Novel(百物語)
02ten

ロケ地顛末

バスを降りて展望台入り口までやってきたものの、岬がどちらの方角か、迷った。
放射線状に、道が何本も広がっているのだ。
「展望台はそっち。えらく時間、かかりますよ」
バイクにまたがった中年の男性が、私に声をかけた。
「ほら、トンネルがあるでしょ。あそこを抜けていくんですよ」
私は男に礼を言った。
確かによく見れば、トンネルの上に、岬方面と書いてある。
岬を目指して、私は歩き始めた。
恥ずかしいことだ、道を忘れるとは。
ロケ地の計画段階で、私は何度もここに来ていたのだが。
仲間と一緒のときは、話に夢中で、皆の後について歩いていたのだろう。
あの廃墟の建物を目に焼き付け、展望台から灯台を眺め、私は故郷を後にしようと考えていた。

故郷を映画ロケ地にするプロジェクトは、失敗に終わった。
一年以上、この計画に関わった私には、寂しい限りだ。
この小さな町に、再び活気が戻ってくるのを、私なりに夢見ていたのだ。

新聞は、地方の過疎が深刻化している、限界集落が増えていると伝える。
私が生まれ、育った町も、例外ではない。
町の人口は、減り続けている。
空き家が増え、観光地もホテルもさびれている。
私が幼いころは、観光と言っても、民宿くらいしかなかった。
それでも、夏になると、近くの町から家族連れがたくさん泊まりにきていたものだった。
きれいな砂浜と漁港の町が、私の故郷だ。
東京で私が働きはじめ、久しぶりに帰省すると、海に面してホテルが建っていた。
驚いた。
故郷が活気にあふれているように思えた。
幼馴染も何人か、ホテルで働いていた。
楽しそうだった。
無理して東京で働かなくても、本当はよかったのかもしれない。
私はそう思った。

十年もたたないうちに、世の中は変わった。
ほとんど税金で建てられていたホテルは、もともと採算がとれるようなものではなかった。
経営という観念のない人たちが、作ったホテルだった。
立派な建物に客がたくさん来ていたのは、破格の料金だったからにすぎない。
経営母体が変わったものの、どんなにがんばっても赤字にしかならなかった。
そのうち、ホテルは人手にわたり、数年するとまた人手に渡った。
幼馴染の夫婦が二人だけで、管理しているらしい。
そんなことが可能なのだろうかと驚いた。
もしそうだとしたら、ホテルというよりは、簡易宿泊施設というしかない。

私も一度だけ、故郷のホテルに泊まったことがある。
結婚式もしなかった妻へ、一年後、遅ればせながらの新婚旅行だった。
部屋は全室、海に面している。
波の音が聞こえる。
泊まった日は、ちょうど満月だった。
バルコニーに部屋の椅子を持ち出し、妻と二人、月を見た。
ホテルの周りは真っ暗だが、月の光で砂浜が照らされている。
「ほら、あそこ」
妻が指差した。
水平線のあたり、海面が銀色に光っている場所がある。
満月が照らしているのだ。
「かぐや姫のお話を信じることができるわね、ここにいると」妻は静かにそう言った。
静かな波の音と銀色の光に照らされて、大きな声で話すのが憚られる。
妻のそういう気持ちが、私にもわかった。
「いいところだったわ」
妻はそう言ってくれた。
翌日、砂浜を散歩した。
もう秋になっていたから、泳ぐことはできなかった。
「くらげが出ているから無理なんだ」
泳がなくてもいいから水に入りたいとねだる妻を、私は説得した。
二人、砂浜に寝転がり、他愛なくじゃれあった。
そのうち、妻は私の足に砂をかけ始め、私の足を芯にして砂山を作って遊んだ。
「動いちゃだめよ」
妻の言うとおり、じっとしていると、砂の温かさが足にしみわたる。
「ほら、トンネルから出てきた新幹線」
妻は子どものようにはしゃいでいた。

