Novel(百物語)
02ten

講演会

講演会は無事に終わった。
形ばかりの質疑応答が終わると、多田ほのかは会長さんに案内されて別室に通された。
出されたお茶がおいしかった。
お茶を心から味わったことで、今日の講演が終わったのを彼女は感じた。
管理栄養士として、月に何度も講演をしているにもかかわらず、始まる前は緊張して、何を口にしたかも憶えていない。
聴衆の前で話し始めると、かえって落ち着き、楽しいくらいなのだが。
話すばかりだと聞き手が飽きるので、工夫を凝らす。
以前は黒板、この頃はホワイトボード、またはパソコンとつないだスクリーンを使う。
時によっては、軽い質問を聞き手に投げかける。
この人なら答えてくれそうだ、という相手を、話しながら探すのだ。
ほのかが呼ばれるのは、PTA主催の講演会、保健所主催の飲食店向け講演会など学校、官庁関係が多い。
企業向けのセミナー等も、近頃は少しずつ多くなっている。
今日のようなこじんまりとした町会向けというのは、珍しかった。
町会会館の二階、八畳を二部屋開け放っている。
なんとものどかだ。
窓を背に、ほのかは「家族も喜ぶ高齢者向けの食事」という演題で話をした。
畳の部屋だが、寺や割烹でも使っている、低めの椅子が用意されていた。
近頃は膝の悪い人も多いのだろうと、話しながら彼女は思った。

椅子を片付ける音を聞きながら、彼女は二杯目のお茶を飲み干した。
目の前には重箱があり、二色のおはぎが並んでいる。
きなことこしあん。
「先生、もっと召し上がってください」
と言われなくてもおかわりをしたにちがいない。
「おはぎ、おいしいですね。手作りではありませんか」
接待している小柄な女性が微笑んだ。
「そうなんです。先生におはぎを召し上がっていただこうと、会長さんの奥さんが張り切って作ってくださったんですよ。お邪魔でなかったら、お土産にお持ちになりませんか。
私たちもたくさんいただいていますから。」
思いがけない贈り物だった。
ほのかは喜んで受け取った。
オフィスに戻ったら、お茶を入れてスタッフにおすそわけしよう。
そう思ったら、急に元気が出てきた。
しばらく雑談をしたあと、会長さんに挨拶し、ほのかは町会会館を後にした。
タクシーを呼ぶからと言われたが、夕方の町を歩きたかった。
駅まで十五分なら、大したことはない。
見知らぬ商店街をのぞきながら帰るのは、女性の楽しみだ。
先週の講演会の時も、見知らぬ商店街で乾物屋を発見した。
多種多様の豆が売っていた。
乾物だから、日持ちがする。
すぐに使わなくても大丈夫と、ついつい買い込んでしまった。
正月用の黒豆まであれこれ選んでいたら、とんでもない重さになってしまい、宅急便で自宅に送る羽目になってしまったくらいだ。
「江上さあん」
後ろから声がする。
先ほど、町会会館でおはぎを包んでくれた女性だ。
自転車に乗っている。
前のかごに、荷物をたくさん積んでいる。
彼女の分のおはぎも入っているに違いない。
「すみません、お伝えした道、少し間違っていたんです。二番目じゃなくて、三番目の信号を左折です。駅に着くことは着くけど、商店街を通らないんで、申し訳なくて」
気のよさそうな顔に笑顔がのっかって、話していても気持ちがいい。
彼女は自転車を押して、ほのかの横を歩く。
「私は、あそこから右なんです。ちょっとだけですが」

どこか変わった通りだと、歩きながら感じた。
最初、理由はわからなかったが、小さなイチョウの木を見てわかった。
「この通り、いろんな木がありますね。
街路樹というには、バラエティに富んでいるような」
「やっぱりそう思うでしょう。会長さんは、いい顔してないんです。見場が悪いって。みんなが勝手に植えてしまっているからなんですよ」
自転車の女性は、いかにも申し訳なさそうな顔をした。
たしかにそのとおりだ。
歩いている間に、イチョウ、柳、モミジ、ツツジ、サクラの木を見た。
ゴムの木や巨大なアジサイもある。
なんの統一もない。
「ただね、いろんな花が季節ごとに咲くから、楽しいんです。実をつける木も多いんですよ。びわもあるし、梅もあるし、ほら、これは夏みかんです」
自転車をとめて、彼女は指差した。
濃い緑の葉をたくさんつけている木。
人間で言うと中肉中背。
見上げると、葉と同じ色をした握りこぶしくらいの実があちこちに隠れている。
「実がなると、私もひとつ、こっそりもらってるんです。酸っぱくて砂糖かけないと食べられないけど」
「鰯や鯵を三枚に下ろしてしめたものを、夏みかんの絞り汁かけるとおいしいですよ」
「やっぱり先生、プロですね。それなら、今年はもう少しもらうことにしようかな」
彼女は立ち止まり、自転車のサドルに座りなおした。
「作ったら、会長さんに持っていくことにします。会長さん、あの夏みかん、抜こうっていつも言ってるから」
「それでは」
と挨拶して、彼女は走り去っていった。

ほのかは思い出す。
幼いころ住んでいた家の庭にも、いろんな木があった。
けっして広い庭ではないのだが、びわや夏みかん、いちじくの木もあった。
どれも、食べた種を植えたもの。
苗木を買って植えたものではなかった。
だからいつまでも大きくならず、邪魔物扱いされていた。
それでも、ほのかは高校の頃、庭のびわを食べたことがある。
実は小さくて甘いとはいえなかったが、ひとりで木に登り、木の上で食べた。
今度、お年寄り向けの講演会があったら、こんな話をしてみようかとほのかは思った。
きっと誰もがそんな思い出があるに違いない。

この町の商店街が見えてきた。
夕暮れ時、店に明かりがつき始めた。