数字の言葉
永井さんのこのごろの悩みは、自分の体調と小三の三男のこと。
十歳の男の子は、日常の言葉をすべて数字にしたいと夢見ている。
〇一四一は「おいしい」
三五一〇は「みごと」
と変換し、言葉が作れると、自慢げに見せる。
暗証番号等の数字を忘れないように、日本語に変換しておく以前からある発想なのだが、三男にとっては、新大陸を発見したかのような喜びようで、一日そればかり考えている。
当人の話をよく聞くと、数字を言葉に変えるのではなく、日本語自体を数字にしたいらしい。
日本語もまだ怪しい小学生から、当人の大それた願いを聞きだし、理解するまでに、永井さんは日曜の午前中を費やした。
話を聞かなければ、家族も迷惑をかけられ始めていたからだった。
家族間のメモは冷蔵庫に貼ってある。
「明日、お弁当いります 隼人」
「水曜日は飲み会 父」
に交じって
数字だけのメモがあると、理解するのに手間がかかる。
妹にいたずらをして泣かせ、「それっていいことじゃないでしょ」といたずらを叱ると、「一一五一〇」と目を輝かせてメモ帳に書いてくる。
〇一〇三はお父さん
八八一〇はお兄ちゃんの名前 隼人
犬のトムは一〇六
まだ、「お母さん」は考え付かないらしい。
家族から、三男は「ちび」と呼ばれているが、その言葉もまだ、数字化されていない。
実を言うと、永井さんにとって、ちびのことより、自分の体調の悪さのほうが深刻な悩みだ。
病院に行っても「そのくらいなら大丈夫ですよ」と
言われ、励まされているのか、突き放されたのか、わからない。
早朝の弁当作りから始まる食事作りと、多量の洗濯物、四人も子どもがいることで、学校行事等も多いことからの疲れなのか、それとも更年期障害なのか、医者も明確にはしてくれなかった。
高校生と中学生の子どもたちには、母親の体調の悪さを訴えてはいるものの、今一つ効果はうすい。
たしかに、母親の体調よりは、部活の成績と、クラスで気になっている女の子のしぐさのほうが、気になるのは当然だった。
ちびは、授業のノートをすべて数字でとろうと努力しているらしい。
あまりに汚い漢字練習?を見ても、永井さんは怒る気持ちが失せてくる。
三男でよかった。
これが長男だったら、眠れなくなるほど心配していることだろう。
今は、疲れているのに寝つきが悪く、なんだか体がきつくて、その時だけは三男のことなど忘れている。
逆に言えば、長男のときはそれだけ自分も元気だった。
「お宅はお子さんがたくさんで、ゆった
りとお育ちになって」と言われるが、自分の更年期の心配のほうが、小三の子どもの生活ぶりより大切なだけなのだ。
「お父さんの暗証番号を考えておいてくれないか。近頃は携帯もパソコンも暗証番号ばかりで困っているんだよ」
と夫は呑気に三男にいう。
「お父さんはおぼえるのがもう得意じゃないから、ひとつのお話にして、それを数字にすれば、いろいろな暗証番号も分かりやすいよね」
と三男は言い、まじめに取り組んでいるのだ。
あの子はイソップ童話でも作る気でいるらしい。
それも、全部数字で。
こんなことでいいのだろうかと、永井さんはまた少し心配になる。
「それはたいへんだわね」
お隣の中島さんのおばあちゃんは、同情してくれた。
三男のことなのか、永井さんの頭痛のことなのかは、わからない。
第三日曜日に行われる、町会の公園清掃は六時半から始まる。
夏と冬は、ふだんでも少ない参加者が、一層減る。
今朝はなんと、中島さんと永井さんのふたりだった。
「今日はふたりだから、ここの草むしりだけにしましょう」
と、中島さんはてきぱきと仕事を決める。
中島さんは子どもたちと親しい。
十五年前に引っ越してきた時は、永井さん夫婦と長男だけだった。
それが、あと三人も生まれてしまった。
三男などは、中島さんのお宅でおやつまでごちそうになっている。
末っ子の長女は、今も中島さんと仲良しだ。
親に叱られた時は、いつも中島さんの庭で遊んでいる始末だ。
「けいちゃんも、そんなになったのね。近頃見ないと思っていたけど」
「まあ、私もそんなには心配していないんですけど。
それでも、呑気になり過ぎているんじゃないかと、ちょっと自分を反省していて」
永井さんはそう言いながら、鉄棒の下に生えている草をむしる。
家から草取り専用の道具を持参したから、取りやすい。
一度、土を掘り起こして、草をむしる。
中島さんは、横で、立っている。
時々、永井さんが抜いた草を袋に入れる。
もう草取りは疲れたらしい。
「今度私も頼もうかしら」
「そんなことしたら、あの子、ますます図に乗りますよ」
そう言いながらも、永井さんはちびのことをしゃべった
だけで気がすんだようにも思えてくる。
子どもが怪我をし、熱を出し、その度ごとに親は心配して日が過ぎていく。
子どもを注意し、親は怒鳴り、はたから見たら、親も子も何をしているのかと思うような行動だ。
子育てなどというが、毎日ご飯を食べさせ、風呂にいれ、寝かせただけかもしれない。
そんなことを繰り返し、もうすぐ二十年になる。
親が向上したとは思えないが、燃料切れになって
きたことだけは確かだ。
そんなことを中島さんにぼやいたら、
「あたしはもう燃やす場所に行く年よ」
と笑われた。
家に帰ると、メモがあった。
八八八三五一〇と書いてある。
「母は見事」かしら。
しばらく眺めてから、永井さんは呟く。
ちびの「なんでも数字化」にすっかり付き合っている自分に気付いていない。