがって、おばあちゃんがひとりで過ごしてきた日々を想像してみようとするが、あまり思いつかない。
僕のその時代に置き換えてみる。
幼稚園から大学生。
妙に長く感じられる。
二十年もないのだが。
パソコンを開いてみたが、幸せになるようなメールは来ていない。
ここに来てから、就職活動に積極的でないから、状況は何も変わっていない。
会社にエントリーするのも、近頃はパソコンからだが、
僕の卒業した大学はエントリーをしようにも、大学の番号がないときもある。
つまり、入社試験を受ける資格がないということだ。僕の卒業した大学は、たいした大学ではない。
そのことは十分わかっていたはずなのに、このエントリーの瞬間だけは、再確認させられたような気がする。
親父は僕が高校三年生のとき、言った。
「お前、大学に行くつもりなのか?」
僕は行きたかったから、頷いた。
「行ってもかまわないが、お前が行く大学くらいだと、就職に苦労する」
親父にしては珍しく、気弱な顔をしていた。
親父が僕を気遣っていることがわかり、僕は妙に大人の気分になった。
「大学に行くレベルじゃないって言いたいんだろ?」
僕はちっともけんか腰ではなかったが、親父は申し訳なさそうな顔をしていた。
「大丈夫、わかっているから。でも、行かせてもらえないかな。いや、行かせてください」
そう僕は頼み込み、晴れて大学生になったのだ。
友人たちは専門学校に行き、美容師や調理師になったのだが、
僕は高校の時点で、自分の将来をまだ決めかねていた。
高校三年生の時点で僕は逃げたのだから、今の状況は当然ともいえる。
それにしても、こんなに就職って大変なんだ。
おばあちゃんの「どう生きればいいのかね」じゃないけれど、
僕も「どう就職すればいいのかね」が口癖になりそうだ。

おばあちゃんの家の中に、何があるのか、僕も大体わかるようになってきた。
おばあちゃんの布団を、物干し竿に干すことも覚えた。
おばあちゃんの家の洗濯機の使い方も覚えた。
自宅の洗濯機は全自動だったから、最初、脱水されていないのには驚いた。
僕は脱水機の部分を、洗濯物入れがついているのかと思っていたのだった。
掃除機も使い、雑巾がけもした。
「がんばりすぎないほうがいいよ」
と、おばあちゃんに言われた。
僕はおばあちゃんの言うことを素直に聞き、ふたりでテレビを見た。
若手俳優のプロフィールを教え、おばあちゃんからは、僕の知らない俳優の過去の栄光を聞いた。
隣のおじいさんの車を借りて、日用品の買い物に時々行き、ついでに出先でハンバーガーやチキンを食べた。
おじいさんは、僕に運転手はさせたが、お礼をしてくれるようなタイプの人ではない。
恐縮型ではないということだ。
それなら、こちらも恐縮せずに、きちんとお願いをすることにしたのだ。
お礼はいらないから、車を借りようと考えたのだ。そのことをおじいさんに話すと、
一瞬、怪訝な顔をしたが、おじいさんは一応納得した。
面白いことを僕は発見した。
自分がやっていることを相手にされると、あまり嬉しいことではないらしい。
食事も最初は別々だったが、おばあちゃんのご飯もつくるようになった。
炊飯器でご飯を炊き、インスタントの味噌汁を作るくらいだが。
卵かけごはんは、かけるしょうゆの量で、時々叱られた。
インスタントラーメンを作ったら、喜んでくれたのには驚いた。
「おじいちゃんが好きだったから、時々一緒に食べた」
とおばあちゃんが言った。
二人でラーメン屋に行ったこともあるらしい。
「チャーハンも食べたの」
と聞いたら、
「忘れた」
とおばあちゃんは答えた。
「死ぬときって、苦しいんだよ」
ふたりでドラマを見た後、おばあちゃんが言ったことがある。
おばあちゃんは小さな村で育ったそうだ。
