Novel(百物語)
02ten

マザーズリンク

親子三代 その三 明子


退職して二年、ずいぶんゆっくりした生活を送った。
その生活が終わったのも、実は嬉しかった。
声がかかって再び働けるのというは、嬉しいというよりは、身体に沁み込んでいる作業を続けられる安堵感かもしれない。
私のプレゼンテーションは、元々、独特なものだった。
パワーポイント等の一般的な方法はもちろん使うが、相手に十分に理解してもらうため、私は苦労をいとわず、様々な手法を考えた。
イメージを喚起するために、私は世界一短いと思われる小説まで書いていたのだ。
私の手法に目を付けた人がいたとは考えもしなかった。
二十代の若い人たちが私を必要としてくれるとは驚きだった。
いつ、お払い箱になっても気にならない年齢だからこそ、こちらも気軽に引き受ける気持ちになれたのかもしれない。

仕事に出かける時、私は娘からもらったばかりのリングをつけていく。
「マザーリングとあたしが名付けたの」
桃子は言った。金の細いリングで、飾りは宝石ではなく、指の正面でmという字体になっている。
「電球のフィラメントみたいだね」
姑が言った。
「夜店かなんかで買ったのかい」
「もう、おばあちゃんたら。近ごろは、夜店なんかではそんなもの売ってないわよ」
「だってさ、あんたが以前、あたしにプレゼントしてくれたのはもうちょっとましなもんだったよ」
姑もこれで案外気にしてくれているのだろうと私は思った。
「あら、お義母さん、あたしは気に入っていますよ。
夜店だろうが」
「もう、ふたりとも、なによ、夜店って。これはね、きちんとした店で買ったんだから」
桃子は呆れたように言う。
「ただ、おばあちゃんの感覚は正しくて、エムだからマザーリングと名付けたのはあたしだけどね。
もともとはエムでもないらしいけど」

このリングを私は気に入っている。
実は、娘のマザーリングのおかげで、マザーズリンク、つまり、お母さんたちが気持ちよくすべるスケートリンクが頭に浮かんだ。
それが、復帰後最初の仕事になった。
好評だった。
絵柄も作りやすい。
見事なスケートをする人も、手すりにつかまりながら、おそるおそる歩き出す人もいるリンク。
子育てはスケート同様、さまざまだ。
いつのまにか、上手になっている。
転んだっていいじゃないか。
マザーズリンクという言葉が、母親たちが元気に子育てをし、仕事をするというビジョンを紡ぎだす。
プレゼンは顧客も満足するものとなった。

退職後二年間、しばらくは、目覚ましの音で目を覚まし、急いで準備して出かけなくていいというのが、どうも奇妙に感じられた。
朝食の片づけをし、洗濯をして掃除をしていると、いつの間にか正午になってしまっているのも不思議だった。
これまでは、一日二十四時間が、通勤、仕事、家事、睡眠と細かく分割され、埋め尽くされていた。
通勤や仕事がなくなったのだから、十時間程度の空きができるはずだが、そんなものはなかった。
パン種が発酵するように、ひとつひとつの作業がほんわりとふくらんでくれている。
たぶん、洗濯物を干す作業もゆっくりとなっているのだろう。

生まれたばかりの桃子を引き取って育てたときから一緒に暮らしている姑は、ほとんど家にいない。
自分が働いているときは、あまり気に留めてはいなかった。
以前はビルの清掃やマンションの管理人の仕事が主だったらしい。
近ごろは、高齢者向けの家政婦だと当人は話してくれる。
「あのね、明子さん、お金で解決できないものが世の中にはあるのよ。
家族や周りの人間が困っている老人って多いんだよ。
付き添いの人や家政婦が長続きしないの、そういう老人は。
おかげであたしの出番があるってわけ
時給交渉も楽なのよ。
だってこっちが値上げを口にしなくても、以前の人たちの時給を聞けばいいんだから」
ああそうなんですねと普通に会話ができないようなことを、姑はさらりと言う。
「雇ってもらう側は立場が弱いように思えるけれど、辞める自由があるから助かるよね。
かわいそうなのは家族よ。
だって、辞められたらまた探さなくちゃいけないでしょ。
同情するよ」

