Novel(百物語)
02ten

会社の法事

三十年前の私は、今の私ではない。
当たり前のことなのに、みんな、三十年前も私が今のままだと思っている。
そんなわけあるはずがない。
五十歳の私が三十年前、五十歳のはずがない。
そんなことくらい、わかっている。
ただ、みんなには、二十歳の私を想像することがどうしてもできないのだ。
しようのないことかもしれない。
でも、悔しい。

同じ会社の人が、私に結婚を申込んだのが、二十歳のときだった。
怖がりの私は、悩んで悩んで、結局イエスと言えなかった。
「君には、もうだれか好きな人がいるんだね」
そう言われた時、本当に悲しかった。
「ちがうんです」
そう言いたかったが、できなかった。
その人を好きだとか嫌いだとかではなく、結婚なんて、まだ無理だと思った。
あの頃の私は。
その人のことは、好きだった。
席が近くで、出社時も退社時も話をする機会があった。
人見知りの私が、珍しく緊張しない人だった。
せめて、結婚なんて言わないで、「付き合ってください」といってくれればよかったのに。
きっと、あの人は誠実な人だったんだろう。
「遊びじゃない」って言いたかったんだろうな。

次の奴は、誠実さが全くなかった。
面白くて楽しくて、私を笑わせて、自分の飲み代も私に払わせて。
おかげで十年かけて貯めた私の貯金は、すっかり無くなってしまった。
後で聞いたら、なんと奥さんまでいたらしい。
たしかにあいつは、私に結婚を申し込んだことなんかない。
「俺達ってホントに合うよな。
ぴったりだよ」
それが彼の口癖だった。
こうやって好きになって、いつか結婚しようと言ってもらうのが最高だと思ってた。
私は一生懸命働き、あいつと遊んで、楽しく過ごした。
会社でも、嫌なことは、はっきり言えるようになった。
上司にいじめられもしたが、あいつのおかげで立ち直れた。
元気な私は人気も出て、それなりのポジションにもつけるようになった。
これからのこともあるから、さあてお金を貯めよう、そう思った矢先に、あいつから捨てられた。
いやそうじゃない。
実は、あいつには大切な奥さんがいて、私は単なる飲み仲間、遊び友達とわかっただけだ。
あたしはどうしていいかわからなくなった。
そんなあたしを、あいつはどう扱っていいかわからなくなっただけだ。
そおっとあたしのそばから消えていった。

私はせっせと働き、お金を貯めた。
あいつと楽しく過ごしたおかげで、十年分が消えたから、必死だった。
ボーナスが出たら、すべて貯めた。
洋服を買わず、飲みにも行かず、残業をしまくった。
次に来た上司の覚えめでたく、かえって不運なことが起きた。
上司は、子会社の社長にとばされた。
ひとりで行けばいいのに、秘書として私を連れて行ったのだ。
もちろん片道切符。
小さな会社に入社したはずの私は、会社が急成長したおかげで、いつの間にか大会社のOLになっていたのに。
その夢も消えた。
また、小さな会社からの出発だ。
数年たつと、上司は退職した。
私は年季の入った秘書室長として、この子会社にいる。
なんだか、会社が自分の子供のように見える時もある。
親会社みたいに大きくなってくれ、そう願う時もある。
親会社を超す子会社だってある。
そんな会社にしてみたい。
なんだか会社と結婚してしまったみたいだ。
もう以前のように、しゃにむには働かない。
働けない。
腰は痛くなる。
字は見づらくなる。
悔しいが、しっかり年をとっている。
若づくりをしないから、周りからは、ばあさんだと思われている。

勤続三十年のお祝いを先日貰った。
この会社ができて十年だから、妙な話だ。
親と子の二つに関わっているのは、私だけだ。
結婚を申し込んだあの人も、お祝いをもらったのだろうか、ふとそう思った。
親会社の広報部から、話がきた。
社史作成チームの一員になってくれとのことだった。
社史なんかじゃない。
あたしの人生なんだから。
そう思うと、泣きたいような悔しいような気分になる。
父親が定年になった時、こんな気持ちだったのだろうか。
「お疲れさまでした」のひと言すらかけなかった。
あの頃は、あの薄情男と遊びまわっていた。
父親の気持ちなど、わかるわけもない。
少しだけ申し訳なく思う。

「上条さん、今度は孫会社でも自分で作ったら?」
親会社に行って、最初のミーティング。
途中の休憩で、知り合いが寄ってきた。
三十年もいるのは、男ばかり。
みんなおじさんになっている。
いや、親戚のおじさんみたい。
つい先日、出かけた親戚の法事に、何だか似ている。
「今日はみんなで一緒に飲もうや」
誰かが言った。