Novel(百物語)
02ten

おじいちゃんの木の家

おじいちゃんといっても、祖父でありません。
橘木工店社長、橘太一。
これが、おじいちゃんの名前です。
小学三年生の夏休み、私は生まれて初めて引越しをしました。
母と二人、移り住んだ小さな家の隣人が、おじいちゃんでした。
橘木工所の敷地内に、おじいちゃんの大きな家と私たちの小さな家があり、おじいちゃんは大家さんでした。

木工所は、コンクリート塀ではなく、古びた木の塀に囲まれていました。
門柱は電信柱くらいの太さの材木で、大きな表札が打ちつけられていました。
「橘工務店」と墨で書いてあります。
表札の幅のほうが、門柱のそれより大きいのが、私には気になりました。
門を入って振り返ると、表札の裏に何か書いてあります。
引っ越した日のことでした。
書かれている字を読みたくて、私は門柱と表札の隙間を覗き込みました。
「気になるかい」
頭の上から大きな声がしました。
振り向くと、体の大きなおじいさんが立っていました。
「橘工務店と書いてあるんだよ。大きな仕事をしなくなったから、名前負けするように思えてね。橘木工所に書き直したわけだ」
「たちばなって・・・」
「わたしの名前さ。おや、ばあさんから聞かなかったかい」
おじいさんは急に声色を変えて
「たちばなは、みかんのことであります。私はみかん太一と申します」
と真顔でいい、にやっと笑いました。
見知らぬ大人と声をかわす勇気もない小学生の私が、あのときなぜ、おじいちゃんと会話ができたのでしょう。
不思議です。
体が大きくて、大きな声を出す男の人は苦手なはずなのに。
みかん太一なんて名前がおかしくて、私は笑い声まであげました。
小さな女の子が笑ったのに気を良くしたのか、おじいちゃんは私を木工所に入れてくれました。
高い天井にまで届く、大きな材木も見せてくれ、触らせてくれました。
その中に、特別な木がありました。
「いいかおりがするんだよ。嬢ちゃん、来てごらん」
顔を近づけると、その木は不思議な香りがしました。
私には、おじいちゃんが言うような、いい香りだとは思えませんでしたが。

引っ越してきた小さな家を、私はすぐに好きになりました。
玄関の引き戸を開けると、広めの土間があります。
六畳一間と小さな台所、トイレがあるだけです。
本当に小さい家でした。
しかし、あの当時、そういう家はあちこちにありました。
小さな家に住んでいた人は、たくさんいたのです。
私が好きになったこの家は、仕掛けが色々ありました。
例えば、明日の学校の準備をするとします。
私は、ランドセルに明日の時間割の教科書とノートを入れ、押入れの下の段にしまいます。
そこには使い勝手のよい棚がついていました。
翌日の授業に必要のない教科書や体操着、絵の具道具は、そこにきちんと並べました。
お人形のベッドにぴったりの棚もありました。
押入れの段の上下には、横に並んでそれぞれ二個ずつ、引き出しもついていました。
下の段の引き出しは宙に浮いているようで、私には面白く感じました。
上の段は母の服、下の段は私の服が入っています。

押入れの上の段には、布団を入れます。
上の段も、途中に棚があり、そこに毛布やシーツを載せました。
一番上の棚に、母は大切な着物を置いていました。
仕掛けは、押入れの中だけではありません。
トイレの壁には、隠し戸棚がありました。
他にもありましたが、私は母にも秘密にしていました。
なぜなら、そこに母の誕生日のプレゼントをしまっていたからです。

私はこの小さな家が、不思議でなりませんでした。
母によく尋ねていたからなのでしょう。
ある日、母が得意そうに教えてくれました。
「この家、橘のおじいちゃんが作ったんですって。大工の見習いの人たちが住んでいたそうよ。家の中の棚は、見習いの人が練習用に作ったものらしいの」
橘工務店の頃は、通いの大工だけでなく、住み込みの見習いもたくさんいたそうです。
彼らのために建てた小さな家がそのうち空き家になり、そこに私たちは転がり込んできたのでした。
「だから、玄関に入るとすぐに片付けられるようになっていたのね」
なんだか納得したような顔をして、母は私にそう言いました。
土間は二畳ほどあって、脱いだ作業着を掛けたのではと思えるフックや、大工道具をしまえる棚があったのです。
真鍮のフックは六つもありました。
私たちの持っている上着を、すべてかけることができました。

靴箱はありませんでしたが、長四角の大きな箱がありました。
長持ちというのだそうです。
「長餅」と聞こえて、私はびっくりしました。
「お餅が入っているの」と私は母に尋ね、母が笑いしました。
自分が変なことを言ったことに気づき、私も照れ笑いをしました。
「ちゅんちゅん小すずめ、親すずめ」
私たちがふたりで笑ったりしていると、橘のおばあちゃんはそういってからかいました。
母は、月末になると、家賃をおじいちゃんの家に持っていきます。
私はいつもついて行きました。
出てくるのは橘のおばあちゃんで、母は家賃を渡しても、しばらく立ち話をしています。
私はその横で立ったりしゃがんだりして、二人の話が終わるのを待っています。
「ごめんね、おしゃべりばかりして」
おばあちゃんは私にそういって謝るのですが、私は二人の間にいるのが好きだったのです。
おばあちゃんは、おすそ分けが好きでした。
わたしはその家で、「おすそ分け」という言葉を知りました。
「おすそ分け」は楽しいものでした。
家賃を渡した日の夜、領収書を持って、おばあちゃんは私の家にやってきます。
「これ、おすそ分け」と言って、野菜や漬物やおかずを母に手渡します。
母がお礼を言っている横で、私はおばあちゃんのおすそ分けをちらちら見ています。
私が一番大好きだったおすそ分けは、おばあちゃんお手製のちらしずしでした。

