Novel(百物語)
02ten

夏の学校

「おかあさん、佐藤先生に会った」
3杯目のカレーを食べ終え、ようやく落ち着いた表情になった息子が、突然思い出したように言った。
「佐藤先生って、誰?」
「ええっ、憶えてないの?夏の先生だよ」
夏の先生と言われても、何のことかわからない。
しかし、すぐに息子に聞くのも悔しい。
おかあさんも年だねと言われそうだ。
記憶を駆け巡り、捜しまわり、ようやく佐藤先生が誰なのか思い出した時は、息子はアイスクリームをおいしそうに口にしていた。
私が冷凍庫の奥に大切にとっておいたもののようだ。
どうして見つけちゃうのよと泣きたくなるが、今更、奪い取っても遅い。
たぶん、カレーの匂いがついている。
「ああ、佐藤先生ね、あんたよく憶えていたわね」
なんとか体裁を繕ったが、どうも息子はお見通しのようだ。
「かあさんもやっぱり年だね。先生よりずっと若いのに」
「それより、なんで先生ってわかったの?」
「だって、先生変わらないから」
そりゃそうだ、息子が佐藤さんを知った時は、佐藤さんはおばあさんに近い人だったのだから。
私は心の中で反論する。

保育園の送り迎えが大変だったなんて、昔話に近い。
ひとりで家に置いておくのが心配になるくらい幼かった息子が、目の前にいるやつと同一人物なんて信じられない。
「かあさんがなに考えているのかわかってるよ。
時の流れの速さについていけなくなっているんだろ」
全くかわいげのないやつだと、私はうんざりして息子を眺める。
3杯もカレーを食べることができるなんて、育ち盛りとはとてつもないものだ。
私の3食分、つまり、カレーばかり食べたとしたら1日分の食事量だ。
家が窮屈に感じてくる。
何しろ、暑苦しい。
「小学生、連れてたよ」
「じゃあ、まだやってるんだ、夏の学校」
「楽しそうでさ、俺、羨ましくなった。夏の学校、また行きたいな」
塾の夏期講習は始まったばかりだというのに、すでにやる気をなくした息子は、馬鹿なことを言う。
夏のボーナスを無駄にするだけだから、図書館か自宅学習で十分だと夫も私も思った。
こちらが行ってくれと頼んだわけでもない。
まったく、と思いながら、私は常温になったカレーを口にする。

先生と呼んでしまうのだが、佐藤さんはもともと先生ではない。
子どもたちの手前、先生のほうが通りがいいと、親たちが勝手につけただけだ。
まさか、息子が憶えているとは思わなかった。
今も苦労はしているが、あのころは、仕事と子育てであっぷあっぷしていた。
今も私は同じ会社にいるが、当時とはまったく違う部署にいる。
息子も仕事も私自身もずいぶん変わった。

先生ではない佐藤さんに会ったのは、息子を保育園に預けていたころだ。
迎えに行くと、保護者でもなさそうな年配の女性をよく目にした。
園庭を掃除しているから、最初は職員かと思った。
「あの人、誰?」と知り合いのお母さんに聞いたが「知らない」と言う。
不審者かと気にしていたが、ある時、園長先生が熱心にその人としゃべっているのを見かけた。
小太りの園長先生と痩せて背の高い彼女が並んで立っているを見ると、なんだかおかしい。
そのうち、園長先生の友人らしいとわかった。
「悩み、聞いてもらってるのかな、園長先生」
「いやだ、あたしたちの悪口言ってるんじゃないよね」
「先生たちのことに決まってるじゃない。こっちじゃないわよ」
「あんたって、ほんと楽天的よね」
保護者の私たちは噂した。

