Novel(百物語)
02ten

波打ち際

窓から波の音が聞こえてくる。
「しずさん、元気ですか」
どこからか、声が聞こえる。
食後の巡回だ。
わかってはいるものの、しずさんは目を開けることも、話すこともままならない。
ベッドの上に横たわったまま、声の方向にしずさんは頷いてみせる。
「しずさん、ゆっくりやすんでいてくださいね」
足音が遠のいていく。
波の音に混じって、しずさんの耳に、今度は懐かしい女たちの声が聞こえてくる。
しずさんはベッドにいるのだが、しずさんの気持ちだけは若返って、海辺の生活の頃の思い出に戻っていく。

「しずさん、遅かったね」
振り向いて、誰かがしずさんに声をかける。
女たちが浜辺に座って、夕暮れ時のおしゃべりを楽しむひと時だ。
夕食の片づけを急いで済ませ、しずさんは浜辺にやってくる。
こどもたちは宿題にむかい、夫は机に向かって書き物だ。
暑い一日が、今日も終わった。
体は汗ばんでいて、水に入るのが待ち遠しい。
泳ぐわけではない。
女たちは、服のまま、水に入る。
海藻のように波と戯れ、波打ち際に座る。
一日中太陽に焼かれた小石は温かく、下半身の血行をよくしてくれる。
温かい石の上に座り、女たちのおしゃべりははてしない。
子どものこと、舅のこと、畑のこと、天候のこと、夫のこと。
笑ったり、つつきあったり、口をとがらしたり。
女たちも、ここに来ると、なんだか少女のようになる。
しゃべりながら、しずさんも足を動かしたり、水に深く入ったりする。
一日の疲れがとれていくようだ。
「暗くなったから帰ろう」
誰ともなく、立ち上がり、服の水を絞る。
こうやって歩いているうちに、ずいぶんと乾いていく。
家の外の水道で水をかぶるか、風呂に入る。
しずさんは、実はこのままが一番好きなのだが。

女たちは、よその家のこどものこともよく知っている。
だから、互いに話すこどもの愚痴もよくわかる。
浜辺に母親が座っているのは、何も夏の夕方に限ったことではない。
生まれてきた子どもが歩き始め、夏になると、母親は子どもを海に連れて行く。
小さな子どもの肌は、あせもを作りやすい。
さらっとした肌にしてやるために、若い母親たちは、子どもを連れて浜辺に行く。
卵からかえった海がめの赤ん坊が、よちよちと海にむかうのと同じ光景がそこにある。
どこでこどもをつかまえないとあぶないか、母親は知っている。
初めての子どもを持った母親でも、大丈夫だ。
かたわらで教えてくれる女たちがいる。
末っ子の子どもを遊ばせる母親などは、そのあたりの呼吸ときたら、大したものだ。
こどもは波にあそばれているが、そのうち、いつしか波と戯れている。
目は子どもを追いながら、母親たちは浜辺でおしゃべりをしている。
浜辺に長くいるわけではないが、母親にとって、こどもの水浴は、家を抜け出てくる口実なのだ。
だから、母親も楽しい。
女たちの楽しい気持ちは、幼いこどもたちにも感じられるのだろう。
こどもたちは互いにからまりあい、こづきあいながらもどこか楽しそうだ。
しずさんの子どもたちが、大きくなった時、答えるのに苦労する質問がある。
「いつから泳げるようになったの」
さあ、いつからだろう。
気がついたときは、水の中でも遊んでいた。
人が、自分が最初に歩いた日を憶えていないように。

しずさんと一緒に、浜辺でこどもたちを遊ばせた女たちは、もういない。
しずさんは波の音を聞きながら、あの頃を思い出す。
彼女の体から、海の思い出がさまよいだしているようにも思えてくる。