Novel(百物語)
02ten

枝のおばさん

私には幼い頃、「えだのおばちゃん」と呼んでいた人がいた。
私を褒めてくれ、おいしいものを持ってきてくれる、大好きな人だった。
母が「枝おばさん」と呼ぶ人もいた。
たしか、祖母の姉妹のひとりだ。

私は「枝おばさん」とは「えだのおばちゃん」だと、ずっと思っていた。
その二人が別人だったことが、ようやくわかった。
「えだのおばちゃん」と呼んでいたのは、私一人で、私が勝手に名付けていたらしい。
私が「えだのおばちゃん」と名付けた人は、枝を持って我が家に来た。
今、考えれば行商のおばさんだったのだろうか。
梅の花、桃の花、桜の花、春は花の枝が多かった。
蕗の束を持ってくることもあった。
七夕近くなると、小ぶりの笹竹を持ってくることもある。
色づいた紅葉の枝を持ってきたこともあった。
幼い私から見ると、おばさんはいつも枝を持ってくるような気がした。
こんなに憶えているのは、おばさんが食べ物も持ってきてくれたからだ。
桜餅、柏餅、牡丹餅、おはぎ。
そのほかにも、焼き芋や干し柿などがあった。
茹でた栗もあった。
どれもおいしかった。
おばさんが来るのを、いつも私は楽しみにしていた。
おばさんは我が家に来ると、よいしょと背中の風呂敷包みを下ろす。
それから、母とひとしきりおしゃべりをして帰っていく。
帰る時に、また、よいしょと荷物を担ぐ。
おばさんの腕は太く、腰も尻も大きい。
ひょろひょろした母親とは、全く別種の体つきをしている。
おばさんは手ぬぐいで髪を覆っている。
荷物を下ろすと、それが合図のようにおばさんの頭から手ぬぐいも取り去られる。
しわだらけの顔でにっこり笑い、
「ぼっちゃん、大きくなったなあ。奥さん、いい坊ちゃんですよ」
と、言ってくれた。
おいしいものを持ってきて、その上、褒めてくれる人を、私が忘れるわけがなかった。

久しぶりに実家に帰ったのに、おふくろと喧嘩してしまった。
まさか、妻にはそんなことは言えない。
「いい年をして、何してきたんですか。
おふくろの調子が大丈夫かどうか、見てくる、そう言ったのはあなたでしょ。
こどもの使いじゃあるまいし、喧嘩して帰ってくるなんてばかみたい」
そう言われるに決まっている。
こちらが反論する隙もなく、シャワーのように小言が降りかかってくるにちがいない。
妻と言っても、今となってはこわいおばさんだ。
結婚して、すでに二十年が過ぎた。
結婚した頃の女性と、今、同居している女性が同一人物だとは、どうしても思えない。
もっとも、妻も私のことをそう思っているにちがいない。
おふくろと喧嘩し、妻にまでこきおろされては、こちらも立つ瀬がない。
せっかくの休日がだいなしになるから、帰宅しても何も言わなかったのだが、敵もさるもの、何か勘づくらしい。
「おかあさん、お元気でしたか」
と私が帰るなり、妻は聞いてくる。
曖昧な返事をすると、
「おかあさんとけんかしたんでしょう」
と図星をついてくる。
「そんなわけないだろ」
と虚勢を張るが、自分でもどこか頼りない。
妻はにやにや笑っている。
相手が劣勢だと嬉しいらしい。
全く憎たらしい奴だ。

帰省という言葉の意味をふと考えたのが、そもそもの間違いだった。
帰省とは帰郷なり、とばかり思い込んでいた。
帰省は、故郷に帰って、父母の安否を問うことであり、帰郷は、故郷に帰ること、と辞書には書いてある。
故郷に帰ったら、年老いた両親の顔を見たり、親孝行をしたりするものだろうから、帰省と帰郷は、私がこれまで思っていた通り、結局は同じことだと私は結論付けた。
ふと、私は省という言葉を漢和辞典でひいてみた。
省と言う字は、親の安否をよくみてたしかめる、とある。
そんな意味があったのかと、私は驚いた。
親のきげんを朝にうかがうのを定、夕方にたずねるのを省という、とも書いてあった。
定も省も、小学校で習う。
小さいときから知っている漢字にそんな意味があるとは、初耳だった。

