Novel(百物語)
02ten

練習風景

「お母さんのメールアドレス、教えていい?」
久しぶりに息子からメールが届いた。
子どものころ通っていたサッカークラブの保護者たちが、同窓会を開くという。
当時、30代から40代だった親も子育てが終わり、自身も定年を迎える年頃だ。
子どもたちが大きくなってから、私は数回引っ越しをした。
そのせいで、さまざまな人との縁が切れていたことに今さらながら気が付いた。
小学校の半ばから中学卒業までの6年間、サッカーをしたのは子どもたちだったが、
日常の練習や合宿で保護者の手伝いは欠かせなかった。
あれもまた、チームプレーといっていいのだろう。
親は大人のはずだが、人間関係でトラブルもおきる。
周りが困ることもしばしばだった。
たいがいの子どもたちは、親のトラブルなど関係なく普通にサッカーをやっていた。
大人のどちらかが手伝いに来なくなるという形で、保護者間トラブルは一応終わりとなった。
人間関係の揉めごとで、どちらが正しいということは多くない。
消極的ではあっても、よい解決方法だった。
私自身は、一応仲間に入れてもらえているという程度でしかない付き合いだった。
地域のいくつかの学校から、子どもたちは集まっている。
最初は、同じ学校の仲間がいないせいかと考えていたが、どうも私自身の性格かもしれない。
仲間外れになってはいないが、特別仲の良い人もいない。
そういったことを気にする母親もいるが、私はどうにか平気だった。
おかげで、嫌な思い出はほとんどない。
息子の連絡が届いたらしく、早速、案内が届いた。
集合場所の居酒屋は、かつて、試合が終わった後の懇親会で毎回使っていたところだ。
個人営業だからこそ、今も続いているのだろう。
1か月後が楽しみだった。

居酒屋は貸し切りかと思うほど、仲間でいっぱいだった。
「わあ、久しぶり。変わらないじゃない」
最初の言葉は皆、同じだ。
長いこと会っていなかった割には、すぐに誰なのか分かった。
40代から60代の変化は、さほど劇的ではない。
どうにか若いという年代から、老人と呼ぶには若い年代に変化しただけだ。
乾杯してからは、あちこちで小さなグループが出来上がり、当時の話で盛り上がる。
あの試合は悔しかっただの、合宿のトラブルだの、みんなよく憶えているものだと感心する。
そういう私だって、会話に引きずり込まれていくうちに、少しずつ思い出がよみがえってきた。
子どもたちの、その後の話を聞くのも楽しかった。
結婚している子どもたちが多いのにも驚いた。
かつての仲間たちは、おじいさんおばあさんとしての新しい役割を担っていた。

「二度目の乾杯をします、みんなコップ持って」
1時間ほど経ったころ、コーチをやっていた父親のひとりが立ち上がった。
「坂田さんとの約束を破ることになるけど、許してもらいます。
みんな憶えているかな、練習を見に来ていたおじいさん。
うちらの子どもたちが卒業した後、しばらくして亡くなったそうです。
知らなくて葬式にも行かなかったのに、その後、娘さんから高額の寄付をいただきました。
楽しませてもらったって。
おかげで、うちの財政はかなり楽になりました。
実を言うと、自分たちのころも、毎年正月に坂田さんからお年玉をいただいていました。
黙っとけと言われていたので、これまで隠していてすみません。
でも、チームのために使っていたことは本当です。
だから、坂田さんとの思い出も含めて、もう一度乾杯!」
「坂田さんに乾杯!」
目の前にあったコップは私のものではなかったが、私はそれを高く掲げた。
「そういえば、だんなさんの会社のお偉いさんだったよね」
かつての仲間が私に言った。
「めんどくさいから、いつも話し相手をさせてしまったよね。ごめん」
「そんなことないよ。考えてみれば、ずいぶん前のことなんだねえ」
「だんな、元気?」
「たぶんね」
息子の父親はあの当時、チームの手伝いに参加したことがなかったから、誰も私の夫を知らない。
離婚した私は、かつての夫に会ったことがない。
元気なのかどうかも知らない。
しかし、結婚生活が長くなると夫のことなど気にしない妻は増えるようだ。
誰も私の返事を不思議に思っていなかった。

