Novel(百物語)
02ten

市民農園

「なんか変だよね」
最初に気がついたのは、ヘビースモーカーのゆかりだった。
近頃は、会社でタバコが吸えない。
昼休み、僕は公園でタバコを吸う。
もちろん灰皿のある場所だ。
灰皿を囲んで、見知らぬ人の輪ができる。
傍目からはどう映っているかは知らないが、スモーカーにとっては、貴重な場所だ。
「何が?」
会社に帰りながら、僕はゆかりに尋ねた。
ゆかりと僕は、会社は違う。
同じビルで働いていることを、灰皿の輪のおかげで知った。
天気がどうであれ、昼食後必ず公園で会っていれば、同じ会社の、別の課の人間よりはずっと親しくなる。
「花が移ってるのよ」
「ちょっと枯れたからといって、マリーゴールドを移す?」
「市がそこまで丁寧な仕事するなんて、あたしは思えない」
「サルビアとマリーゴールドは、灰皿のそばのポットにあったの。
今、どこにあると思う?」
すごい勢いで歩きながら、ゆかりは僕に説明し、質問する。
僕はゆかりについていくのが必死で、花なんかどうでもいい。
こいつは、自分の歩幅がすごく広いということに気がつかないのか?
僕より十センチは背が高く、座高は十センチ低いのに。
「じゃあね」
ゆかりは五階で降りていった。
人がいっぱいのエレベーターの中で、僕にはゆかりの姿が見えなかった。

次の日、僕たちは傘をさして、ポットを見回った。
どんな花が公園に咲いているかなんて、僕は考えたこともない。
ゆかりに言われて初めて、数カ月に一回、突然公園が花いっぱいになっていることを思い出す。
「市の仕事なんて、そんなもんよ。
苗を植えて、水やりなんてろくにしないで。
また数カ月したら、植え替え」
煙草を吸いながら、ゆかりは歩く。
本当はいけないのだが、雨の日は公園に誰もいない。
傘をさしているから、周りからも見えない。
一番困るのは、吹き降りの雨がタバコに当たることだ。
せっかくのタバコの火が消えてしまう。
「なんだか、まちがい探しのパズルやっているみたいなんだけど。
ねえ、なんでそんなに気になるの?」
「えっ?」という顔をして、ゆかりが振り向く。
ついでに傘もぐるっと回り、僕のタバコは悲しいことに火が消える。
「何が増えているのか、気にならない?」
「いや、ぜんぜん」
「ほら、見てよ。マリーゴールドはこっちに来てるの。
ねえ、ムセン、この葉っぱ何?」
「僕が知ってるはずないじゃない。マリーゴールドも知らなかったんだよ」

僕の名前はムセンじゃない。
会社名にその言葉が入っているからと言って、ムセンはないだろうと、僕はなんどもゆかりに抗議した。
しかし、ゆかりは、ムサシに音が似ているから素敵だといって取り消さない。
ゆかりが僕の名前を覚えられないからだろうと、僕はにらんでいる。
実を言えば、ゆかりだって本名はゆかりじゃない。
本名は、忘れた。
たしか、きれいな名前だった。
ただ、きれいすぎて、当人が名前負けしていることは確かだった。
「ゆかりとよんでね」
タバコの輪で、少し親しくなった時、そう言われた。
てっきり本名だと思っていたが、「お母さんの名前よ」と言われ、がっかりした。
「お母さん、好きなんだ」
そう言ったら、にらまれた。
「誰の名前でもいいんだけど」
「母も、こんな名前を娘につけるんなら、一度くらい自分も呼ばれてみたらわかるのにね」
ゆかりはせわしなくタバコを吸う。
吸っているのか、灰にしているのかわからない。
マリーゴールドをポットから追い出し、十枚ほどの葉を茂らせている植物の名前は、結局僕たちにはわからなかった。
僕はこっそり葉を一枚むしりとり、ポケットに入れた。
ゆかりは向こうをむいている。
傘の下から煙がでている。
声がするから、誰かとしゃべっているに違いない。
僕は通り過ぎがてら、手をあげて別れた。

ゆかりはしばらく、公園に来なかった。
特別に用事があるわけでもないから、公園に来る必要はない。
タバコは、喫煙コーナーがあれば、店でも吸える。
そう思っていても、一週間もゆかりに会えないと、何だかさびしかった。
会社名から無線という名前が消えたことも、ゆかりに話したかった。
それでも、あいつのことだから、やっぱり僕はムセンなのだろうけど。
ゆかりがいないあいだ、僕は公園の花壇を調べた。
僕でも知っているものを見つけた。
驚いた。
なんでこんなところにあるのか?
ラディッシュだ。
緑の葉の下に、土から少し飛び出して、赤い小さな蕪が見えている。
ラディッシュを知っているのは、時々行く安売りのステーキ屋の、サラダバーにあるから。
赤紫の小さな蕪が、これまた小さな緑の葉をつけて、サラダバーに並んでいる。
僕はどうもサラダが苦手で、そのラディッシュはいつも眺めているだけだった。
ラディッシュの後ろには、市が植えた花がきれいに並んでいる。
枯れた花など一つもなく、手入れが行きとどいている。
「きれいだろ」
野太い声がした。
僕はびっくりして振り向いた。
年取った男がひとり、ポケットに手をつっこんで立っている。
「俺が手入れしてやってんだ。
枯れた花は摘んでやってる。
水もやる。
だからここの花壇はきれいなんだ」
男は誇らしげに花壇を眺める。
「きれいですね」
そう言わないと怒られそうで、僕は答えた。
「だろ?
花はいいもんさ。
食えないがね」
「でもこれは?」
僕はラディッシュを指差して尋ねた。
この男がラディッシュを食べるようにはどうしても思えない。
「たんさんが好きでな。
たんさんが教えてくれるんだから、それはしょうがない」
「たんさん?」
僕にはわけがわからないが、そのままにしておく。
会社の仕事や組織には、わからないものもある。
きっと公園の花作りにも、それなりのルールがあるのだろう。
「坊や、もう少ししたらうまい焼き芋が食えるぞ。
そんとき来いよ」
男はニヤニヤして指差した。
マリーゴールドが植わっていたポットは、きれいな緑の葉で覆われている。
「おれたち丹精込めているのさ。市民農園だからな。たんさんがそう言うんだよ。」
さつまいもか。
青木昆陽。
江戸時代、飢饉の際、多くの人々を救った。
そんなことが僕の頭に浮かぶ。
市の公園が、市民農園のはずがない。
ただ、自分の食うものを勝手に作っている男が
妙にかっこよく見えたのも本当だった。

「おまえ、気になる子がいるんだ」
僕の話の出来栄えも気にせず、アキラは僕に質問する。
「ゆかりっていうのか?」
「そうじゃない。ゆかりは僕の話の登場人物だろ?
ほんとにいる子じゃない。
僕が作った話だって、さっき言っただろう?」
アキラは変な顔をして、僕を見る。
「お前、彼女じゃないなら、俺に紹介してくれよ」
ああ、だめだ。
僕はため息をつく。
しゃべっちゃうからいけないんだ。

バイト先で休憩の時、先輩が「何か話せ」と言った。
それから、僕は話を作っては、場を持たせている。
うまくいかない時もあれば、先輩がおもしろがって僕に楽な仕事を割り振ってくれることもある。
いけないのは、僕に話を作る癖がついてしまったことだ。
先日入ってきたアキラが、僕の話を信じてしまうのも当然だ。
僕だって、自分の話を信じてしまいそうになる。
僕は変な奴なんだろうか。
ねえ、ゆかりさん。