長持ちは、私にはちょっと高いベンチでした。
鉄棒に腰掛ける要領で、私はやっとの思いで長持ちに座ります。
玄関の戸を開け、長持ちに座って木工所の敷地を見るのが、私は大好きでした。
雨の日が特に好きでした。
空から絶えることなく、雨が落ちてきます。
風が強い日は、雨も揺れます。
草も揺れ、木の葉も揺れています。
雨は降り続け、木の塀も、家の壁も、土も雨に濡れて色が変わっていきます。
母は家にいるときは、すぐに玄関の戸を閉めてしまいます。
湿気が家の中に入ると病気になるといって、母は嫌がるのでした。
しかし、私は土間に雨が吹きこんでくるのも大好きでした。
引っ越した日以来、私が木工所に行くことはありませんでした。
私が朝、登校する頃、おじいちゃんはすでに、木工所の中にいます。
窓際にある机に新聞を広げ、読んでいるのが見えます。
「おはようございます」
私は意識して大声を出します。
「嬢ちゃん、おはよう」
おじいちゃんも、開いた窓から挨拶を返してくれます。
おじいちゃんは、私の名前を呼ばず、いつも「じょうちゃん」と言いました。
帰宅したときも同じです。
「ただいまあ」
「おかえり」
互いに大声を出しますが、その後が続きません。
私はそのまま家に入り、母が用意したおやつをひとりで食べます。
友達もたくさんできましたし、学校では皆と仲良く遊んでいました。
しかし、友達の家に放課後、遊びに行くことは、あまりなかったように思います。
私の家が、学校からも友達の家からも遠かったせいもありますが、仕事から帰ってくる母を待つほうが、私は好きだったのです。
母の鏡台の鏡を磨いてみたり、洗濯物をとりこんだり、私なりのお手伝いをして、私は日暮れまでの時間を過ごしました。
私が不安でなかったのは、木工所にはおじいちゃんが、大家さんの家にはおばあちゃんがいることを知っていたからにちがいありません。
おばあちゃんが家の中で、何か仕事をしている音も聞こえてきましたから。

おじいちゃんの小さな家に、私たちがいつまで住んでいたのか、憶えていません。
一生懸命、記憶をたどってみるのですが、幼いころの思い出は本当にはかないものです。
おじいちゃんの話を学校でしていて、横を通りかかった先生が、
「もうあなたたちは、おじいちゃんじゃないでしょ。祖父と言う癖をつけなくてはね」
と注意されたことだけは憶えています。
私は友達に、おじいちゃんの何を話したのでしょう。
橘のおばあちゃんと違って、おじいちゃんとは登下校の挨拶しかしていないのに。
大きくなって、私は都会で学生生活を過ごしました。
その後は、仕事の縁で、九州の小さな町に暮らしています。
しかし、地方と言っても、都会の人が思うほど緑に囲まれているわけではありません。
散歩に行きたくなるような公園もありません。
車で少し行けば、すぐに山が見えますから、公園を作る気持ちにならないのかもしれません。
しかし、その山は他人の持ち物ですから、遠くから眺めるしかありません。
パチンコ店と大型スーパーが国道沿いにあるだけの、殺風景な風景です。
家と仕事場とスーパーの三ヶ所を、私は軽自動車で回っています。

おじいちゃんの小さな家で暮らしたあのころを、ふと思い出すことがあります。
軽自動車に乗って帰宅の途中、自分が、あの小さな家に帰っていくような錯覚にとらわれる時があります。
母は、私が就職してまもなく病気で死にました。
病気が見つかって、あっというまでした。
母も私と色々話したかったようですが、住む場所も遠く離れていて、結局何もできませんでした。
最後まで、互いに口にしなかったことがあります。
私の父のことでした。
私は、自分の父がどういう人なのか知りません。
悩んだ時期もありましたが、今は少しだけ淡々とした気持ちになりました。

いつの頃からか、私はひそかに、父は橘という姓だったと思うようになりました。
祖父母が、母と私をそっと見守っていたと想像するようになったのです。
私の勝手な妄想なのですが、案外、妄想というのもいいものです。
私の頭の中だけなら、あれから一度も会うことのなかった大家さん夫婦に父の親代わりになってもらっても、迷惑をかけることもありません。
何より、私は自分に自信がつきました。
母を失った悲しみにもどうにか耐えることができました。
あの小さな家は、私の妄想を支えてくれる、頑丈な木の家です。
おかげで、私はあの頃同様、ひとりで元気に過ごしています。