亡くなったのかと一瞬感傷的になった。
あの当時から、坂田さんはずいぶんのお年寄りだった。
マムシさん、と心の中で呼びかけ、それじゃあ、これはマムシ酒かとひとり笑った。
手に持っているのは誰かのコップだから、乾杯が終わったらテーブルに下ろした。
マムシ酒は飲みたくない。
離婚のごたごたのころ、飲酒をきっぱりやめた。
苦しいときに飲むと、ろくなことはない。
代わりに、牛乳を飲むようになった。
コップに入れた牛乳を、片手を腰に当てて立って飲む。
その恰好をすると、自分の姿も苛立っていたことも笑えてくる。
その後、呑む習慣はすっかり消えてしまった。
頼んで作ってもらった冷茶を手に、皆の話に耳を傾ける。
同時に、頭の隅で坂田さんのことを思い出していた。
坂田さんと話をした期間は短く、実際、その後は忘れていたようなものだ。
恩知らずな私だが、彼と話をするときは、なぜか率直な物言いができた。
まじめといえば聞こえがいいが、当時の私は自分の言葉や態度を回りがどう思うかがまずは気になる人間だった。
それなのに、心のどこかに全くかけ離れた意識を持った自分もいた。
坂田さんと話をすると、もうひとりの自分が解き放たれた気分になった。
もちろん、彼は意図しなかったに違いない。
彼は私が元々そういうタイプだと思い込んでいたようだ。
誤解だったが、気持ちよかった。
彼は最後まで、マムシをネタにしてからかった。
それが出会ったきっかけだった。
遠慮なく話せる人が世の中にいることを、私は知った。
この人なら大丈夫と確信したのではなく、その場の成り行きでそうなってしまったような気がする。
最初の出会いで失敗したから、彼に見栄を張るわけにもいかなかったのだ。
私なりに年長者への敬意は払ったつもりだったが、そんなことを口にしたら、彼は大笑いしただろう。
「うそつけ、すさまじい目つきだったぞ」

最初に坂田さんを見かけたのは、河川敷で開催されていたサッカー大会のときだ。
マムシが出たと騒ぎになって、試合どころではなくなった。
しかし、私はマムシよりも先に、ひとりの男が気になっていた。
河川敷を不機嫌そうに歩いている。
背が高く、いかつい体つきの人だった。
散歩とは見えなかった。
サッカーをしている子どもたち以外にも、あたりには幼い弟妹たちが遊んでいる。
河川敷の大会では、いつも私は周囲が気になり、試合に集中できなかった。
藪が多く、その上、頭の上の土手では、通行人も自転車も多く行き交っている。
しかし、親たちは試合に夢中で、子どもたちを見ていない。
川に落ちるのも危険だが、気が付かないうちに土手を上り、広い道路に出て事故に遭うかもしれない。
私はひとり、きょろきょろしていた。
だからこそ、その男に気が付いた。
どこか不審者に思えた。
私は男を観察するため、近づいていった。
「こんにちは」
と挨拶した私は
「サッカーお好きですか?」
と聞いたはずだ。
近づいて初めて、男がかなりの老人であることに私は気づいた。
しかし、警戒は緩めなかった。
「サッカーはよく知らないが、親も子も楽しそうにしているのを見るのは、気持ちがいい」
老人はそう言った後、
「邪魔して悪かった」
と頭を下げた。
勇み足だったことに気が付いた私はきまりが悪かったが、今さらどうしようもなかった。
その老人が坂田さんだった。

