孫娘
バタンと音がした。
目が覚める。
ソファで居眠りをしてしまったらしい。
「ああ、ここは東京」
ぼんやりした頭で彼女は考える。
あれは、そうするとドアが開いた音かしら。
誰かが走っている。
また、ドアが閉まる音がする。
しばらくすると水音がした。
彼女は思わず笑顔になる。
あの忙しさは、けいちゃんに違いない。
トイレくらい、学校ですませてくればいいのに。
「おばあちゃん、ただいまあ」
ようやくご当人が、顔を見せる。
手には、コンビニの小さな袋。
「おかえり、けいちゃん」
今時の子は、帰ってきても、
「おなかすいた、おなかすいた、死にそうだ」って言わないんだねえ。
おばあちゃんは、そう思ってけいちゃんを眺める。
起きるのがなんとなくきつくて、ソファに横になったままだ。
まあ、あたしだって人がいるのに、横になっているんだから、同じかしら。
行儀の悪いこと。
以前だったら考えられないことだわ。
けいちゃんは、菓子パンをむしゃむしゃ食べている。
「ねえ、おばあちゃん」
「ねえねえ、おばあちゃん」
けいちゃんは忙しい。
おばあちゃんに話しかけ、携帯メールを打ち、菓子パンを食べる。
もう少し落ち着けないものかねえ。
おばあちゃんはそう思うが、案外若い子の速度はこんなものかもしれない。
けいちゃんは、左手で二個目のパンを器用に袋から出し、右手で携帯を操る。
「けいちゃん、外から帰ってきたら手洗いうがいだよ。大切なことなんだから。」
ようやく起き上がって、おばあちゃんは言う。
「うん」
しばらく間があって「はい」と言う返事があった。
「うん」を「はい」に言いかえるけいちゃんが、おばあちゃんには可愛らしい。
「トイレで手は洗ったよ。」
おばあちゃんは、けいちゃんの言い訳に思わず笑う。
「はいはい。
あれはねえ、指が行水しただけですよ。」
「おばあちゃんて落ち着いているよね。
かっこいい。」
立ち上がると、太もももあらわな制服のスカートからパン屑を落とす。
「のろいだけですよ。
年取るとね、自分ではせっかちにやっているつもりでも、はたから見ると、いらいらするくらい遅いのよ。
亀だって、あれで自分では早く走っているつもりなのよ。」
「ははは」
けいちゃんは笑う。
ただ、携帯片手だから、本当は何に笑っているのか、おばあちゃんにはよくわからない。
携帯メールがひと通り終わったのか、けいちゃんはこちらに顔を向ける。
「おばあちゃん、いつまでも元気でいてね。」
おばあちゃんは思わず笑ってしまう。
「そうはいきませんよ。
けいちゃんの気持ちはありがたいけど。
静かに死なせてね。
いつまでもお小遣いをあてにしても、無理よ。」
「ひどおい。」
けいちゃんは立ちあがり、冷蔵庫のドアを開ける。
また、なにか食べるらしい。
おばあちゃんはあきれて、孫娘の後ろ姿を眺める。
気持ちよく口に入っていく食べ物。
その結果の、みごとな太もも。
筋肉質だから、見ていて気持ちがいい。
浅黒くて、息子そっくりだ。
食べ終わると、けいちゃんはひまなのか、スクワットを始める。
「けいちゃん、おばあちゃんがソファにいると邪魔かい?」
「そんなことないよ。家にだれかいるなんてことないから、けっこううれしい。」
息もきらさず、スクワットを続けながらけいちゃんは言う。
自分にもこんな時があったのだと、けいちゃんを見ながらおばあちゃんは思う。
信じられないことだけど。
遠く遠くの記憶の中に、友達と走り回っている自分がいる。
いつのまに、時は過ぎてしまったのだろう。
幼い頃のこと。
息子を育てていた頃のこと。
息子があまりにやんちゃで、近所に謝ってばかりいた頃のこと。
息子が出て行って、ひとりで暮らしていた頃のこと。
浅黒いけいちゃんがスクワットをしている。
息子が相撲をしていたころと重なって見える。
あれは小学校?
いろんな時期が、彼女の頭の中でごっちゃになる。
「おばあちゃん、寝ちゃった?」