Novel(百物語)
02ten

ドライブ

急に休みが取れた。
三日もある。
一年ぶりだろうか。
嬉しくなって、さっそくレンタカーを借りた。
大体の方角だけを頭に入れて、あてどなく車を走らせる。
ナビは手持ち無沙汰だ。
目的地が重要なのではなく、走ることが私にとっては大切だった。

以前は、バイクであちこち走った。
バイクを手放して、もう二年近く経つ。
多目的ホールの、裏方の仕事を任されたからだ。
コンサート、発表会、企業のパーティ、毛色の変わったものでは、コスプレのイベント。
一年、三百六十五日、予定が詰まっている。
大ホール、中ホール、小ホールすべて稼働するのが理想だ。
私の生活は、ほとんどこのホールの中で完結している。
実を言えば、住んでいるアパートもいらないくらいだ。長年、私の足になってくれたバイクも友人に譲った。
バイクも走りたいだろうから。

若い頃は、小さなテントをバイクに積んで走った。
山の木々が紅葉する頃、山の中でテントを張った。
満月になると、夜でも紅葉が見える。
太陽の下で見る紅葉とは、違う美しさだ。
夜の底で、山が赤く燃える。
山の夜はとても寒かった。
湯をわかし、コーヒーを入れて、寝袋に潜り込み、私は紅葉を眺めた。
宮澤賢治の世界は空想ではない、といつも思った。
彼は小説家であり、科学者だ。
流れ星がいくつも飛んでいった。

近頃は、スコールとしか言いようのない雨が降る。
ゲリラ豪雨とも言うらしい。
ドライブ二日目にやられた。
ワイパーは最高速度でがんばってくれているが、ほとんど視界不良だ。
どこかでひと休みすることに決めた。
行く手に、コンビニの看板が見えた。
まずは店に入ろうと、左ウインカーを出した。
敷地内に入ったが、戸惑う。看板が出ていたはずなのに、コンビニが見当たらない。
娘の幼稚園がいくつ入るだろうか。
ふと、そう思った。
姉夫婦の養女になった娘の顔が、一瞬浮かんだ。
運動会を見に行った幼稚園は、この駐車場にすっぽり入ってしまう。
子どもたちも小さいが、幼稚園も小さかった。
お遊戯をしている娘を見て、姉夫婦に挨拶して帰ったのは、二年前のことだ。
考えてみれば、娘はもう小学生だ。
私がホールの仕事にどっぷりつかっている間に、月日はどんどん過ぎていった。
今なら、収入があるから、娘を育てられたかもしれない、と思う時もある。
しかし、家に帰れないのだから、やはり相変わらず両親をあてにしていたにちがいない。
結論は同じところにたどりつく。
離婚し、子どもをかかえ、職がなく、私はアルバイトで食いつないでいた。
子どもをかかえ、といっても父親とは名のみで、両親が見かねて、娘の面倒をみてくれていた。
「あんたいつまでお父さんたちに迷惑かけるつもりなの」ある日、私は姉に呼び出された。
ホテルのロビーで、私は姉に久しぶりに会った。
姉は実家によく顔をだしているのだが、私はアルバイトに忙しくて会うことはなかった。
「お母さん、しょうちゃんの面倒を見るのは、もう限界よ」
姉は、きついことをずばりといった。
「わかっているよ。申し訳ないと思っている」
私はなんの反論もできなかった。
「あんたをいじめようと言っているわけじゃないの。お願いしたいことがあるの」
姉の申し出に、私は驚いた。
娘の晶子を養女にしたいというのだ。
十年以上、不妊治療を続けてきたが、あきらめたらしい。
精神的に、もう無理だと思ったと、姉は疲れた顔でそういった。
実家に帰るたびに、両親が面倒をみてくれている晶子が姉になついてくれる。
「嬉しかったわ」
姉が小さい声でそう言った。
姉夫婦と晶子で、出かけることもあったという。
私だけが知らないことだった。
いくら孫がかわいいと言っても、両親もずいぶんと無理をしていたにちがいない。
「おとうさんたちが、病院に検査に行くことがあるでしょう。
その時に私が預かっていたのよ。
あんたに似ず、いい子よね。
だんなにもなついてくれて、あの人、本当に嬉しそうだった。
あんたがいいといってくれるなら、私たち一生懸命育てるから。
今までどおり、あんたのことをパパと呼んでもいいから。
あたしらは、おとうちゃん、おかあちゃんでいいんだから」
考えてもみないことだったが、何もかもがうまく行った。
両親は、姉夫婦の家に遊びに行っては、疲れない範囲での祖父母の役割を果たしてくれている。
義兄と姉は晶子と三人、幸せな家庭を作っている。
「皮肉なものですよね。
どうしても子どもがほしい僕たちにはできなくて、君たちには生まれるんだから」
義兄は、少しもとげのない口調で静かに言った。
「本当にありがとう。僕たちは本当に幸せです」
姉夫婦は、晶子にこれまでの経緯もきちんと伝えている。
晶子は二年前の運動会でも、私のことをパパと呼んだ。
しかし、それ以降、私は晶子に会っていない。
この世のどこかでふらりと生きていると思っているのだろうか。

