Novel(百物語)
02ten

似た男

その男の話を思い出すたびに、私の頭には浦島太郎が浮かんでくる。
どちらも漁師だからなのだが、あの浦島太郎と一緒にするのはおかしいと笑われるかもしれない。
しかし、昔話を読んでみても、太郎が亀を助けたことはたしかだが、どんな人だったのかはよくわからない。
亀を助けるくらいなら、似たようなことをする男がいてもおかしくはない。
竜宮城から帰ってきた後、海浜でどんな生活をしたか、昔話にはどこにも書いていない。

安夫というその男は、小さな船を持っており、たいていひとりで漁に出た。
ひとりなのは、男の頑なな性質も手伝っていた。
義務教育を終えてすぐに都会に出たが、怪我をして帰ってきた。
男の左手には指がない。
そんな体で漁をするのは大変なはずだが、たいていはひとりでどうにかこなしていた。
どうしても手伝いが必要な時だけ、あらかじめ目をつけておいた中学生に男は声をかけた。
放課後、あるいは日曜日に、中学生は男の船に乗って手伝う。
海の近くに住んでいれば、どんな少年でも使えるというわけではない。
役に立たない少年など、男も必要とはしなかった。
手伝いがほしいのであって、漁師に育てようなどと考えているわけではなかった。
男の目利きは、大したものだった。
結果として、男の船に乗るような少年たちは役に立つ奴だと周りも認めていた。
ただ、見込んだ少年もすぐに職業に就いたり、上の学校に行く年になって村を去っていく。
使える少年を、男はいつも探さなくてはならなかった。
だからこそ、目利きになったのかもしれない。

助っ人の少年たちは、男をあにさんとか、ヤスあにと呼ぶ。
陸にいる時の男は、無口で、愛想がない。
それを除けば、どこにでもいる普通の男だった。
しかし、船の上では、人間が変わったかと思えるほど、怖い時があった。
瞬時に判断しなくてはならない海の上では、ぐずぐずしている暇はなかったからだった。
ロープが勢いよく引っ張られるとき、下手なところに指をかけていれば、すぐに折れてしまう。
指が切れて海中に飛んでしまうことすらある。
男は怒鳴り声で指示するが、それにおびえ、怖がるような少年は最初から選んでいない。
そのうちに、どの少年もコツを覚え、一人前とまではいかないにしろ、漁師といえる仕事をした。
かつては、そうやって若者は船を操り、漁を覚えていた。
少年たちは誰も船舶免許など持っていなかったが、仲間を助けるために船を出せという状況が起こったら、十分に役に立ったはずだ。

男は一応、漁協に所属していたから、漁協の共用冷蔵庫を使っていた。
漁師たちはすぐに出荷するとき以外は、獲ってきた魚を専用のケースに保存した。
誰とも組まない男は他の漁師から煙たがられていただけでなく、騙されることもしばしばあった。
男が獲ってきた上等な魚を、別の漁師がこっそり自分のケースに移している現場を少年が目にすることがあった。
子どもがいくら憤っても、何の力もない。
見られていることなど重々承知で、煙草を口にした漁師は堂々と泥棒をおこなう。
助っ人の少年は、ヤスあにがだまされていることが悔しかった。
たしかに、ヤスあには長所の少ない男だった。
ただ、手伝った少年が家に帰るときは、獲った魚のうち一番立派なものを持たせてくれた。
少年の母親が驚き、喜ぶような魚だった。

少年たちが男の家に行くことはほとんどない。
仕事を頼まれるときは、直接船に行く。
男はひとり暮らしだが、女性と一緒に住んでいることもたまにあるらしい。
下卑た言葉で男をからかったりするものもいるが、男は全く無視した。
結婚など、到底できそうにもない男に思えるから、手伝いの少年たちは不思議でならなかった。
あんなに気難しい男でも、好きな女といる時は違うものだろうかと想像した。
男の家にしばらく住んでいたのは、行き場のない女だった。
一度は出ていった故郷に舞い戻ってきた女もいれば、流れ流れて村にたどり着いてしまったような女もいる。
田舎でも都会でも、人間はさほど変わりはない。
田舎には心優しい人間ばかりいるように感じるのは、映画やテレビドラマに慣れた人にちがいない。
行き場のない女たちがいても、ただ、遠巻きに見ているだけだ。
彼女たちに声をかけるのは、男ひとりだった。
行く所がないなら、しばらくうちにいればいい、どうせ俺は海に出ているからと男は言った。
大半の女たちはほっとして、男について行った。
ただ、男は長居をさせなかった。
最初の1週間は黙っているが、その後は、身の振り方を考えたほうがいいよと言う。
寝る場所と質素な食事に、最初のうちは感謝していても、ほとんどの女たちはそれが当然のような気分になってくる。
相手だって本当は独り身が寂しがったにちがいないと、女は勝手に思い始める。
しかし、男は嬉しそうな顔ひとつしない。
惚れたわけじゃない、女ひとり危ないから家に入れただけだ、自分で考えろと男は冷たかった。
最後には男に愛想をつかし、時には派手な喧嘩をし、女たちは去っていった。
男に感謝して去っていく女も、いないわけではない。
しかし、そういう相手にも、男の表情はさほど変わらなかった。