十分に老人になっている姑が家政婦の仕事をするのは大変ではないかと、私は気がかりだ。
下手をすれば、こちらのほうが年寄りかもしれない。
「大丈夫、楽しいよ。
なんせ稼げるんだから。
それにね、自分が雇っているからって偉そうな口をきいている人だって、かわいそうなもんよ。
あたしみたいにちゃっちゃか動けないんだから、まあしょうがないよね」
「おかあさんは辞めたいって思わないんですか」
「そうだねえ」
姑は真面目な表情をして考え込む。
「あんたとふたり、この家で顔を突き合わせるよりましじゃない?」
「ええっ、ひどい!」
「冗談だってば。
ほら、おとうさんが倒れたころから少しずつ働き始めたでしょ。
もう習慣になっちゃって、家でじっとしているのが性分じゃなくなったんだよ。
不思議だよね、以前はもう少しおとなしかったんだけどね」
「桃子が来てから同居になってしまい、すみません」
「そんなことないよ。
あの時はひどく嬉しかったね。
息子が死んでしまったのに、あたしにも孫ができるなんて嘘かと思ったよ。
まあ、その前にあんたの話を聞いて驚いたけれど。
まだ再婚だって考えられるのに、堕ろすっていう赤ん坊を引き取るっていうんだから。
あんたって、見かけによらないすごい女だって思ったね。
うちの息子が惚れるはずだよ。
そうそう、今の仕事が楽しい理由を思い出した」
姑の話は突然変わる。
同居したころは驚いたが、ずいぶん慣れた。
近ごろは、老化も入っているのではないかと推測している。
「ほら、泊まり込みの仕事が入ると、時々家に帰るのが新鮮なんだよね。
あたしにはうちがあるんだって、嬉しくなるんだよね」

私は思わず笑ってしまう。
見た目は一見おとなしそうな、小柄で痩せたおばあさんの姑ではあるが、いったいどんな顔をして家政婦の仕事をしているのだろうか。
雇い主の前でも、案外思ったことを平気で口にしていそうな気がする。
「以前はもう少しおとなしかったんだけどね」
というのが姑の口癖だ。
同居したばかりのころは、真に受けていたが、今は信じていない。
桃子が小学生のころ、
「おかあさんもお人よしだねえ」
とからかわれたこともあった。
「おとなしい人なら、あんなことは言わないよ。
おばあちゃんはきっとおじいちゃんが死んだころから、ようやく自分のことが少しは分かったにちがいないね。
ねえ、お父さんはおばあちゃんのこと、どんなふうに言ってたの?」
桃子にとって私の夫は実のお父さんではない。
しかし、仏壇に手を合わせ、写真を見ているうちに、いつのまにか桃子はお父さんと呼んでいる。

私は子どもを育てたことはあるが、産んだことはない。
産みの苦しみも、つわりや切迫流産の危険も知らない。
その代り、一瞬ではあったものの、出産できなかったことへの抑えられない苦しみを感じたことはある。
苦しみというよりは怒りというほうが近いかもしれない。
自分に桃子という娘ができたことのそもそもの始まりが、怒りであったというのも不思議な気がする。
カッとなってはいけないと、世間では言うし、私もそう思う。
ただ、私がカッとなり、その結果として姑すらも呆れるようなことをやってしまったからこそ、桃子は我が家の赤ん坊となった。
姑はもともとおとなしい人ではなかったのだろうと桃子は推測したが、私も普通よりは穏やかな人ではないのかもしれない。

私が以前の会社で部長代理をしていたころ、アルバイトの若い女性が頼みごとをしにやってきた。
もう二十年以上も前のことだ。
別の部署の、それまで会ったこともないのに、なぜと不審に思った。
若い女性たちでカンパを募っていたのだが、どうしても資金が足りないらしい。
彼女との立話でわかったのはそれだけだった。
不得意なのに敬語を使おうとするせいで、かえって理解できない。

私なら女性だからわかってもらえそうだからと、彼女は言った。
悪い子ではないが、まとまりのない会話から言葉を拾うのは面倒だった。
アルバイトとはいえ、会社はこれほどコミュニケーション能力のない人材を雇っているのかと、私は腹が立った。
理解しなくてはカンパだってするわけにはいかない。
これはじっくり聞くしかないとあきらめ、私は彼女を昼ご飯に誘った。
彼女にランチをおごったといったほうが正確だ。
「この会社じゃないんです。
あたしの友達の知り合いっていうか。
彼女、困っていて。
赤ちゃんできちゃったんだけど、彼氏はまだ結婚しないっていうし。
安い病院で手術を受けると、危険じゃないですか。
だから、みんなでお金を集めているんです。
部長さんなら、お金持っていそうだし、出してくれそうな気がして」

