Novel(百物語)
02ten

イフタフヤーシムシム

 テレビをつけていたら、懐かしいお遊戯に再会した。
敬老の日特集らしく、幼稚園生が老人ホームで、お遊戯を披露していた。
小さな両手を合わせ、閉じたと思ったら、ぱっと開く。
何度もその動作を繰り返し、ぴょんぴょん、とび跳ねながら歌っている。
お隣のお嬢ちゃんが、この部屋で何度も何度も踊ってくれたものだった。
老人ホームのお年寄りもあの時の私同様、「開けゴマ」と歌っているとは全くわからず、それでもにこにこと手を叩いているに違いない。
あのおまじないに出会ったのは、もうずいぶん前のことだった。

 インターホンが鳴って、ドアを開けると、お隣のお嬢ちゃんがひとり、立っていた。
「遊びに来たの」
と私に言う。
驚いた。
「下の子は変わっていて」とお隣の奥さんがぼやいていたことを思い出し、なるほどと私は納得した。
「じゃあ、どうぞ」
と、小さなお客さんを家に招き入れた。
二人でこたつに入り、みかんを食べた。
みかんを食べ終わったころには緊張も解け、お嬢ちゃんの名前がさらということを、私は知った。
幼稚園の話もしてくれた。
習ったばかりのお遊戯まで、してみせてくれた。
あの「開けゴマ」の踊りだ。
踊りながら歌うから、なんと言っているのか、私にはさっぱりわからない。
しかし、さらちゃんの踊りを見ていると、なんだか楽しくなった。
「さらちゃん、何て歌っていたの?」
踊りが終わり、満足そうにお菓子を食べ始めたさらちゃんに、私は尋ねた。
お菓子がこたつの上から消えた頃、私はようやく、アリババと四十人の盗賊のお話の踊りだということを理解した。
「おばちゃんに教えてあげる」
と言われ、実はあの時、私も踊ったのだ。
まだ私も若かった
ものだ。
それでもけっこう息が切れた。
最後に大声で叫ぶ「イフタフヤーシムシム」は、摩訶不思議な言葉だった。
「さらちゃん、そのイフタフヤーシムシムってどういう意味なの?」
と聞いても、さらちゃんは
「知らない」
と、つれない返事だった。
 一時間ほど我が家で遊び、私はさらちゃんを連れてお隣に行った。
ドアを開けると、コート姿のお母さんが血相を変えてこちらに走ってきた。
「さら、あんたどこに行っていたの。お母さんがどんなに心配したと思うの」
驚いたのは私で、心から謝った。
二人でみかんを食べ、呑気にお遊戯をしている間、お母さん仲間が必死で、さらちゃんの捜索をしていたとは。
私の説明を聞いて、今度はお隣の奥さんが私に謝る番だった。
「すみません、かってによそさまのお宅にあがりこむなんて」
大人が大騒ぎしているのを、当の本人のさらちゃんはしばらく見上げていたが、すっと通り過ぎて行った。
「さらっ」
呼びとめようとしたお母さんの声は、くたびれたのか、力がない。
大騒ぎも一件落着して自宅に戻った時、私はおまじないをひとつ憶えた。
アラビア語の「開けゴマ」
語感の良いこの言葉、私は今でも時々口にする。
「おばちゃん、ゴマは莢からこんな風に飛び出してくるんだよ」
お遊戯の振付をして見せながら、さらちゃんは、幼稚園で習ったことを、私に教えてくれた。
「ゴマが大きくなるとね。
莢が、もう出ても大丈夫だよって
開けてくれるんだって。
だから、ゴマはぽんっと跳び出すんだよ」
さらちゃんの言葉は、夫を亡くしたばかりの私の心に響いた。

 苦しいことがあると、私は「イフタフヤーシムシム」とつぶやく。
ぐずぐず考え過ぎなくても、大丈夫。
時期がくれば、莢は開くものだ。
私の体は小さなゴマになって、莢からぽんと跳び出してくれる。
 さらちゃんは大きくなって、今はママになっていると聞いた。
さらちゃんの子どもだから、また変わり者かもしれない。
隣のおばさんの家に、遊びに行っているのだろうか。ママになったさらちゃんは、自分がかつてそんな子どもだったなんて、素振りも見せていないに違いない。
もうすぐ人生のお迎えがくるこのごろ、私はあのおまじないを時々唱えている。
お遊戯は忘れてしまったし、踊りたくても、ちょっと無理だ。
しかし、楽しい響きは忘れていない。
お隣の小さなお嬢ちゃんが教えてくれたおまじない「イフタフヤーシムシム」。
年老いた体から、私がぽんと跳び出していきますように。