近所の人が死ぬとき、みんな集まって 、枕元に座っていた。
そうやって死ぬ人を送っていたらしい。
幼い子も、その中に混じって、おばあちゃんが言うには「興味津々」で見ていたそうだ。
何度も見たとおばあちゃんは言った。

「人が死ぬときはね、少し苦しむんだよ。
首を絞められているみたいに。空気をほしがっているように見えたもんだ」
「かわいそうだと思った?」
僕は聞いた。
「そうは思わなかったね。だって、みんなそんなふうに死んでいたから」
おばあちゃんは淡々と答えた。
「お医者さんが落ち着いているのは、死んでいく人をたくさん見ているからだと思うよ。
鈍感になるんじゃないんだよ。
ただ、慣れると、落ち着いてみていられるんだよ。
村の人たちは、だれも大騒ぎしなかったからね。
あんたのおとうさんやおかあさんは大騒ぎしてしまうだろうね。
もし、私が苦しそうにしたからといって、心配しなくてもいいんだよ。
みんなそうやって死んでいくんだから」
おばあちゃんは僕にそう言った。
僕はなんと言っていいか、わからなかった。
おばあちゃんに比べて、僕は本当に何にも知らない。
お葬式の時は、村中の子どもたちがろうそくを持って、棺おけの前を歩いていったそうだ。
村中といっても、十人もいない。
枡に似た、小さな木箱にろうそくを立てる。
箱の四辺に白い紙を三角に折って貼り付ける。
蓮の花をかたどったものらしい。
「火が消えないように、気をつけて歩くんだよ。
行列の先頭を歩くのは、なんだか誇らしいような気分でね。
やんちゃな男の子は、一番先頭を歩こうと、他の子を押しのけたりするから、次からは呼んでもらえないんだよ。
お葬式はいいものだったねえ」
おばあちゃんはにっこり笑っていった。

隣のおじいさんの運転手をした後は、僕はおじいさんの車を毎回洗った。
車の中もきれいに掃除した。
途中からおじいさんが家から出てきて、手を後ろに組んで僕の仕事を見ていた。
「洗車代は払うよ」
おじいさんが珍しいことを言ったから、僕は笑った。
「いりませんよ。すごく助かってますから」
「車の中、ずいぶん汚れてたろう」
おじいさんは、少し恥ずかしそうな顔をして言った。
「みんな、そんなものですよ」
「就職は大変かね」
おじいさんは、まじめな顔をして聞いた。
今度は、僕が恥ずかしそうな顔をする番だった。
おじいさんは、僕のことを心配してくれているらしい。
ただ、僕の大学の名前を聞いて、それはどの程度の大学なのか、
たとえば相撲で言えば、どのあたりか、などと聞いてくるのには、困ってしまった。
偏差値というものを、おじいさんは知らない。
相撲を、僕はよく知らない。
横綱や大関、小結あたりは知っているが、僕の卒業した大学が、そのあたりにあるはずがない。
「三流大学です」
というのは簡単で、居直ることも出来るし、照れ隠しにもなる。
ただ、おじいさんが僕を馬鹿にして聞いているのではないのがわかるだけに、
自分がどのあたりに位置しているのか、と聞かれると、案外答えられない。
言葉に詰まって、
「やりたい仕事がまだきちんと決まらなくて」
僕がそう言うと、おじいさんは驚いた顔をした。
「お前に、もう、やりたい仕事があるのか」
僕は心底驚いた。
やりたくない仕事をする人がいるだろうか。
小学校の頃から、自分の将来の仕事、あるいはどんな仕事が世の中にあるだろうか、
自分の適正は、などと習ってきたのだ。
「お前は医者とか、設計士の資格でも、持っているのか」
おじいさんは、聞いた。
僕は首を振った。
おじいさんは、僕をからかっているようには見えなかった。
「お前を雇ってくれる人のもとで、仕事を覚えて働けばいいだけじゃないのか」
おじいさんは、僕を不思議そうな顔で見つめた。