しばしば顔を合わせるせいか、私たちも佐藤さんと挨拶くらいはするようになった。
佐藤さんは、愛想をふりまく人ではなかった。
ただ、子どもたちにも保護者にもまったく自然に話しかけてくるのが、私にはすごいと思えた。
自分が園児の親たちからどう見られているのか、気にしている様子もない。
「今日は面白かったよね」と息子に話しかけ、息子も又、「うん」と答えていた。
見かける時はたいてい、彼女は花壇の世話や園庭にわずかにある木々の手入れをしていた。
ただの挨拶だけでなく、佐藤さんと話をしたことがあった。
何かの飾りつけに使うらしく、佐藤さんは園庭の木の枝を切っていた。
「あなたも持っていく?お正月の飾りに使えるわよ」
「これ、何ていう木ですか?」
「ユズリハ。次の世代に譲るからユズリハ。新しい葉が出ると、古い葉が落ちるんだって。
私のような年寄りは、あなたがたのような若い人たちに場所を譲りなさいってことだろうね」
「へええ」と私は感心した。
「私もね、以前はユズリハはすごいって感心したのよ。
新しい葉が出てから古い葉が落ちていくって、合理的に思えたし。。
ところがねえ、おんなじタイプの木はたくさんあるの」
佐藤さんはにやりとした。
「あの人だけは特別だと思っていたのに、ちょっとがっかりした感じ。ユズリハが悪いわけじゃないんだけど」
落葉樹と常緑樹の違いくらいは、私も知っている。
秋から冬にかけて葉を落とすのが落葉樹だ。
この辺りの木々はほとんどが落葉樹だ。
「あの、常緑樹って、落葉するんですか?」
「でしょ?私も常緑樹って落葉しないって思い込んでいたのよ。
でも、よく考えたらそんなわけない。
常緑樹はいつも緑の葉がついているけど、世代交代だってもちろんある。
そりゃ当然よね。
新しい葉がでてきた春や初夏に、古い葉は落ちる仕組みなの。
だから気づかないのよね。
落ち葉の季節は秋だけじゃないって、いい年になってから初めて知った。
ほんと、とんま。
友だちにそのことしゃべったら、クスノキの落ち葉で初夏のころは掃除がたいへんなんだって言われた。
九州に住んでいるの、その人。
あんた、そんなことも知らなかったんだって笑われたけどね」
「だって、このあたりの木は秋に落葉するんだから仕方ないですよ」
私は佐藤さんを味方した。
彼女とこんなに長く話したことはない。
いいチャンスだと、私は思い切って皆が知りたがっていることを直接聞いてみることにした。
「園長先生とはお友達なんですか?」
彼女は笑った。
「そうよ、中学校から。
あなたたち、気になっていたんでしょ。
昔は私より痩せていて、ふたり一緒に歩くと菜箸って笑われた。
中学に入ったころは、背丈も同じくらいだったの。
園長先生と違って、私は中学校でも身長が伸びちゃったから」
「うそ、信じられない。園長先生、痩せてたんですか?」
「そりゃそうよ、若いときからああだったと思ってるの?
中年になると、みんなそれぞれ落ち着くところに行きつくものよ。
あなたたちも、今からよ」
笑っていた私も、顔がひきつってしまった。

