Novel(百物語)
02ten

和尚様

母から電話があった。
母は元気よく、父との毎日の生活を話してくれる。
私のことは「元気なの?」とひとこと聞いただけ。
あとは母の一方的なおしゃべり。
小さな町の、いつもの光景が目に浮かぶ。
「町内会の公園掃除で、今日は朝から大変だったのよ」と母は言う。
そのあとで、「そうそう、和尚様が亡くなったのよ」と突然口調を変えた。
「もうすぐ百歳だったから、大往生だ」と、ようやく電話を替わった父は言った。

さびしい。
電話はもう切れているのに、私は携帯電話を耳にあてたままで立っている。
こうしていると、和尚様の声が聞こえてくるような気がする。
どうして、長いこと寺に行かなかったのだろう。
時には実家に帰ることもあったのに。

寺の裏手、池に咲く睡蓮の花が見える部屋。
座り机に向かって、筆を動かしていた和尚様。
私が高校生になったら、それまでの「ゆりちゃん」から「ゆりさん」と呼び方が変わった。
「ゆりさんは元気かね」
両親と寺に伺い、向かい合ってご挨拶を済ませるたびに、和尚様は私に尋ねる。
私がものごころついたときから、おじいさんだった和尚様。
浦島太郎の絵本を読んでもらった時、幼い私は最後の頁の絵を見て、「和尚さま」と呼んだらしい。
もともとおじいさんだったから、いつまでもいつまでもおじいさんのままだと、そう思っていた。

私が生まれ育った小さな町は、幕末の頃は、世間に名を知られた場所だった。
明治になってからも、内戦で町の人間がたくさん死んだ。
寺にある墓地には、享年十六歳、十七歳と記されている若者の名前が多く見られる。
「皆さんと同じ年頃なのですよ」
中学の時も、高校生の時も、学校で歴史を学ぶ度に、教師はそう言った。
街道沿いの町は、鉄道の路線から大きく外れ、寂れていった。
若者たちに、せめて何かを感じてほしいと思っていたのだろうが、残念ながら、あの当時の私たちは、教師を落胆させていたにちがいない。
盆地の夏は暑い。
しつこい暑さだ。
つい、足が寺に向く。
寺は学校の近くにある。
「高校生がお寺なんて、渋いね」と大人になってから言われたが、なんのことはない。
涼しい場所は、寺しかなかった。
家にも学校にも、冷房のない時代の話だ。
私だけではない。
男子も、部活帰り、寺に来ていた。
十六歳の墓碑銘には特別の感情はなかったが、私たち十六歳もまた、寺に集まっていたのだ。
和尚様は、本堂で観光客を相手に寺の縁起を話している。
和尚様の幽霊縁起が、蝉の声と一緒に聞こえてくる。
庭をぐるりと回り、池に行く。
水連の花が咲いている
池の後ろは杉木立。
なんだか漱石の小説に出てくるような光景だと、思った。
自分のいる町だけは、相も変わらず明治のままのようで、幕末がすぐそばにあった。
駅の近くに新しくできたスーパーだけは、どこに出しても恥ずかしくない。
スーパーの店長だけでなく、母も力説していた。
テレビのコマーシャルに出たばかりの、新発売のお菓子もあった。
それが、私たち高校生も誇らしかった。
高校を卒業する時、和尚様に挨拶をしただろうか。
思いだせない。

今日の仕事は、本当に忙しかった。
打ち合わせを次々にこなして、あと一件。
時間調整のために、私は喫茶店で時間をつぶしている。
この店を、私はひそかに気に入っている。
ただ、私が気にいる店は、しばらくすると潰れる傾向がある。
この店は、まだ大丈夫だろう。
先日、外装工事で閉まっている時は、真剣に心配した。
店の前は、五差路になっている。
片側二車線の道路がある。
高速道路の入り口がある。
地下鉄の入口がある。
坂道もある。
店に座って大きなガラス越しに外を眺めていると、色々な流れが見える。
遠くの県庁所在地まで行く大型高速バスが、高速道路の入口に入っていく。
小さな車が、まるで先導車のようにその前を走る。
高速バスは、ゆったりと曲がる。
地下鉄の階段からひとり、ふたり、と地上に出てくる。
地下から出ると、方向音痴になるようで、きょろきょろとあたりを見回している人もいる。
道路のこちら側で信号待ちをしている人の数が増えていく。
おしゃべりしている人、携帯電話で話をしている人、下を向いて信号を待っている人。
信号が変わると一斉に歩き始める。
横断歩道を渡り、左右に分かれ、あるいは階段を降り、地下に消えていく。
何秒後には、私の視界から消えていく。

睡蓮の花が咲き、時には本堂で友達と昼寝をしていたあの夏。
ガラス越しに見える、地下鉄入口に消えていく人の後ろ姿。
和尚様の声。
「ゆりさんは元気かね」
つながるようでつながらない。
人生は、本当に、睡蓮の花が咲き、しぼむ間くらいの短さなのかもしれない。