それから1ヶ月もしないうちに、私は華やかなホテルの会場で坂田さんに呼び止められた。
まさかこんなところで会うとは、と私は自分の不運を嘆いた。
やはり来るのではなかったと後悔した。
会社の創立パーティといっても自分とは関係ないと考えていた私は、夫婦同伴と夫に言われて慌てた。
手持ちの服の中で一番正装に見えそうなものを身に着け、私は会場のホテルでひどく緊張していた。
夫は私を置きざりにし、あちこちを飛び回っている。
彼だって忙しいに違いない。
調子が悪いと口実をつけて、先に帰ろうかと考えていると、あの老人が私に近づいてきた。
前回とは正反対の立場になってしまった。
彼は私の近くにくると、にやっと笑って挨拶した。
「坂田と言います。
奇遇だね。
あんたのあの鋭い目つきだけは忘れないよ。
仕事をしているころは、しょっちゅうだったな。
私が交渉で勝った時、相手からよくああいう目で見られたものだ。
でも、まさか退職して呑気に過ごしているとき、あの目つきに出会うとはな。
生き返ったような気がしたよ。
いや、嘘じゃない。
気持ちよかったんだよ。
くそっ、と思ったが、よく考えてみればどこのやつともわからない老人が
子どもたちをじろじろ見ていたんだから。
あんたのあの目つきは、雛を守る親鳥だったんだろうな」
怒られるのかと私は思ったが、彼は気にしている様子はなかった。
「もともと偉そうなわたしだが、あのときも偉そうにしていたんだろう。
あんたにやられたと思ったよ」
坂田さんは夫が働く会社の、元副社長だった。
夫がそばにいなかったのは、幸いだった。
今日こそは失言しないよう気を付けて話をし、その場もそれで終わったはずだった。

翌年、私はまたもや坂田さんに会った。
息子のサッカーチームは、小学校の校庭を利用している。
翌週、私は水当番だったため、練習が終わる頃を見計らって、学校に向った。
毎週、3人の保護者が子どもたちのために、氷の入った水の容器を準備する。
大きな容器をそれぞれ2個持ち帰り、翌週持っていくのが当番の仕事だ。
学校のフェンスの横を歩いていると、向こうから坂田さんが歩いてくる。
今度は立ち止まって、私は丁寧に礼をした。
「ここで練習しているの?」
「はい」
私は神妙に答えた。
坂田さんの自宅は、あの河川敷の近くだと聞いていた。
ずいぶん離れたこの場所に何の用事があるのかと聞くのは、不躾に違いない。
しかし、河川敷の時同様、自宅からふらりと出てきたといった様子だった。
「引っ越したんだよ」
私の気持ちを見透かしたのか、坂田さんは答えた。
「高齢者アパートっていうのかね、サービスがついているところにね」
それから、私を見て言った。
「子どもたちのサッカーを見に来てもいいかい?」
「いいですよ」
私は答えた。
「コーチに言っておきましょうか?」
「いや、自分で挨拶するから大丈夫」
私は頷いた。
老人というのは扱いづらい。
そう思った私の顔をじろじろ眺めながら、坂田さんは言った。
「あんたは面白いよね。
ふつう、女は、私にはわかりませんとか言うんだよ」
「すみません、私は女ではないかもしれません。
母ではありますが」
この人に対しては、なぜこんな物言いをしてしまうのだろうと、私は自分が不思議で、少し慌てた。
少なくとも、元副社長には、礼儀正しくあたりさわりのない会話にすべきだろう。
にもかかわらず、私は彼の言葉をそのまま受け止めて話をしたかった。
几帳面で真面目なおかあさんと言われる自分以外にも、かなり率直な自分もいる。
どちらだっていいじゃないかとあっけらかんになれるのが、自分のことなのに奇妙に思えた。
「怒るなよ。
褒め言葉のつもりなんだから。
あんたからあの目つきでいじめられたおかげで、女房にも優しくなった。
急に優しくしたら、死ぬんじゃないかって言われた。
引っ越ししたのも、きっとそのせいだな」
もしかしたら、この老人とは相性があうのかもしれないと私は思った。
私の目つきが鋭いなどというが、どう見ても坂田さんのほうが怖そうに見える。
最初に失敗したせいか、今さら坂田さんに向かって取り繕ってもしようがない。
そのせいかもしれないが、なんだか気持ちよく感じた。
「それでは行ってきます」
「すまなかったね、引き止めて」
その後、坂田さんはコーチに挨拶をしたようだった。

