Novel(百物語)
02ten

朝顔

朝起きて、
新聞を取って、
食事をして、
帰宅して、
食事して。

斎藤さんの自宅での行動の後には、朝顔を見る、が付け加わるようになった。
わざわざ、ではない。
自然に体がそちらに向かう。
「お父さんも、そういう年になったのねえ」
奥さんからは笑われた。
「私は、ガーデニングに興味はないのに」

「ガーデニングじゃないよ。」
斎藤さんはそう思うが、口にはしない。
飲んだ帰りに押しつけられた朝顔にこんなに興味があるなんて、当人だって説明できない。
だったら、妻がわかるはずもない。
「誤解のままでかまやしない」
そう思っている。
朝顔なんて、これまで興味なかった。
それなのに、今の斎藤さんは
「つるに、とげがあるのを知ってるかい?」
「とげ、というといけないな。あれは何なんだろう、つるが巻き付きやすいひっかかりかなあ」
そんなことを誰かに話したくなる。
「葉を裏から透かしてみると、きれいなもんだよ。
それにしてもアブラムシは良く食べるもんだ。
どの葉にも食い散らかした跡がある。」
斎藤さんは、朝顔を眺める。
心の中で、朝顔に向かってしゃべっている。

小学校のころ、学校で朝顔を育てた。
育てさせられた、と言うのが本当だ。
終業式、先生に注意され、しぶしぶ持ち帰った。
「斎藤君のだけですよ。残っているのは。
あれだけ言ったでしょう。」
小学生には、あの鉢は持ち重りがした。
家に着いてどこかに置いたが、そのあとは知らない。
たぶん、母親が水やりしてくれていたのだろう。
夏の間、ずいぶん花が咲いた。

斎藤さんの朝顔は、花がひとつもない。
奥さんはそれも話のタネにする。
「わたしたち、もう花がないものね」
「ねえ、これ本当に朝顔かしら」
見事に、花がない。
葉だけは立派に青々と茂っている。
「でも、葉だけでもいいものね。きれいだわ」
奥さんは慰めてくれる。

負け惜しみではなく、斎藤さんは、花はなくてもいいと思っている。
開いたばかりの朝顔の花は、もちろん美しい。
だが、しぼんだ花が見当たらない朝顔も、なかなかいいものだ。
つるがあちこちから出てくるのに、斎藤さんはおどろく。
ある程度まで大きくなると、つるの数は増えてくる。
「おい、どこから出てきたんだ」
そんな気持ちになる。
つるとつるの間の付け根から、小さな芽が顔を出す。
大かたは枯れていくが、時には芽を出し、大きくなる。
斎藤さんはなんだか深く感動する。
「俺のプロジェクトもこういうふうになるかな」
これまでボツになった企画が、枯れてしまった小さな芽に見える。

斎藤さんがそんな気持ちで朝顔を見ているなんて、奥さんは知らない。
「あなたも、ようやく草花に目がいくようになったのね」
「今度、ウオーキングにでも行かない?
コスモスでも見ながら」
奥さんは、あれこれ斎藤さんに提案する。
奥さんの気持ちをむげに断ることもできず、斎藤さんは、もごもごと返事する。
斎藤さんが眺める朝顔は、やさしい草花ではない。
「こいつってなんだ?」と言いたくなるような新入社員に近い。
花も咲かせず、それにしてはやたらに元気で、確かに気持ちのいい緑だ。

「だんなさん、買ってくださいよ、安くしておきますから。
奥さん喜びますよ。軽いから、電車でも大丈夫。
三つで三百円、いいでしょ」
飲んで帰る道すがら、駅前で押しつけられた。
うるさかったから、ポケットの小銭を全部渡した。
きっと多かったに違いない。
「だんなさん、ありがとうございます。
きれいな花が咲きますよ。青いんです。
天上の青っていうんです」
そんなこと言ってたっけ。

青空を見上げながら、斎藤さんは
今日も朝顔を眺める。