まとめればこういう話になるが、あちこち飛んでいく話をひとつひとつ拾い集めていくのは大変だった。
この子を昼食で混雑する店に連れて行かなくて正解だったと思った。
食事を終えたら急いで席を立つような店なら、聞き出すのは無理だったに違いない。
「私、部長じゃなくて、部長代理だからね」
私はパスタをフォークに絡ませながら、訂正した。
食べることに集中しているように見せてはいたが、目の前の若い子を、フォークで刺し殺してやりたかった。
よくもまあ、この私に金を出してくれと頼めるものだ。
子どもを欲しくてもそれが望めない私に対して、ひどすぎると頭の中でわめいていた。

ただ、それが八つ当たりであることくらいはわかっていた。
目の前の彼女は私のことなど、部長代理の女性だという以外、何も知らないのだ。
私なら協力してくれるかもしれないと思っただけだ。
歳を加えるということは、こうやって冷静になることなのだろうかと私は苦々しく思った。
彼女の代わりに、皿の中のパスタをにらみつけたはずだったが、私の頭の中で、誰かのおなかにいる赤ん坊が浮かんだ。
竹取物語のかぐや姫は、こんな想像から生まれたのだろうか。
怒りが渦巻く中で、ふとアイデアが湧いた。
どうせ協力するのなら、堕胎ではなく、私が育てればいい。
アルバイトの若い女性は、最適な人に助けを求めたのかもしれない。
そう思ったら、急にパスタの味がした。
空腹を感じ、私は勢いよく食べ始めた。
サラダから始まり、食後のコーヒーと小さなデザートまでにはおおよそを理解した。
いつもより高いランチ代、それも二人分の金額は無駄ではなかったと自分に納得させた。
敬語も使えず、話を簡潔にまとめる能力もない子であるのは確かだ。
しかし、知人が安全な病院で堕胎の手術ができるよう、健気にも私に協力を求めてきたのだ。
その点だけは忘れてはいけないと、私はコーヒーを飲みながら自分に言い聞かせていた。
私の目の前にいる若い女性に、私の心の中の怒りを感じる能力があったら、恐ろしくて逃げ去ったに違いない。

数年前に、私は夫を急な病で亡くした。
年齢は少々上になってはいたが、出産をするのはまだ大丈夫なはずだった。
若いうちに仕事と出産を同時に行なうよりは、仕事である程度の目処を立ててからというのが私の考えだった。
夫は私の考えを理解してくれた。
だからこそ、出産を本気で考えた私を改めて支えてくれた夫が突然この世を去ってしまったことは、二重の苦しみになった。
人生をやり直すことはできず、大切な夫も消え、いつかふたりで育てるはずの子どもも夢物語になってしまった。
私には何も残らなかったと辛さをかみしめているまさにそういう時だった。
アルバイトの若い女性が天真爛漫にも堕胎のカンパをお願いにきたのは。
アイスティーを飲んでいる彼女に私は言った。
「協力するから心配しないで。
でも、あなたが考えているのとはちょっと違うの。
直接、その友達に会いたいから、連絡先を教えて」
「部長、怒ってませんよね」
「あのね、私は部長代理なの。
役職名を間違えないでね。
お友達を怒ったりはしません。
約束する。
安心してちょうだい。
お説教もしないから」

未亡人と独身者は厳密には違うかもしれないが、そういう人間が養子縁組などできるのだろうか。
もし、養子が可能になったとしても、次には保育園のことを考えなくてはならない。
これまで、何となく新聞等で目にしてきた問題が、直接私に関わってきた。
私がそういう問題を引き寄せてしまったのだ。
どうやって調べるか、どこに相談するか、まずは何から手をつけるべきなのか。
たぶん、そんなことを考えながら私は職場に戻ったはずだ。
もうひとつ頭に浮かんだのが、姑のことだった。
夫と結婚している時も、姑とはあまり顔を合わせてはいなかった。
喧嘩をしているわけでもなく、仲が悪いわけでもない。
夫が言うには、
「あんたたちは好きにしてよね」
といつも口にしているから、姑も必要性を感じていないというのだ。
不動産を管理しているらしく、忙しいとも聞いていた。
あまり会っていないことは確かだったが、数回、挨拶をした経験から、私は姑を好ましく思っていた。
一緒に買い物をしたりおしゃべりをすることはないかもしれないが、単刀直入の話でも受けてくれる人だと感じていた。
協力してもらいたいというのではなく、私がこれからやろうとすることを姑に伝えておかなくてはと思った。
両親に対しては事後報告でいいと思っていたのだから、姑への遠慮だったのかもしれない。
息子を亡くした母親にとって、私が他人の子どもを育てようとすることをどう思うのか、まったくわからなかった。
だからこそ、会って伝えておきたかった。