息子が保育園を卒業し、しばらくほっとしたと思ったら、そのうちに難問が現れた。
夏休みをどう過ごすか、だ。
当時、学童クラブは3年生までだった。
4年生になっても、一学期はどうにかやってこれた。
ただ、夏休みに入ると、子どもひとりの時間が長すぎる。
夫とふたり、いろいろ考えたが、いい案は浮かばない。
保育園仲間も同じ悩みを抱えているのではないかと考え、会うことにした。
子どもたちも一緒のため、気楽に集まれる公園を集合場所にしたのだが、偶然にも保育園の近くだった。
ゲームに興じている子どもたちを横目で見ながら、私たちはベンチに座り、まずは近況報告をする。
子どもたちに比べ、親の変化は大きかった。
仕事も私生活も、体型までも変化し始めている。
私自身、部署が変わり、四苦八苦している最中だった。
ようやく、話は夏休みのことになった。
「やっぱり、誰も知恵が浮かばないんだ」
「仕事だと思わないからじゃない?会社だったら、少なくとも3つは案を出してるよ」
「そんなこと言ったって無理」
「先輩に聞くっていうのはどう?」
「だからさ、さっき言ったじゃない。聞いたって。親に頼れる人はもう頼っているよ。
塾に入れたっていう先輩もいたけど、頭の中身が違う。うちの子が行くわけもない」
ひとりがぽつりと言った。
「佐藤さんに相談してみない?」
「佐藤さんって誰?」
「ほら、園長先生の友達。あの人ってなんか教えてくれそうな気がする」
そうか、佐藤さんか。
私は頷いた。
「いいかも、常緑樹のこと、教えてくれたし」
「それ、なんのこと?」
まわりが理解できないのをそのままにして、私たちは保育園に向かった。
「やっぱり、心のどこかで、園長先生に頼ろうとしてたんじゃないかな。いやだな、親のほうがまだ保育園に通ってる」
「だって、保育園、ここから近いんだもの」
「そうだ、子どもたちを呼んでこなくちゃ」
私たちは慌てて公園に引き返し、遊びを邪魔されてふくれている子どもと一緒に保育園に向かった。

運のいいことに、保育園には園長先生も佐藤さんもいた。
園長先生に挨拶をするころまでは、見事に大人しくしていた子どもたちも、そのうち園庭ではしゃぎまわり、
私たちはまたもや公園に退散せざるをえなくなった。
佐藤さんは私たちと一緒に移動してくれた。
「起きるよね、その問題は必ず」
私たちの話を聞いた後に、佐藤さんは言った。
「それで、あなたたちはどんなことを考えついたの?」
アドバイスをもらえると思っていた私たちは、叱られた小学生のように下を向いた。
「大したことを思いつかなかったようだけど、それでもいいから、口にしてみたら?」
私たちはひとりずつ、先輩に聞いたアイデア等を話した。
「先輩じゃなくて、自分で考えたものは、ないの?」
佐藤さんの口調は穏やかだが、けっして優しくはない。
「考え付きませんでした」
ひとりが正直に答えた。
「そうだよね、子どもの世話をして、仕事をして、あっという間に1日がすぎていくんだものね。
子どもって元気だしね」
佐藤さんが私たちを見てにっこりした。
おかげで私たちはうんうんと頷いた。
「でも、それじゃ、頭をなでてえらいといってもらう子どもたちと変わらないじゃないの。
子どもになりたいの?
残念だけど、もう子どもにはなれないよ。
だから、考えよう。
あなたたちを置き去りにはしないから、心配しないで」

それから30分後、私たちはファミリーレストランに場所を移した。
もちろん、佐藤さんは帰っていった。
子どもたちよりも私たちが疲れ果て、体に何かを補給したかったのだ。
「佐藤さんって、けっこう怖いよね」
「理解してくれる、怒鳴らない、いじめない、だけど追い込んでいく感じ。上司だったら、かなり手ごわい」
「宿題まで出されるとは、こっちが小学生じゃない」
そういいながら、私たちはハンバーグ定食やスパゲッティ、バフェを口にした。
子どもたちは、母親たちが珍しく寛大なのに驚いていた。
いつもならもっとうるさいはずなのに、仲良くピザを食べている。
そう、子どもたちの夏の学校は、実は親への宿題から始まったのだ。
親が仕事でいない間、小学生をどうするか、
親にとって助かるというだけでなく、子どもたちが楽しく過ごせる方法を、まずは自分たちで考えること。
「夏休みなんて長いスパンで考えるから、ハードルが高くなるんじゃないの?
最初からむつかしく考えないで、まずは1週間でもいいから、3日でもいいから方法がないか、考えてみない?」
佐藤さんは私たちに提案した。
「その代わり、今日中に私にアイデアを教えてね。
どうせ、何日考えても同じだから」
ファミリーレストランで胃は満足したが、解決案は出なかった。
しかたなく、場所を移動することにした。
これ以上の出費はきついので、我が家に来てもらい、夕食までに知恵を絞ることにした。
途中で二手に分かれた。
夕食の買い物を二人が引き受け、もうひとりと私が子どもたちを引き連れて帰宅した。
佐藤さんへの宿題を考えながら、4家族分の夕食の準備をすませれば、どうにかなるだろうという作戦だ。
ついでに、我が家で子どもたちにシャワーを浴びせてしまえばいい。