男が漁のためではなく、船を出す時があった。
助っ人の少年たちは、遺族を連れた男の船が海のかなたから現れるときの興奮を忘れることはできない。
その時だけは、あの偏屈な男がひどく英雄に見えたものだった。
年老いた親が村で死んでも、すぐに葬儀が行われることは少なかった。
ほとんどの子どもたちは、遠く離れた都会に住んでおり、村の人たちは遺族が帰ってくるのを待つしかなかった。
今と違い、死人を保存しておく技術もない。
少しでも早く帰ってきてほしいのは、駆けつける子どもたちも待っている側も同じだった。
村には小さな港しかなく、連絡船は山を越えた反対側の港に着く。
1日に1本しかない連絡船を待ち、港に着いてから再び山越えをするとなると、とてつもなく長い時間がかかった。
一番いいのは、直接船を出して迎えに行く方法だが、漁師たちは自分の仕事もあり、なかなか動いてはくれない。
しかし、男は違った。
頼まれると、黙ってうなずき、少々海が荒れていても船を出してくれた。
当人は変わっていないのだが、男に対する村人の評価はその時だけ、偏屈から善人に一時変更される。
連絡船が着く山向こうの港ではなく、連絡船が出る遠くの港まで男は船を走らせ、直行で村まで運んでくれた。
小さな港で、人々は遺族がやって来るのを待ち続ける。
かかる時間を換算し、そろそろだとか、荒れているから時間がかかるだろうと話し込む。
そのうちに、見えた見えたと騒ぐ者がいる。
いつもは男の悪口を言う者も、そのときばかりは、もうすぐだ、もうすぐヤスが着くぞと大声で叫んでいる。
海が荒れたときは、男の船から降りる遺族の足取りは弱々しく、こちらのほうが死にかけた顔をしていた。
遺族は男に礼を述べるひまもなく、急いで親の家に向かっていく。
そのうちに見物人も消えて、男と船が残る。
準備を済ませると、何事もなかったかのように、男は漁に出た。
あいつは死人で儲けよる、と毒づく者もいた。
何を言われても、男の表情は変わらなかった。

男の話を、私はおばあさんだと思い込んでいた美容師から聞いた。
かなり前のことだ。
当時、私が美容院に行くことなど、ほとんどなかった。
1年に1回、よくて2回、長くなりすぎた髪を切ってもらう。
美容院ならどこでもよかった。
住んでいたアパートの近く、古めかしい美容院に足を向けるようになったのは、休みの日に出かけるのが面倒だったからだ。
とはいえ、かつては赤い色だったと思われる色ガラスのドアの中がどうなっているのか、少々不安だった。
年をとった女性が椅子からよっこらしょと立ちあがり、
「さあどうぞどうぞ」
と私を招き入れた。
選ぶ店を間違えたかなと一瞬思ったが、今更どうしようもない。
仕方がないとあきらめ、鏡の前に座った。
私の髪を梳きながら、
「艶も何もかも違うわ、若い人の髪は、いいわねえ」
と彼女が言った。
褒めてもらうような習慣がないから、私はなんと答えてよいのかわからなかった。
ありがとうも言えない行儀の悪い子どものようで、恥ずかしかった。
髪を、ただ短く切ってもらうだけだから、美容師のカットの技術が高いかどうかはよくわからなかった。
ただ、おばあさんの洗髪のうまさに驚いた。
指がふっくらと柔らかく、地肌に触れるときも適度な強さで、なにもかもが気持ちいい。
私にとっては初めての経験だった。
洗って乾かし、整えてもらった私の髪は、いつもとはまったく違った。
支払いを済ませると、おばあさんは「よかったらまた来てくださいね」と言った。
思わず私は頷いた。
髪を切ってもらう間、客は誰も来なかった。