「だから、そんな会社がないんです」
さすがに僕も苛立ってきた。
内定が取れていたら、僕だっておじいさんの車など、洗ってはいない。
「いったい、どんな会社を受けてるのか」
おじいさんはしつこく聞いてくる。
「まあ、色々です。大会社もあるし、中小もあるし」
僕はそろそろこの話を切り上げたくて、つっけんどんに言った。
確かに、おばあちゃんが言うとおり、となりのおじいさんには配慮がない。
おばあちゃんには、「そう怒らないで」と
鷹揚な対応を望んだ僕だったが、結局おんなじ気持ちになる。
「こちらが気を遣って、車まで洗っているのに」という気持ちになる。
洗車は早々に切り上げて、僕はおばあちゃんの家に帰った。
おじいちゃんは急に無口になった僕を見ていた。

家に帰ると、おばあちゃんが絵を描いていた。
絵といえるかどうか、わからないが、筆ペンで、半紙に大きな丸と小さな丸を二つ書く。
横に平べったい丸だ。
気に入るのが出来上がると、乾かして、引き出しにしまった。
描きかけの紙をゴミ箱に捨てているおばあちゃんに、僕は尋ねた。
「あれ、おまじないか何か?」
おばあちゃんは小さく笑った。
「お正月の準備」
以前は、お供え餅を準備しておばあちゃんだが、自分が餅を食べなくなってからは、買わなくなったらしい。
「捨ててもかまわないんじゃないの」
と聞いた僕に、おばあちゃんは一言、
「もったいない」
といった。
つまり、あの絵はお供え餅だったのだ。
みかんは本物を使うらしい。
おばあちゃんはみかんが好きだから、年末にみかんは買ってある。
玄関におばあちゃんは紙を広げ、小さな丸の上にみかんを置くそうだ。
それがおばあちゃんの正月準備らしい。
ずいぶん早い正月準備だが、思い立った
ときにするのが年寄りの知恵だそうだ。
「忘れるから」
と、おばあちゃんは説明した。
おばあちゃんがお供えの紙をしまったテレビの横の引き出しには、黄ばんだ半紙が数枚入っていた。
「ゴミ箱に捨てるのは、なんだか悪いような気がしてねえ」
おばあちゃんは、絵に描いた餅を捨てずにしまっていたようだ。
僕が数えると八枚あった。
おばあちゃんは八年くらい前から餅を食べられなくなったんだ、と僕は気づいた。
僕が中学生くらいのころだった。
「そういえば、あんたにお年玉は送らなかったねえ」おばあちゃんが申し訳なさそうな顔をした。
とんでもない。
こちらこそ、おばあちゃんが餅を食べるのに、気をつかうようになったことも知らなかったのだから。

翌日、本当は車を借りたくはなかったのだが、僕は隣のおじいさんの家に行った。
ここでは、一時間に一本のバスを待つか、歩くか、車に乗るかしないと、町までは行かれない。
「おはようございます。すみません。車、貸してください。ちょっとマックまで行きたくて」
車を飛ばして町まで行って、マックに行って、そう思うと、気分が晴れた。
おじいさんが出てきた。
本と車の鍵を手にしている。
「おはよう」
おじいさんが言った。
「私も乗せてくれないか。ところで、マックとかは、タバコは吸えるのかね」
車をただで貸してもらうのだから、断るわけにもいかない。
今日の楽しさがパンクした自転車のように、音を立ててへこんでいく。
マックなんて言わなきゃよかった。のろのろと車庫に向かう僕を追い抜いて、おじいさんはさっさと歩いている。
自分で運転するつもりなのか。
僕は慌てた。
運転の楽しみくらいは取られたくなかった。
「高校野球で考えると、よくわかるんだがな」
助手席でタバコを吸いながら、おじいさんは言った。
僕はタバコを吸わないから、窓を開けている。
おかげでおじいさんの声があまり聞こえない。
聞こえないふりをしようとしたら、おじいさんは大きな声で話しかけてきた。