その日の献立は、買い物係りが決めた。
鶏手羽の甘辛煮込みと豚肉と野菜の重ね蒸しだ。
面倒だから、ごはんも炊いた。
持ち帰る保存容器なら、我が家にも山ほどある。
鶏手羽は想像通りにできあがったが、もう一品は、キャベツとモヤシを大量に入れすぎたため、
薄切りの豚肉は、どこにあるのかわからないようなものになってしまった。
それでも、料理を作り上げた頃には、手を動かすだけでなく、私たちの頭と口もなめらかに動いた。
佐藤さんからの宿題と料理がほぼ同じころに完成したのは、驚くべきことだった。
私たちは、さっそく佐藤さんにメールを送った。
「食べる時に、適当に酢醤油とラー油でもかけてね」
重ね蒸し料理を作った母親が、それぞれの家庭用に分けながら言った。
「料理を作りながらでも、こんなに頭って働くんだね」
ひとりが言った。
「絶対無理だって思った。
こういうの、いいプレッシャーっていうのかな」
「そんなことない。あれは佐藤さんの陰謀だよ」
そういいながらも、私たちは一応宿題を終えたためか、何となく嬉しかった。

私の家に子どもたちを連れてきたのが、ヒントになった。
自分たちの家を使えば、まず、場所代が浮く。
朝、誰かの家に集合し、午前中はその家で、午後は別の家で過ごす。
翌日は別の2軒の家とすれば、1日置きだから、親としてもどうにか耐えられるはずだ。
子どもたちも、誰かの自宅だから、安心もするだろう。
昼食を作ったとしても、材料費にしても光熱費も負担になるほどの額ではない。
夏休みになれば、昼食代とおやつ代が給食費よりも高いことは、もともと分かっていた。
「掃除くらい子どもたちにさせれば、私たちも自宅提供のハードルが下がるよね。
できたら洗濯もしてほしいんだけどなあ」
ひとりが言った。
私だってそう思う。
なにかひとつくらいは手伝いは必要だと、親の意見は一致した。
「あとは人だよね」
誰に子どもたちを見てもらうか、その点だけはごまかした。
これ以上、頭を使うのは無理だった。

その夜、私たち全員に佐藤さんから返信が来た。
「やりましたね」という題に、私はすっかり嬉しくなった。
親だって、ほめてもらえばやる気がでる。
「行動したからこそ浮かんだアイデアです。
今日の夕食は、さぞかしおいしかったことでしょう。
次の宿題は、明日送ります。
皆さんそれぞれの仕事があるから、集まって考える必要はありません。
個々に私宛に提出すること。
期限厳守ですが、今日のようなタイトな締め切りではないので、ご心配なく。
ただし、皆さんの若い頭から、可能な限りの知恵を搾り取ります。
おやすみなさい」
読み終えると、嬉しいというよりは、ぞっとした。
私たちはとんでもない人に相談したような気がした。

