Novel(百物語)
02ten

湖水

朝もやの中、一点、丸く切り取られている。
小さな小さな円。
暖かい色。

太陽とは思えない。
そちらに目を向けても、眩しくさえない。

湖には、なめらかな波。
私に向って、静かに寄せてくる。
体の奥底まで、静かに寄せてくる。

杭が一本、遠くに立っている。
湖水の中に。
杭の先に、鷺が一羽、止まっている。
しばらくすると、
羽をゆったり広げて、飛んで行った。
朝もやの中、大きな白い羽が美しかった。

私は、小さな小さな太陽を眺める。
飽きると、湖水の、たゆたう波を見つめる。
何を考えているわけでもない。
頭の中を、からっぽにして
目の前の風景を、咀嚼する。
さくさくとりんごをかじるように。
気持がいい。

あの人は、まだ眠っている。
小さなテントの中で。
いっしょに朝日を眺めたくて、起こしたのに。
テントの外から、声をかけた。
「おはよう」
なんにも返事はない。
黙って、耳をすますと
静かな寝息が聞こえる。
ああ、だめだ。

足もとに、草。
細い葉に、朝露。
二つ、三つ。
あるいは、先端に一つ。
小さな朝露が並んでいる。
すずらんの花よりも、繊細でかわいらしい。

いつのまにか、太陽は雲に隠れた。
湖水の水平線上に、きらきら輝くところ。
あのあたりに、太陽はあるのだろうか。

湖水に背を向けて、テントに戻る。
ジーンズの裾が、朝露でしっとりぬれている。

草を踏みしめて歩く。
あの人への想いを、噛みしめて。
一歩一歩。
こうやってキャンプに来ても
何を話すわけでもない。
話してはいけない。
恋しく思ってはいけないから。

仕事を終えて、ツーリングをする。
テントを設営して、キャンプをする。
ただ、それだけ。

急に心配になってくる。
大丈夫だろうか。
女性ひとり、置き去りにしてきたことを悔いる。
走る。
走る。
遠くの、小さな二つのテントまで。

なだらかな丘の上。
木のベンチとテーブルが、数組。
昨夜、ランタンの明かりが見えた方向。
犬の鳴き声が聞こえる。

落ち葉は湿っている。
枯れた松葉を拾って、焚火を始めよう。
まだ起きないあの人を、いぶしてやろう。