「私は野球少年だったんだよ。
それも少しは希望が持てそうなくらいの。
高校まで野球をやった。甲子園出場、というのが一番いいに決まっているが、
私だってそんなことは望んではいなかったさ。
ベスト八というのが、私の野球部の頂点だった。
もちろん、私のいたときじゃない。
ベスト八のときの主将は、今もって、同窓会では花形だよ。
私らはベスト十六まで行った。
自分たちは大体そのくらいだろうとは予想していたから、負けたときは悔しかったが、よくがんばったと思ったさ。
一回戦敗退組が馬鹿なわけじゃなかろう、野球部員としては、どこの高校生も同じさ。
ただ、自分がどの位置にいるかくらいは把握しているよ」
僕もタバコを吸いたくなった。
はっきり言って、うるさかった。
説教か。
僕はそう思いながら運転していた。マックまであと少し。
そればかり考えていた。
マックについたとき、僕は嬉しかった。
おじいさんの話をまったく聞いていなかったことも忘れ、
「着きましたよ」
と大声を出した。
おじいさんは、
「おや、早かったな」
と言って車から降りた。
早いはずだ、僕はいつもよりも飛ばしたのだから。
僕がハンバーガーを食べ始めると、おじいさんは
「外でタバコをすってくる」
と言って出てしまった。
僕は買ったものをすべて胃の中にいれ、満足していた。
フライドポテトというのは、なぜあんなにおいしいのだろう、
とか、それに類した、どうでもいいけれどふわふわした思いが、僕の頭の中を通過していく。
おじいさんはなかなか帰ってこない。
おかげで、僕は気持ちよくマックで過ごした。
おじいさんは、マックの駐車場でタバコをふかしていた。
車のドアを全部開けている。
ありがたい、これでタバコの臭いは消えている、と僕は嬉しかった。
「話を聞いてくれる人がいるってえのは、ありがたいもんだね」
おじいさんがそう言った。
ろくに聞いていなかった僕は恥ずかしく、
「いえ」
としか言えなかった。
「お前のばあさんは、果報者だなあ。
娘はやってくるし、孫までやってくる」
おじいさんは、タバコをふかしながらそう言った。
「おじいさんに、孫はいるんですか」
僕がそう聞くと、
「人に聞くときは、お孫さんとか言うもんだ」
と注意された。
「お孫さんとか」
と、僕が言うと、
「いない、死んだ」
とおじいさんは言った。
聞くべきでないことを聞いてしまったと、僕は後悔した。
黙っていると、
「入れ」
とおじいさんが言い、僕はなんだか成り行きで助手席に座った。
「自殺したんだよ。
娘に、なんでそんなに弱いやつに育てたんだって言ってしまった。
それから、娘は俺を許さなくて、会ったことがない。
今、考えれば言わなくていいことだったのにな。
慰めるつもりだったんだが」
いつのまにか、車はスタートしていた。
おじいさんの運転は見事に美しい。
僕は運転がうまいつもりでいたが、悔しいけれど、脱帽した。
アクセルの踏み方、曲がり方、どこにも無理がなく、
スピードは出ているのに、必要とする場所では見事に減速している。
もしかして、行きにタバコをすったのは、僕の運転が下手だったからじゃないかと思うほどだった。
「就職しようとしている若者に説教できるとは、思わなかったな。
こんなことを一度してみたかったんだろうな」
おじいさんは前を向いたままで言った。
おじいさんが何をしゃべったのか、わからない僕は残念なのだが、
いまさら、もう一回話してくださいとも言えず、黙っているしかなかった。
「ありがとうな、がんばれよ」
おじいさんは車から降りる僕にむかってそう言った。

翌日、僕は庭の草むしりをした。
庭もきれいになり、なんだか僕も気持ちよくなった。
夕食後におばあちゃんが言った。