「簡単に考えたらだめだよ。
あんたの再婚も遠のくよ。
そんなこと考えてもいなかったっていう年じゃないよね」
私の話を聞いた後、姑はそういった。
「もちろん、こわがる必要もないんだよ。
子どもなんて、いつのまにか大きくなるんだから。
ほんとあっという間さ。
ただ、子育ての間はいったいいつまで続くんだろうって思うほど長く感じるけどね」
馬鹿なことを考えているのかと言われてもおかしくはないのに、姑はそういう類のことはひとつも口にしなかった。
それが何よりうれしかった。
しばらく黙っていた姑が
「やるつもりなら、あんた、うちに住んだらどう?」
と突然言った。
「家賃も浮くし、その分、保育園だのなんだのに回せるよ。
人手はあるのにこしたことはない。二人いたら赤ん坊を育てるのだってどうにかなるさ」
思いがけない提案だった。
「仕事が手につかなくなったり、身体がもたなくなったら何にもならない。
あんたも若くはないんだから。
あかんぼうの母親になるつもりなら、しっかり稼がないとどうしようもない」
姑はきついことを言う。
しかし、夫を育てあげた人の言葉は身に沁みた。

後に桃子と名付けた赤ん坊がこの世に生まれるまでの約半年、よくあれだけ動けたものだと思う。
信じられないほどの忙しさだった。
ただ、面白いことに気が付いた。
それまでは、帰宅後も仕事のことをひきずっていたのだが、そんな余裕は吹き飛んだ。
会社にいるときは仕事に専念しているが、その後はあれこれ悩む暇がない。
かえって仕事上は効果があった。
気持ちの切り替えなどと考えていたこと自体が、ひまだった証拠だ。
しかし、私もしばしば弱気になった。
何もかも初めてのことばかりなのだから仕方がない。
子どもを出産する女性はみなこうなのだと自分を鼓舞した。

赤ん坊の母親である女性を気に入ってしまったことも前向きになったひとつだった。
恋人と結婚するはずだと思っていたからこそ、彼女は子どもができたことを受け入れていたのだった。
ところが、男の側はまだ決断はできていなかった。
逆に尻込みし、妊娠したにもかかわらず、二人の仲も終わってしまった。
男はそれでかまわないかもしれないが、女はそれで終わりにはならない。
とはいえ、未婚で出産するのは、あまりにハードルが高かった。
事情を知った彼女の友人たちが、なるべく良い病院に行けるようにと手術代を集めていたのだった。
彼女が出産を希望しないかもしれないと、私は会う前から予想していた。
出産を決意すれば、彼女は失うものが多すぎる。
現在の仕事を続けることができるかどうかも確実ではない。
たとえ、やめなかったとしても、出産の事実を隠しておけないだろう。
彼女にそれが耐えられるのだろうかと、私は思った。
ところが、意外なことに彼女は私の提案を受け入れてくれた。
自分が育てられないにしても、手術を受けることにためらいがあったという。
彼女の気持ちを知り、私は改めて自分の責任の重さを感じた。
いい加減なことをしては彼女にもおなかの赤ん坊にも申し訳ないと強く思った。
たしか、怒りの気持ちから始まったことではあったが、そんなものはいつのまにか消えていた。

なぜ、桃子と名付けたのかと娘から聞かれたことがある。
「おとうさんが付けたわけじゃないよね。
おとうさんはもういなかったんだもの」
私の夫は桃子のお父さんではないのだが、私をおかあさん、姑をおばあちゃんと呼んでいる桃子にとって、写真の中にいる夫をお父さんと呼ぶのは自然だった。
姑と私は、桃子が幼いときから養女のことは伝えていた。
「桃子、あんたは本当に大切な子なんだよ。
あたしたちが本当に望んでいたら、来てくれたんだから」
姑はいつも桃子にそう言った。
「桃太郎じゃないよね、おかあさん」
娘は真剣に聞いてきた。
「それはちがう。
桃ってとっても縁起のいい果物なの。
中国からきたもので、悪いものを遠ざける力があるといわれていたんだって。
長生きもさせてくれるものらしいよ。
桃源郷って言葉がおかあさん、好きなんだけれど、桃の花が咲いている場所ってそれだけでも気持ちよさそうだし。
あのね、おとうさんのお友達に長崎に住んでいる人がいたの。
そのお友達がね、桃カステラっていうお菓子を時々送ってくれたの。
カステラの上に砂糖で桃をかたどってあるんだけど、見ただけで幸せになるのよね。
桃が福を表わしているって感じてたのよ」
「おかあさんって、お菓子であたしの名前、決めたの?」
「うーん、そうかなあ。
桃の幸せ感が好きだったともいえるんだけど」
「まあ、いいか。
桃太郎って言われてもしょうがないよね。
桃太郎って強いし、桃は悪いものを征伐するんだよね」

