Novel(百物語)
02ten

孫娘

バタンと音がした。
目が覚める。
ソファで居眠りをしてしまったらしい。
「ああ、ここは東京」
ぼんやりした頭で彼女は考える。
あれは、そうするとドアが開いた音かしら。

誰かが走っている。
また、ドアが閉まる音がする。
しばらくすると水音がした。
彼女は思わず笑顔になる。
あの忙しさは、けいちゃんに違いない。
トイレくらい、学校ですませてくればいいのに。

「おばあちゃん、ただいまあ」
ようやくご当人が、顔を見せる。
手には、コンビニの小さな袋。
「おかえり、けいちゃん」
今時の子は、帰ってきても、
「おなかすいた、おなかすいた、死にそうだ」って言わないんだねえ。
おばあちゃんは、そう思ってけいちゃんを眺める。
起きるのがなんとなくきつくて、ソファに横になったままだ。
まあ、あたしだって人がいるのに、横になっているんだから、同じかしら。
行儀の悪いこと。
以前だったら考えられないことだわ。

けいちゃんは、菓子パンをむしゃむしゃ食べている。
「ねえ、おばあちゃん」
「ねえねえ、おばあちゃん」
けいちゃんは忙しい。
おばあちゃんに話しかけ、携帯メールを打ち、菓子パンを食べる。
もう少し落ち着けないものかねえ。
おばあちゃんはそう思うが、案外若い子の速度はこんなものかもしれない。

けいちゃんは、左手で二個目のパンを器用に袋から出し、右手で携帯を操る。
「けいちゃん、外から帰ってきたら手洗いうがいだよ。大切なことなんだから。」
ようやく起き上がって、おばあちゃんは言う。
「うん」
しばらく間があって「はい」と言う返事があった。
「うん」を「はい」に言いかえるけいちゃんが、おばあちゃんには可愛らしい。
「トイレで手は洗ったよ。」
おばあちゃんは、けいちゃんの言い訳に思わず笑う。
「はいはい。
あれはねえ、指が行水しただけですよ。」
「おばあちゃんて落ち着いているよね。
かっこいい。」
立ち上がると、太もももあらわな制服のスカートからパン屑を落とす。
「のろいだけですよ。
年取るとね、自分ではせっかちにやっているつもりでも、はたから見ると、いらいらするくらい遅いのよ。
亀だって、あれで自分では早く走っているつもりなのよ。」
「ははは」
けいちゃんは笑う。
ただ、携帯片手だから、本当は何に笑っているのか、おばあちゃんにはよくわからない。

携帯メールがひと通り終わったのか、けいちゃんはこちらに顔を向ける。
「おばあちゃん、いつまでも元気でいてね。」
おばあちゃんは思わず笑ってしまう。
「そうはいきませんよ。
けいちゃんの気持ちはありがたいけど。
静かに死なせてね。
いつまでもお小遣いをあてにしても、無理よ。」
「ひどおい。」
けいちゃんは立ちあがり、冷蔵庫のドアを開ける。
また、なにか食べるらしい。

おばあちゃんはあきれて、孫娘の後ろ姿を眺める。
気持ちよく口に入っていく食べ物。
その結果の、みごとな太もも。
筋肉質だから、見ていて気持ちがいい。
浅黒くて、息子そっくりだ。

食べ終わると、けいちゃんはひまなのか、スクワットを始める。
「けいちゃん、おばあちゃんがソファにいると邪魔かい?」
「そんなことないよ。家にだれかいるなんてことないから、けっこううれしい。」
息もきらさず、スクワットを続けながらけいちゃんは言う。
自分にもこんな時があったのだと、けいちゃんを見ながらおばあちゃんは思う。
信じられないことだけど。
遠く遠くの記憶の中に、友達と走り回っている自分がいる。
いつのまに、時は過ぎてしまったのだろう。

幼い頃のこと。
息子を育てていた頃のこと。
息子があまりにやんちゃで、近所に謝ってばかりいた頃のこと。
息子が出て行って、ひとりで暮らしていた頃のこと。

浅黒いけいちゃんがスクワットをしている。
息子が相撲をしていたころと重なって見える。
あれは小学校?
いろんな時期が、彼女の頭の中でごっちゃになる。

「おばあちゃん、寝ちゃった?」