「庭をきれいにしてくれて、ありがとうねえ。
でも、もういいよ。あんたも自分のことをやりなさい」
僕はしばらく黙っていた。
就職活動から逃げていられたおばあちゃんの家は、たしかに居心地は悪くなかった。
僕と同じにしてはいけないかもしれないけれど、
おばあちゃんがひとりで生きていることは、なんとなく僕と似ている。
おばあちゃんは、しばらく前に、何かを決めなかったような気がする。
病院に入らなくてはならない病気もないから、
おばあちゃんは老人ホームに行くかどうか迷っているうちに、家から出そびれてしまった感じがする。
遠慮しながらそんなことを僕が口にしたら、
「ほんと、そのとおりなんだよ」
とおばあちゃんは言った。
「まったく難しいもんだねえ。病気もそりゃ大変だろうけれど、ただ老いぼれていくのも大変だよ」
「でも、おばあちゃん、ひとりで大丈夫かなあ」
「その時は、あんたのおかあさんに頼るから。
まずはそれが順序でしょ。
心配しなさんな。そんなあたしより、あんたこそ、今、やらなくちゃいけないことをやりなさい」
おふくろから僕の就職のことを聞いたのかと思ったが、そうではないらしかった。
おばあちゃんはちゃんとテレビを見て、今の就職状況を知っていた。
かわいそうにおふくろは、僕のことをおばあちゃんになんと伝えていたんだろうか。

僕の両親は、普通の人だと思う。
けなしているのではなく、きちんと働いて、子どもを育ててくれた人たちだ。
僕は普通に両親と話しているほうだとは思うけれど、普通の両親ですら、案外話しにくいこともある。
無理難題を子どもに吹っかけるわけでもなく、やたらに子どもの出来の悪さを嘆くわけでもない。
しかし、おばあちゃんと話したようなことを話せるかというと、なんだか難しい。
おばあちゃんは、以前は立派に生きていたのかもしれないけれど、
僕の前では、どうにか生活をこなしている小さな子どもみたいだった。
妙に賢いところもある、ひとり暮らしの小さな女の子。
小さな女の子が、ひとりで芋を食べ、ゆでた卵を食べている。
だから、僕はおばあちゃんを見ていると、小人の家を覗いているような気がした。
翌日、僕は高速バスの予約をした。
予約が取れたのでおふくろに電話し、一週間後、おばあちゃんの家を出た。
高速バスは混んでいた。
バスに乗った途端に、僕は今夜から自分がしなくてはいけないことがあるのを身にしみた。

僕が自宅に戻ると、腰が治ったおふくろは
「今度は私が」
と、出かける準備をした。
おばあちゃんの家にあるとよさそうなものを、僕はおふくろに伝えた。
「君はここ数ヶ月、就職活動をしていたのかね」
そう聞かれたとき、僕はにっこり笑って言う。
「祖母の面倒を見るために、田舎に行っていました。
祖母のコンシェルジェです。
母がぎっくり腰になって動けなくなっていた少しの間だけですが。
僕がこれから世間に出るにあたって、就職は、本当に大切なことです。
しかし、それと同じくらい、祖母のコンシェルジェでいることは大切なことでした」
執事なんていう言葉は、イギリスの貴族に仕えた人のことだから、僕にはなんの関係もない。
ただ、このごろこの言葉は、コンシェルジェとカタカナのまま、よく使われているから、
僕もコンシェルジェなんて言葉を、気取って使う。
実際は、ただの居候だ。
しかし、自分の親のことが気になり始めている年齢の面接官なら、ここでぐっとくる。
実際、祖母のおかげで、僕の必死さは、相手に通用したのだから。
「それで、おばあさまは今、お元気なのかね」
そういう話の流れになってからも、もちろん僕は数社落とされた。
でも、気にならなかった。
そうして、今日は第三次面接。
きっと通ってみせる。
一生のお願いです。