小学生の桃子は、走るのが速かった。
姑と私は運動会になると、ひどく親ばかになったものだ。
将来は陸上選手かもしれない、ゆくゆくオリンピックだろうかと頭をよぎったこともある。
幼稚園に通っていた桃子が、衣服についているタグを見て、
「うちみたいだね」
と口にしたこともあった。
「麻60%、テンセル20%、ポリエステル10%」といった表示だ。
姑と私と桃子の三人家族のようだと彼女が言ったのだが、私はひどく感動した。
この子には何かを直観的に理解できる才能があると私は涙ぐんで姑に伝えた。
真面目な話なのに、姑は大笑いした。
「小さいときは、誰もが詩人になるものだよ。
あたしだって、息子の言葉に感激したものさ。
あの子は天才だってね。
でも、親ばかがなければ、子育てなんてできやしない。
あんたひとりくらい、桃子を天才だって思ってもいいんだよ
。まあ、数年後には思わなくなるけど、それはそれでちょうどいいんじゃないかい」
姑が指摘した通り、小学生も半ばになる頃には、私も桃子を天才だとは思わなくなった。
我が子だと思うだけで十分だった。
親ばかが消えたというよりは、小学生の時は小学生の親の悩みに、中学生の時は中学生の親の悩みで忙殺されただけだ。

今考えれば、桃子は親に大変な思いをさせない楽な子どもだったと思う。
そうであったとしても、当時の私はそうは思えず、あれこれ悩み、心配し、けんかをしてきたのだ。
この家には父親どころか、全く男の姿がないことを、意識しすぎたときもある。
母親のやさしさと父親の厳しさをどちらも兼ね備えなくてはと、とうてい不可能な目標を立てていた。
どうかんがえても無理な話だ。
それまで一度も子育てを経験したことのない私が、高みを目指している。
まず、自分ができることをチェックしなくてはならないのに、そんなことすら考えられなかった。
子育てでは、私が仕事で発揮してきた力がまったく役に立たなかった。
仕事の面では自然と考えられる手順すら、なぜか頭から消えていく。
綱渡りを続けながらも、仕事はどうにかやめずに続けたのは、姑が指摘したように収入が必要だったからだ。
一方で、仕事がどれだけ私を救ってくれたかわからない。
良くも悪くも結果が見え、組織の中で自分の立ち位置が見えているのは、本当にありがたかった。

姑がいなかったら、桃子を育てることはできなかったに違いない。
ただ、姑のやり方に驚き、気になってしまうことはいくらもあった。
子育てに対して肩ひじはっている私に比べ、姑は使えるものはなんでも使うというやり方だった。
帰宅すると、我が家に知らないおばあさんがいて、桃子を抱っこしているときは驚いた。
友達と会うときに桃子を連れていった縁で、姑だけでなくその女性も保育園のお迎えをしていたらしい。
半年以上、私は気づいていなかった。
他にも人の出入りはあった。頭では分かっても、私は納得がいかなかった。
「あんたとあたしだけで子育てできるわけないじゃない」
私が詰問すると、姑はのんきに言った。
「誰かわからない人に、外で、ほいっと赤ん坊を渡しているわけじゃないんだから」
「なんで教えてくれなかったんですか」
「言おうと思ったけれど、あんたは仕事から帰っても、じぶんひとりでしゃかりきに頑張っているだろう。
あたしがあんたと同じくらい頑張れる年だと勘違いしているんじゃないかね。
少しは肩の力を抜きなさい。
そんなことでは、出世もできやしない」
今では、姑が励ましてくれたのだとわかるが、あの当時は、桃子の泣き声と同じくらい腹が立った。
ただ、桃子をほおりだすわけにはいかない。
その一心でどうにか過ごしてきただけだ。

どんな子育てをしてきただろうと、振り返ってみても、残念ながらよく憶えていない。
子育て仲間のお母さんたちと年に一回、飲んだりすることもある。
PTAの役員仲間の人から、声をかけてもらうこともある。
そんなときは、昔の話題が出ることもあり、あんなこともあったと思い出すのだが、やはり、記憶は定かではない。
船が港を出、そのうちに周囲に陸の影がなくなったときの海原のような感じがする。
桃子もすでに家を出て働いている。
姑と同居してはいるが、ほとんど顔を合わせていないから、一見、夫を亡くしたころと同じような生活だ。
しかし、全く同じではない。
自分のプレゼンテーションを使うとするなら、私もまた、マザーズリンクに降り立ったひとりだ。
今は手すりの外側で、リンクを眺めている。