雨脚が少し弱くなった。
傘をさして、私は車を出た。
駐車場の端に、コンビニの建物を確認した。
店に入り、煙草を買う。
あたりを見まわすと、うどんコーナーがあった。
珍しい。
弁当に飽きていたから、嬉しかった。
夕食はここにしようと、かけうどんを頼んだ。
かき揚げを追加した。
小エビがたくさんはいっていた。
カウンターの向こうのおばさんは、七味の瓶だけでなく、すりおろした生姜の小皿も私に渡した。
うどんに生姜か、と不思議に思った
が、案外おいしかった。

「またどうぞお越しください」
店を出ると、店員の声が背後から追いかけてくる。
マニュアルの言葉だからしょうがないが、もう二度と来ることはない。
この町が何という名前かも知らないのだから。
すまないな。
店が嫌いなわけじゃない。
心の中でつぶやく。

山の中の道を走った。
国道とは思えないくらい狭い道だ。
路肩注意、豪雨時通行禁止、落石注意。
様々な看板が目に入る。
下ったと思ったらまた上る。
そうやって私は、中国山地を分け入っていく。
緑の枝が前方をさえぎる。
小鳥がついついと前を飛んでいく、先導役のように。
下り坂が終わり、人家が見えた。
家の瓦が見え、ほっとする。
気がつくと、いつのまにか雨もやんでいた。
野菜直売所と書いた幟がはためいている。
マンゴーソフトクリームと書いてある幟もある。
狐に騙されたような気分になった。
こんな山中で、マンゴーを作っているのか、とからかいたくなる。
私が初めてマンゴーを食べたのは、姉と会ったホテルのラウンジだった。
マンゴーフェアとかで、メニューに出ているのは、マンゴーのアイスクリーム、マンゴージュース、マンゴーのプリン。
マンゴー尽くしだ。
私は、マンゴーそのものを食べた。
味はあまり憶えていない。
ねっとりした舌触りと、鮮やかなオレンジ色に驚いた。
姉はアイスクリームを食べた。
「お義母さんのお葬式の時、名前が素敵だって、あんたが言ったのにも驚いたけど、自分の子にその名前をつけると聞いて、もっとびっくりしたわね」
アイスクリームを食べ終え、コーヒーを飲みながら、低い声で姉は言った。
「うちのだんな、あの時、実はすごくよろこんでいたのよ」
「晶子って名前、今もいいなと思っている」
私はそう言った。
水晶を感じさせる名前だと感じた。
まさか、名前をもらった人の孫になるとは、私も考えてはいなかった。
義兄のお母さんとは、もちろん付き合いはなかった。
姉の結婚式で一度挨拶しただけだ。
義兄が晶子をかわいがってくれているのは、名前だけではないだろうが、名前も多分重要に違いない。
晶子はマンゴー味のソフトクリームを食べたことがあるのだろうか。
三日間の休みも、二日を過ぎた。
砂丘に行ってみようか、ふとそう思った。
明日の午前中までにアパートに戻れば、大丈夫だ。
私は進路を砂丘に向け、車を走らせた。

私が妻に出会い、ふたりになり、晶子が生まれ、三人になった。
妻が去り、二人になり、晶子が姉夫婦の子どもになり、また私はひとりになった。
姉夫婦は私が晶子の父親だと言ってくれるが、私はそうは思わない。
晶子にとって遺伝子上はつながっているが、これからの晶子の両親は姉夫婦だ。
しかし、私はさびしいとは思わない。
どちらかというと、元に戻ったというような気持ちになる。
私が芝居の裏方をしているためかもしれない。
ホールの裏方は私に似合っている。
人気歌手が、コンサートの後、
「タバコ吸ってもいいですか」
と私に聞くことがある。
全館禁煙のホールの中で、私だけが吸える場所を知っている。
二人で黙って煙草を吸うこともある。
「ツアーが終ると、なんだかさびしい気持ちになりますね。みんないなくなってしまう」
そう言った歌手もいた。
年越しツアーの終ったあと、屋上に案内して、二人で日の出を見たこともあった。
家族もツアーも、一人が大勢になり、また一人になる。

車を止めて、砂丘に向かう。
草むらの中に一本、踏みしだかれた細い道が続く。
私の腰あたりまで伸びた丈の高い草が壁になっている。
午後の光が、草の葉に差している。
駆け下りれば、そこは海だ。
日本海。
水平線が見える。
砂浜に行く前から、波の音は聞こえていた。
砂浜に寝そべって、空を眺める。
入道雲は、はるか水平線にそびえたち、私のすぐそばには、ちぎれた綿雲がある。
その下に、ところどころ灰色の雲がある。
今日も土砂降りの雨が、何度か降った。
あの雲の下を、私は車で走っていたのだろう。
砂が温かい。
私のそばにいない二人の、人肌の感覚を私は思い出し、目を閉じる。