あれからもう長い月日が過ぎた。
ホテルは閑散とし、ホテルというよりはコンクリートの箱と化している。
岬の先の建物はもっとひどい。
ホテルの開業に合わせて、町が作った小さな研修施設だった。
ちょっと見た目は、理科教室のようだ。
椅子と机が並び、講演会もできる。
妻と岬まで歩いたときは、まだ普通の建物だった。
「事前予約をしなくては使えないし、ホテルに来た客が使うことなんてめったにないんだよ」
幼馴染のひとりは、私にそういった。
当時、彼はホテルの副支配人だった。
「お前なら、なにかアイデア、出てこないか?町役場からも、もっと使ってほしいと言われているんだよ。でも、作ったのはそっちなんだから、よく言うよってホテル側は文句言ってんだけどね」
あの頃はまだ、誰もがのんきだった。
今は、お化け屋敷だ。
窓ガラスはほとんど割れている。
室内は埃だらけで、蜘蛛の巣が張っている。
椅子や机が整然と並んでいるだけに、かえって落ち着かない。
都会なら、とっくの昔に浮浪者が住み着いているだろう。
この町には、そういう人間すらいない。
コンクリートで頑丈に造ったせいで、壊すに壊せないらしい。
岬の近くまで重機を運ぶこともままならないと、幼馴染が言った。
「お前と奥さんが遊びに来てくれた頃が懐かしいよ」
父の葬式で久しぶりに帰省したとき、彼はそういった。
妻は死んでもういない、とは言えなかった。
「奥さんは来ないのかね」
父と同じくらいの年恰好の親戚に何度も尋ねられ、同じ答えを繰り返していたから、もう口にしたくなかった。
妻との思い出の場所が寂れていくのは、つらかった。
映画を作っている若者たちのグループと偶然知り合ったのは、その頃だった。
映画祭があちこちで開かれていることも、彼らから教えてもらった。
考えてみれば、私はいつのまにか映画を見なくなっていた。
ふとアイデアがわき、彼らにその建物の話をした。
岬に向かう木々の生い茂った道、視界が開けると、波がぶつかる大岩が見える。
トンネルを抜けると、廃墟と化した、教室のような建物。
セットで作るよりも、もっと怖そうなホラー映画にならないだろうか。
話はとんとん拍子で進み、ロケ地になりそうな勢いになった。
もうホテルとはいえないあの宿泊施設も、少なくともスタッフが使ってくれる。
映画のロケ地として、話題になるかもしれない。
格好の場所として、これからも使ってくれるかもしれない。
町役場も乗り気だった、最初は。
思わぬところから横槍が入ったのだ。
「廃墟の町はいやだ、との感想があるんですよ」
住民からの反発だった。
「廃墟の町とは言ってません。
あの建物を使うだけなんですから。
たくさんの若者が泊まってくれて、元気な姿を見せてくれたら、いいと思いませんか。
海もきれいだし、絶対、浜辺を気に入ってくれますよ」
私は熱くなっていた。
自分だって、この町の出身者だ。
町が元気になることを願っていた。
壊すに壊せない建物だって、使いようによっては役立つかもしれない。
「寅さんや釣りバカ日誌ならいいんですけどね」
そんな声まで出てき始めていた。
「やはり、自分たちの町ですからね、きれいな町として発信したいのは当然じゃないでしょうか」
町役場の人間にそういわれて、私はだんだん腹がたってきた。
棚からぼた餅のように、いつかこの町にいいことでもやってくるのだろうか。
「自主映画で悪かったな。お化け映画じゃ、気に入らないんだろ」
そう毒づきそうになるのを、私はやっと抑えた。
「僕たち、使わせてもらえるんでしょうか」
自主映画製作の若者たちが、心配そうに相談にくる。
最初の感触とは違ってきていることを、彼らも理解しているようだった。
「すまない。きちんと話し合って了解してきたんだが」
結局、私たちの申し込みを快諾したはずの担当者も、責任をもってくれなかった。
「住民の方々の意見も大事ですから」と計画が尻すぼみになるのは、寂しいことだった。
「あの人たちも大変ですよね」
若者たちは役場の担当者にも優しく、土地の者たちを責めようともしない。
なんだか、私より年長者に見えてくる。
なぜ怒らないのだろうと、一瞬、若者たちにまで怒りを覚えた。
しかし、すぐに気がついた。
彼らは、私の何倍もこのような経験を積んでいるに違いない。
何よりも映画が好きな若者たちだった。
中年を過ぎてもまだ幼稚な自分が、恥ずかしかった。
「残念でしたが、これもまた楽しかったです。
いい経験でした。
あの岬まで歩き、砂浜で遊んだのですから。
色々ありがとうございました。
また飲みましょう」
若者たちと別れたのは、昨日のことだ。
今日、私の携帯にメールが入っていた。
確かに、私も楽しかった。
広告代理店関係の人間は、仕事柄、少しは知っているが、あの若者たちはまた違ったものを感じた。
一応、仕事に余裕があるとはいえ、私も一年分の遅れを取り戻さなくては。
長い休暇みたいなものだった。
仕事をやめたら、故郷に帰ろうか。
ここ数年、そんな考えが頭をよぎっていた。
今はもう消えた。
ロケ地計画で、この一年、私は一生分故郷に帰ったような気がする。