ある日、「今日は急ぎ?」と彼女が聞いた。
休みの日は暇だから、何も考えずに私は首を振ってしまった。
「若い人が来るなんてほんとに珍しいのよ。なんだか嬉しくなってね。
よかったらお茶でも飲んでいかない?」
年をとった人にそう言われると、今更断ることもできない。
言い訳をすればよかったと、私は悔やんだ。
「もらいものがあるのよ、それでお茶を誘ったの。
うちの近くにホテルのパン工場があるの、知ってる?」
アパートに移り住んだのは1年以上前のことだったが、この界隈について私はほとんど知らない。
「毎週木曜日に、パウンドケーキの切れ端や、上等なパンを安くで売ってるのよ。
さっきおすそ分けしてもらったんだけど、お義母さんとあたしじゃ多いから」
現金な話だが、食べ物にありつけるとわかると、急に気持ちが変わった。
朝から何も食べていないから、空腹だった。
美容院の奥の小さな部屋でお茶を飲み、ケーキを食べた。
切れ端と聞いたから見かけは期待していなかったのだが、まったく普通のパウンドケーキだった。
味はもちろん素晴らしかった。
お茶を飲んでいるときに、「ちょっとごめんね」とおばあさんは何度か席を立った。
「どうしましたか」と姑に声をかけているようだった。
おばあさんとしか思っていなかった美容師が、自分と同じくらいの中年女性だったと今になってようやく理解できる。
若い人間から見ると、中年も老年も同じ部類に入ってしまうのだ。

なぜか、人は私に話をする。
美しくもなく、個性的でもなく、いるのかどうかわからないような私を相手に、人は独り言のように思い出を語る。
きっと私は煙草の煙に近いものなのだろう。
独り言など簡単に思えるが、案外私のような小道具があって初めて、話というものは口から出てくるものらしい。
若いころから、私は聞き役だった。
あの美容師が安夫という男の話をしてくれたのは、パウンドケーキを食べているときだ。
食べていたのは、もっぱら私だった。
男の家を出てから美容師を目指したのですかと尋ねてみたかったが、話している相手は質問してほしいわけではない。
聞き役を何度も経験すると、そんなことくらいはわかるようになっていた。
自分が男の家に住んでいた女のひとりだと、彼女は口にしていない。
私も浦島太郎の話を聞いているかのように、彼女の話を聞いた。
昔話をする人は、主人公との関係など、誰も口にはしないものだ。


その後、私が聞き役になったとき、安夫という男を思い出したことがあった。
卒業50年の同窓会開催通知をもらい、墓参りがてら故郷に帰ったときのことだ。
同窓会に行こうなどと思ったのも、私にしては珍しいことだった。
どんなに年を加えても、顔を合わせれば中学時代に戻れるという魔法が全員に起こるわけではない。
私は賑やかな人たちから少し離れ、それでもその場の雰囲気を楽しんだ。
壁の花というよりは、壁紙そのものの私だからこそ、ひがむのではなく、楽しみ方を会得しているのだ。
考えてみれば、同窓会というような催しでなければ、同年齢の男女がこれほどまでに集まるところを見ることなどできはしない。
私にも話しかける人が出てくる。
相手が一方的にしゃべっていたのだが、それでも私は楽しんでいた。
聞き役の私にとっては、いつもの定位置のほうが、かえって落ち着くのだ。
同級生の話は過去の中学時代ではなく、現在の母親の介護のことへと移っていった。
頼りにしていた姉が倒れ、男の住む都会の施設に母親を引き取ったと彼は言った。
同居できないせめてもの親孝行にと、週末には母親を見舞っているらしい。
「最初は子どもの頃の話なんかしていたんだけどさ。
そんなのって、すぐに種が尽きてくるんだよね。
せめて、両親の若いころの話でもしてもらおうと思ったんだけど、これもうまくいかなかった。
俺の知らない親父のことなんか話してくれるのかなと期待したんだけど、空振りさ。
あとは、お互いに黙って外を見ているだけ。
困ったって思っていたら、おふくろが少しずつ話してくれ始めたんだ。
ありがたいって思って聞いていたら、誰だかわかんない人のことばかりしゃべるんだ。
親戚でもないし、女友達でもない。
おいおい、そいつ、誰なんだよと思っても、おふくろは俺の質問を理解してないんだ。
わからないまま、おふくろの話に合わせて頷いて聞いている。
これが、もしかしたら親孝行なのかなって、この頃は思っているけれどね。
何となく想像するんだけど、どうも若いころ、自分を助けてくれた奴みたいなんだ」
同級生は言った。

同級生のお母さんは、いったいどんな男に出会ったのだろう。
長く付き合ったら決していい男ではなかったような気が、何となくする。
思い出くらいでちょうどよいのかもしれない。
安夫という漁師のように。
亀を助けた浦島太郎のその後を、誰も知らないが、似た男が今も津々浦々にいるのだと思うと、私には嬉しくなる。
私はまだ出会ったことがない。