Novel(百物語)
02ten

美術館から

お元気ですか。
僕は出張でここに来ています。
藤田さんは驚くかもしれないけど、僕は美術館が好きなんです。
ひまがあると、美術館に遊びに行きます。
ここで、学生時代に教科書で見た絵と、ご対面しました。
さすがです。
やっぱりいい。

会社の近くのブリヂストン美術館だったら、僕はセザンヌの青い空の絵を見るのが好きです。
あそこには、一枚皮の、いい椅子があるのです。
椅子に座って、セザンヌを眺めていると、田代課長に怒られたことも、忘れるわけではないけれど、そういうもんかなあと思えてきます。
田代課長の家にも、あんなにいい椅子はないだろうし、セザンヌは絶対ないだろうから。

アドレス、知っててごめんね。
実は、以前に藤田さんのデスクにメモがあって、覚えていたんだ。
一回だけ、藤田さんの住むマンションも見に行きました。
ストーカーみたいなことして、ごめんね。
藤田さんが、ここから出勤してるんだなあと眺めていました。
その一回だけです。

僕は、藤田さんが好きでした。
この間の歓送迎会で、酔ったふりをして、藤田さんをくどいたでしょう?
見事に振られました。
そりゃそうだよな、となんだか納得しました。
藤田さんは、社長お墨付きの美人といわれているくらいだから。
お手付きじゃないからね。

前々から辞令が出ていて、僕は、
「母の検査結果が、まだ出ないものですから」
と人事部に交渉していました。
僕の母こそいい迷惑で、福島で元気ぴんぴんしています。
お調子者で、田代課長に怒られてばかりいる僕ですが、人生を賭けてでもやらなくては、と思う時があるのです。
藤田さんの気持ちを知りたかったのです。
結婚なんて言っていませんよ。
そんな恐れ多いことは言えません。
でも、遠距離恋愛くらいは、なんて僕の妄想は広がっていました。

先週、人事には「母は元気です」と言ってきました。
来週には異動です。
藤田さん、いつも素敵な笑顔をありがとう。
藤田さんは営業も断トツだから、営業部長も僕なんかには見せたことのない態度をとるんだよね。
うらやましいなと思っていました。
あの恥ずかしいプロポーズをしたあとだから、藤田さんにアドバイスができます。
見事に振られたんだから。
誰かの悪口を言っているわけじゃないと。
八つあたりでもありません。

藤田さんが部長を好きなのを、僕は知っています。
部長は男から見ても、かっこいいし。
藤田さんが怒って、
「そんないやらしい気持ではありません!」と
鼻息荒く僕に迫りそうですが。
確かに、藤田さんはそうでしょう。
しかし、藤田さんがそういう気持ちだと、部長だって嬉しいんです。
誰だって、藤田さんに「尊敬してます」と見つめられたら、狂います。
部長は普通の男です。
それが悪いわけではありません。
ただ、部長は傷つかないかもしれないけど、藤田さんは絶対傷つきます。
不倫にしかなりません。
お願いです、藤田さん、自分の眼差しで自分を傷つけないでください。
僕のおふくろは「ゆれる眼差し、ゆれる二の腕」とあまった贅肉をゆらしていました。
そういう奴なら、部長もおかしくはならないんですが。

近頃の美術館は、しゃれた小物を売っています。
メモ虫という、メモクリップとペン立て兼用の面白い小物がありました。
ワイヤーのシンプルな写真立てもありました。
期待しないでね、藤田さんに送ってはいません。
金がないし、「俺は振られて、メモ虫だけは藤田さんのところかよ」といじけそうですから。
藤田さんたちと時々立ち寄ったあの店にも、面白い小物がありましたね。
僕は、からくりベルサイユ宮殿というのぞきメガネが面白かったです。
課長は、万華鏡を見るふりをして、藤田さんを眺めていたんですよ。
あそこでおしゃべりしたのが、懐かしい思い出です。
藤田さんと並んで座ったんだから。
あの椅子、本当は家に持ち帰りたかったなあ。

藤田さん、元気でいてください。
藤田さんが結婚しようが、独身でいようが、僕のおふくろみたいに、どしどしと歩く中年女になろうが、僕は大好きです。

さようなら。