母は、父が亡くなった後、一人で暮らしている。
私たちが住んでいる町から電車で約一時間、近いものだ。
直線距離にしたら、もっと近い。
今日、私は車で出かけたから、三十分ほどで着いた。
父親の仕事で転勤続きだった私には、故郷といえるものがない。
両親は退職後、それまでの赴任地の中で一番気にいった場所に家を建てて住んだ。
私もまた、転勤の多い職業についてしまった。
偶然にも、今の勤務地は両親の家に近かった。
母はまだ元気で、私や妻が格別気にすることもない。
だから、ほとんど私は母のところに行くこともない。
母や私が住んでいるこの土地は、私たちの故郷ではない。
帰省などという言葉は私とは縁がないものだと思っていた。

帰省とは、夕方仕事から帰ってきたら
「ただいま帰りました、母上、今日も一日お変わりございませんでしたか」
と、尋ねることにほかならない。
「へええ」
と、私は感心した。
故郷などないから、帰郷もないし、ついでに帰省もないさ、とうそぶいていたのが恥ずかしい。
これはさっそく母に帰省でもしてくるか、と柄にもないことを思いついたのが昨日のことだった。
午前中に出かけたのだから、厳密に言うと、省ではなく定のほうになる。
やはり、そんな生半可な気持ちで行ったのがよくなかった。
母も最初は上機嫌で、近所のこと、政治のこと、最近のテレビドラマのことなど、私に話しかけてくる。
こちらもしばらくぶりの親孝行をしている気分で、鷹揚に相槌を打っていたが、すぐに化けの皮がはがれてきてしまった。
「おふくろもよくまあしゃべるもんだね。おやじもさぞかし大変だったろうな」
などと口にしたから、たまらない。
それからは、近所の人、幼馴染、親戚の悪口が急に止んで、私への攻撃一辺倒になってしまった。
そうなるとこちらも負けてはいられない。
五十近くのおじさんが、まるで中学生のように親に口答えをするはめになってしまった。
昼時になった。
近所のそばやからとった
天丼と天ぷらそばを、二人とも黙って食べた。
「あんたは天丼だろ」
と言われ、本当は天ぷらそばを食べたかったにもかかわらず、
「ああ」
と言ってしまった。
食べ物の恨みまで加わってしまった。

私がおふくろのおしゃべりを苦々しく思ってしまったことには、きっかけがあった。
おふくろの絶え間ないおしゃべりの中の、親戚編とでもいうべきところで、私が
「その人が、えだのおばちゃんなのかな」
と、聞いたからだった。
おふくろはおしゃべりを珍しく止め、
「誰よ、そのえだのおばちゃんって」
と私に聞いた。
「ほら、よくうちに来ていたじゃないか。
私がそう説明すると、母は、何をくだらないことを言っているのかというような表情をした
「枝おばさんは、うちには来てませんよ。いったいあんたは何、寝ぼけたこといいだすのかね」
それからは、どうやっても話があわない。
そのうちに、私も枝おばさんと言う人は、祖母の姉妹で、自分の「えだのおばちゃん」
とは違うことがわかった。
それではせめて、あの「えだのおばちゃん」の身元でも、と思ったのだが、情けないことに母は全く記憶から消え去っているらしい。
残念だった。
母があのおばさんを忘れているとは。
あのおばさんが持ってくる花の枝を、母はお気に入りの大きな花瓶に飾っていたのに。
時には、生け花もどきのこともした。
母が、行儀よく正座して花を活けている。
珍しい光景だったから、私はよく憶えている。
ようやく互いの誤解はとけ、母はまたおしゃべりを続けた。
無駄な話はよくするのに、私が聞きたいことはひとつも憶えていないんだな、と皮肉な気持ちになっていたのが、失敗だった。
母とは喧嘩をし、妻からは思いつきの親孝行を皮肉られ、さんざんな休日だった。

「えだのおばちゃん」は今頃どうしているのだろう。
もうなくなってしまったかもしれない。
元気でいてくれるといいなと私は思う。
あのしっかりした体つきなら、もしかしたらまだ健在かもしれない。
大きな胸、大きな腰、太い腕、そんな枝のおばさんが元気でこの世にいることを、私は心から願った。
おばさん、元気ですか、お体、大丈夫ですか。
おいしいものをいつも持ってきてくれて、ありがとうございます。
省でも定でもいいから、おばさんに挨拶してみたい。