夏休みまで1ヶ月を切ったころには、私たちはどうにか夏を乗り切れるような気がした。
結局、一番大切な「人」に関しては、佐藤さんが全面的に手伝ってくれた。
教育学部や幼児教育関連の学生、幼稚園で働いていたが退職した人を集めてくれた。
息子さんの後輩、園長先生の手伝いをした保育園での先生たち、佐藤さんがいくつもネットワーク持っているのに私たちは驚いた。
「くたびれて、愚痴ばかりこぼした子育てが役にたっているんだから、自分でも不思議に思えるのよ」
佐藤さんは言った。
「スケジュールはあなた方で作りなさい。
誰もがわかる指示書があれば、学生さんだってやれるのよ。
あのね、子どもを預かる会社を作ろうとしてるんじゃないの。
この夏休み、自分の子どもが元気で楽しく過ごせることだけ考えればいいんだから。
難しく考える必要はないんだよ」
私たちは仕事を分担した。
時間割を作ることは、やはりむつかしかった。
親の出勤時間を考慮にいれ、朝の集合時間から決めなくてはならなかった。
夏休みの宿題に向かう時間、学校のプールに行く時間、昼食の買い物に行く時間、何にも決めずに家でのんびりする時間。
学校での生活が、どんなに考えて作られているか、改めて感心する。
子どもたちのスケジュールだけでなく、学生と子どもたちで作れそうな昼食の献立も考えた。
買い物は毎日したほうがいいのか、悩んだ。
傷害と賠償の保険にも入った。
時給を考える役割を担った母親は、塾の講師の時給やキャンプの費用等、役にたちそうな情報を熱心に集めていた。
何より、私たちが約1ヶ月払える金額も考慮にいれる必要があった。
佐藤さんからの質問を受けるたびに、私たちが考えていなかったことがうんざりするほど出てくる。
どれだけ書き直したかわからない。
「会社を作るわけじゃない、むつかしく考えるなって、うそじゃない。
これ、どこかに売って儲けたいくらい」
母親のひとりがそう言った。
息子を塾に入れたほうがどれだけ楽だったかわからないと、私も思った。
しかし、新しいものを作り出すことは、楽しかった。
何より、自分たちで問題を解決したという達成感があった。

子どもたちの夏休みは、始まってみると、アクシデントばかりだった。
やってくるはずの学生が寝坊して、佐藤さんが子どもたちの先生代わりを務めてくれたこともあった。
安請け合いしたのか、1日で仕事を放棄した人もいた。
「こんなこと、やったことないし」と言われることもあったが、こちらだってやったことはない。
結局、佐藤さんが全体の総監督をしてくれた。
そうでなければ、1ヶ月半続けられなかったかもしれない。
親も子も先生になってくれる人たちも、誰もが初めての経験だった。
手探りの毎日で大変だったともいえるが、10日も過ぎると、軌道に乗って、楽しかった。
自分たちが考えたことが実際に動いていることを実感するのは、わくわくする。
4日に1度、朝早く、子どもたちが出勤前の我が家にやってくる。
約束通り、みんな「おはようございます」と真面目にあいさつし、息子が「あがれよ」と偉そうに迎えていた。
昼間の子どもたちの行動を、私たち親は把握しているわけではない。
先生たちには面倒だったろうが、手書きの日誌を書いてもらった。
それぞれの得意分野が垣間見えて、子どもたちの様子だけでなく、親たちは感心した。
日誌は午後に自宅を提供した親が読む。
翌日、その家の子どもが、先生に手渡した。
4日に1度しか見ることができない日誌が自分の手元に来るのが、親の一番の楽しみになった。
日誌の裏には、感想欄をつけたから、なんだか交換日記のようだった。
手書きの日誌なんて、今時珍しい経験だった。
緊急事項だけネットを使ったが、ほとんどなかったのは幸運だった。

子どもたちは、私たちが想像していた以上に家の手伝いをしてくれた。
もちろん、ずっとひとつの手伝いがずっと続くわけではないが、それでも驚くべきことだった。
洗濯物が取り込まれて、畳まれていることもあった。
自分の好きなふりかけをかけたおにぎりを作ったり、と昼食も楽しそうだった。
仕事から帰ってみると、炊きたてのご飯が待ってくれていたこともあった。
私は感激した。
夕方、自分の家の夕食分の米をとぎ、持ち帰って炊飯器で炊いたらしい。
風呂場がきれいになっていたこともあった。
4年生が水遊びなどするわけがないと思い込んでいたのだが、かなり楽しかったらしい。
夏休みの間、自宅は一番きれいだったような気がする。