校庭の隅に立ち、子どもたちがサッカーをしているのを眺めている坂田さんの姿を見かけるようになった。
坂田さんは自分を、近所の老人と自己紹介していた。
校庭でサッカーを見ている坂田さんは、普通の老人に見えた。
「楽しかったよ、ありがとう」
子どもたちや保護者に、挨拶して帰っていく。
河川敷での不機嫌さ、あれは幻だったのだろうか。
子どものサッカーを眺めながら、私は視界の中に入る坂田さんも見ていた。
楽しいというのは、嘘ではないように見えた。
坂田さんは毎週見に来てくれていたようだが、私はさほど熱心な保護者ではなかった。
水当番の前の週とその週に、顔を出すだけで、あとは気が向いた時しか見学には行かなかった。
坂田さんは私の夫が働いている会社の元お偉いさんだと、いつのまにか保護者は知っていた。
そのせいで、坂田さんが私に話しかけていても、みな「おつかれさま」というような視線を送る。
たしかに、暇なお年寄りの話し相手と思われてもおかしくはなかった。
「お母さんたちはいつも当番の話をしているが、何の当番なんだい?」
「水当番です。子どもたちの飲み水の準備で、他にも怪我をしたときのための救急箱を持ってくる係もあります。
あと、合宿の時は5日間一緒に付き添ったり、日帰りで洗濯に行ったりとか」
「近ごろの子どもたちのスポーツも、大変だなあ」
「うちなんて、のんきにやっているほうだと思いますよ。
私なんて合宿の時は、洗濯係しかしたことありませんが」
「ほらみろ、5日間も行ってないだろう」
「でも、洗濯係だって1日仕事なんですよ。車で片道2時間はかかるんですから」
「運転できるのか?」
「いや、できません。うちに車もないし」
「それじゃ、洗濯係と言ったって、運転手付きの車に乗っていくお偉いさんみたいなもんじゃないか」
助手席に乗るのはどうかと考え、迷ったあげく後部座席に座った私を、迎えに行ったコーチが同じようにからかったのだ。
その話を聞いて、坂田さんは大笑いした。
「やっぱりな。あんたはおもしろいなあ」
面白い人間とはほど遠いと、私は自分では思っていた。
もっと楽しく面白く生きていけたらいいとは思うのだが、なかなかそうはいかない。
まじめにやっているつもりだったから、坂田さんの私への印象は的外れだと思っていた。
ただ、面白いといわれるのは褒め言葉に聞こえ、嬉しかった。
手探りで生きてきたが、自分の思うままにやってみてもいいかもしれないと感じ始めた。
私が少しは気楽に会話ができるようになったのは、彼のおかげかもしれない。
誰かひとり、そういう人ができると、人生が少し違った風景に見えてくる。

そのころ、私は住宅展示場のアルバイトを始めて半年が経っていた。
自宅に近く、何より、小学生の子どもを持つ私には時間帯がありがたかった。
同僚は似たような年齢の主婦が多かったが、長続きする人はすくなかった。
思っていたよりはつまらないと、皆、口をそろえて言う。
展示場に来た客を案内するのは、住宅に関して知識を持った社員だ。
アルバイトの仕事は、客を迎え、スリッパを出し、お茶を淹れる。
本物ではない家を掃除し、書類のコピーをとる。
裏方なのだから当然の仕事のはずだが、アルバイトの側から見ると、これでは家事と全く変わらない。
社員から注意された次の日に辞める人もいた。
坂田さんに会わなければ、私も愚痴を言う側にひきずられたかもしれない。
しかし、私の中に、心地よい風が吹くようになってきた。
いいかげんな相槌をうつよりは、自分の心の中に別の考えもあることを静かに観察するようになっていた。
誰からも要求されてはいなかったが、社員が知っている最低の常識くらいは覚えておこうと私は考えた。
わからないことを聞くと、めんどうがらずに教えてくれる親切な社員もいた。
そのうちに、建築やデザインよりは、家の売り買いそのものに自分の興味があることに気が付いた。
資格を取ってみようかと考え、私は勉強を始めた。
そんなことを坂田さんに話したかどうか、憶えていない。
住宅展示場から始まり、不動産会社に勤め、その後、社員寮や学生寮を手広く扱う会社で、私は働いている。
坂田さんと出会ったことが、きっかけのひとつかもしれない。
忘れていたくせによく言うよ、と彼がもし生きていたら笑うだろう。
忘れていたくらいがちょうどいい人だったんですよ、と私も言い返したい。
思い出したことが嬉しくなる人だといったら、少しは坂田さんへの供養になりはしないだろうか。