Novel(百物語)
02ten



「桃がよく成った、今年は。
見に行ってみろ。
好きなだけ取っておけ。」
朝食の時、兄さんが言った。
昨日から、俺は兄さんの家にいる。

ずっとしばりつけられていた仕事が、ようやくひと区切りした。
ふらっと旅行でもしたいところだが、三日後には、次の仕事の顔合わせが待っている。
事前に読まなくてはならない書類もある。
自分のアパートにいるのもつまらなくて、俺は兄さんのところに転がり込んだ。
独身の弟を、兄さんも義姉さんも嫌な顔ひとつせず、迎えてくれる。
これまでに何回、こんなふうに転がり込んだか、わからない。
田舎の大きな家だから、たしかに泊まる場所はあるが、家族がいて、農作業もある中、ただの居候が歓迎されるとは限らない。
ありがたい。
つい甘えてしまう。
朝食が終わったダイニングテーブルにパソコンを広げ、俺は、次の案件についての概要を読んでいた。
甥や姪は学校に出かけ、家の中は静かだ。
「恭平さん、お留守番よろしくね」
土間で姉さんが言う。
俺は立ちあがり、畑に行く二人を見送る。
朝早く、既に一度、兄夫婦は畑に行っている。
二人が帰ってきた音で、俺は目を覚ました。
昨夜も、俺と同じくらいは遅くまで起きていた。
いったい何時に、起きたんだろう。
ほとんど毎日事務所で寝泊まりしている俺も、二人の勤勉さにはかなわない。

「桃、取っていいの?嬉しいな。納屋の近くだよね。」
「蜘蛛の巣もたくさんあるから、気をつけろよ。」
「恭平さんなら、背が高いから、たくさんとれそうね。」
姉さんも、兄さんの後ろから声をかけてきた。
姉さんは、以前に俺が贈った長靴をはいている。
かっこいい人だから、派手な模様がよく似合う。
「泥だらけでごめんね、せっかくもらったのに」
「どういたしまして。使ってもらっている証拠だね」
「俺にはいつ届くんだ?」
「兄貴のはどこで買っても同じさ」
書類をようやく読み終わって、俺は庭に出た。
畑と庭の境に、実のなる木が植えてある。
「果樹園というほどじゃないけどな」
兄さんはそういうが、家族が食べる果物は十分まかなえる。
ゆずやリンゴは、これまで俺も収穫したことがある。
ブルーベリーもある。
ブルーベリーは、毎日少しずつ採っては冷凍する。ある程度の量になったらジャムを作るのだと、姉さんは教えてくれた。
青黒い実を、一つ、つまみ取り、俺は口にいれた。
ラズベリーもある。
気まぐれにこの家に来て、収穫だけを楽しむのは申し訳ないが、これが俺の一番の楽しみかもしれない。
なんとなく畑を見回る。
木の根元に座って、煙草を吸う。
タヌキがカヤの実を食べに来ていたと、昨夜、姉さんは言っていた。
おれもタヌキみたいなものだ。
兄さんの家に来て、うろうろして、何か食ってさよならする。

庭の奥に行くと、目当ての木は見つかった。
桃の木を知らなくても、今の時期なら誰でもわかる。
水蜜桃が、百個以上鈴なりだ。
俺の胸のあたりにもなってはいるが、頭上の枝がしなっている。
今一度納屋に行き、剪定ばさみや脚立、踏み台やらを木の下に並べる。
さあ、収穫だ。

目星をつけた桃を喜んで取ってみると、鳥に食われている。
悔しい。
食われているところだけ取ったら大丈夫かな、とも思うが、鳥の残りを食うのも、なんだか悔しい。
やっとの思いで取っただけに、鳥に馬鹿にされたような気持ちになる。
今度はきれいな桃を見つけた。
うれしい。
何もかも忘れて、俺は桃を枝からとるのに懸命だ。

食われた桃は鳥用にして、そのままにしておくことにした。
籠に桃がたまっていく。
桃に指の跡をつけないよう、そっとつかむのが難しい。
桃を探し、脚立を木の下で移動する。
足場が柔らかすぎて、どうも具合が悪い。
桃と土と枝、そればかりを考えている。

ここで野菜や果物の収穫にいそしむ時、いつも感じることがある。
俺が取り損ねたものは、いくつあるのだろう、と。
畑では、きうり、なす、いんげんが盛りだ。
緑の葉の中にうずもれた、緑の野菜。
すべて取ったつもりだが、よく見るとまだある。
ここにも、あそこにも。
一心不乱に探す。
俺は欲張りなのだろうか。

せっかく大きく育っても、誰にも気付かれない野菜がある。
大きく実って、その上で収穫されて初めて、よい農作物になる。
大きく実っても、人の手に取られることもなく、葉の陰で、萎れていくものもある。
摘み取られたか、畑に残ったかの違いでしかない。
そういうことを気付くと、すまないなという気持ちになる。
人間も同じだなと、そんなとき思う。

木の下に座り込み、俺は桃の皮をむいてほおばる。
甘い汁が滴る。
果肉のクリーム色に刷毛で赤をちらしたようだ。
どれをとっても同じ模様がない。
ひとつ、ふたつと俺は桃を食う。
うまい。

見上げると、枝に鳥が来て、俺を見ていた。