9月になって学校が始まった時、私たちは翌年も同じことをやろうと約束した。
しかし、その約束はかなわなかった。
転勤や、新築の家への引っ越しで、仲間が見事に別れてしまったのが原因だった。
また、別の仲間を集めれば、少なくとも私はやれたはずだ。
ただ、新しい仲間と指示書を作り、時間割を考えることが億劫だった。
子どもがクラブ活動に入り、練習や合宿で忙しくなり、夏休みが細切れになったことも理由だ。
私もほんの少し昇級し、仕事のことで頭がいっぱいだった。
それでも、たった1回だけだった夏の学校の経験は、その後の夏休みに活かされた。
おかげで、毎年どうにかしのぐことができた。
知り合った先生役のひとりに連絡し、息子と数日を過ごした年もあった。
学生だった人が就職し、その後輩を紹介してもらったこともある。
一番長く続いたのは、最初の年に来てくれた学生さんの母親だった。
これは、思いがけない出会いだった。
教育学部の学生だった息子さんから話を聞いていたお母さんが、興味を持っていたらしい。
いつか、自分を雇ってもらえないだろうかと考え、息子さんに何度も仲介を依頼していたという。
息子さんは仕方なく私にメールをしてくれたらしいが、こちらにとって何より嬉しい提案だった。
私の方も、子どもが中学生になり、一緒にどこかに行ったりしてくれる人がほしいわけではなかった。
しかし、朝から晩まで子どもをひとりにしておくのも、食事のこともまだ気になる年齢ではあった。
1週間に数日彼女が我が家に来てくれるおかげで、夏の間も生活は快適だった。
就職を控えた子どもを持つ母親から見ると、中学生の男の子は、今から伸び盛りのかわいらしい男の子に思えるらしい。
その気持ちが通じるのか、私から見れば驚くほど息子は素直だった。
今年もお願いしようかと考えていた矢先、彼女からメールが来た。
高齢の両親を手伝うために、この夏は残念ながら無理とのことだった。
「息子さんは、もう私のお手伝いは必要ないかもしれませんが、このご縁を切りたくないというのが私の気持ちです。
夏休みでなくても、もし私を必要とするときがあったら、ご連絡下さい。
勝手を申し上げてすみませんが、私も毎日、忙しいわけではありません。
お宅に伺って、家事をすることが、私にとっても楽しいのです」とあった。
助っ人が一応身近にいるという、ただそれだけで、私の気持ちはずっと楽になる。

気が付けば、息子は中学3年生だ。
私がいなければどうしようもないという年でもなくなった。
そうか、この子は中学3年生なんだと、私は彼の顔を見る。
「なんでじろじろ見るんだよ」
「今年で中学もおしまいなんだね」
「来年の3月だよ。そんなに早めないでくれよ。
そのころ、俺、どこか高校入ってるかな」
息子と違い、中学卒業が間近であることに私は驚いてしまう。
子どもたちに最低限の教育をという意味の義務教育が、もうすぐ終わるのだ。
「夏休みと考えるから長いけど、1日1日をどうにかすごせればいい。
自分の子どもをどうにか食べさせて、自分たちも落ち着いて子どもたちに向き合えれば、それで十分。
大丈夫だって。
あんたたちが自分の頭で考えれば、どうにかなるよ」
あの当時、私たちを励ました佐藤さんの言葉が浮かんでくる。
大丈夫だったかどうかわからないが、少なくとも、息子も中学3年生になっている。
息子も私も、小学4年生の夏の思い出を記憶している。
ほんと、大丈夫だ、どうにかなるさ。
私はそうつぶやいた。