あの日の茶一
茶一という店がありました。
小さな小さな店でした。
一歩半で通り過ぎてしまうので、気づく人は決して多くはありません。
私があそこを知ったのは、いつのことだったか。
ずいぶんと前のことのように思われます。
そのころ、私は小さな出版プロダクションを経営していました。
実は、私の会社ではありません。
社長は私の知り合いの編集者でした。
彼が病気になり、入院を繰り返すようになると、弱小の出版社はすぐ危なくなります。
よい出版社が消えていくのを、私は見殺しには出来ませんでした。
頼まれるままに、私は作家との打ち合わせを代行し、本作りに力を注ぎました。
それまで気になっていた若い人にも会うようになりました。
気をつけて世間を見ていれば、良質の書き手は案外いるものです。
わたしは、そういう人を育てていくことに喜びを感じていました。
私には編集者、経営者しての能力があるようでした。
どうやっても作家になりたいと願っていた私には、皮肉なことでしたが。
いつのまにか、私から作家という経歴は消えていました。
茶一は彼の会社の近くにありました。
いつのことだったか、来客と話していると、近くに面白い店があると、彼が教えてれました。
なんどか足を運んでいるようでした。
「くせのある店よりは、チェーン店の個性のなさが俺は好きだよ」と、茶化して、その日は終わりました。
さほど面白い店ではないと、初めて出かけたときは思いました。
そのせいでほっとしました。
だから、足を運ぶようになったのかもしれません。
わたしも案外気負っていたのです。
ただ、気になったのは、あちこちに置かれているものでした。
設楽享良の白磁の器、原清の漆器。
作家の名前が、いつの間にか、頭の中に入っていきます。
松ぼっくりで作ってあるハリネズミ、つづれ帯、着物。これらは売り物なのか、展示物なのかよくわかりません。
その空間になじんで、そこにある、そういうしかないように思いました。
今度来たときは、あれをゆっくり見よう、そう思うのでした。
私は設楽享良の白磁が好きでした。
高台のついている茶椀に、酒を入れてみたい、そう思いました。
もちろん、店では黙って煎茶だけで我慢しました。
自宅用に一つ買い、時々酒を入れて楽しみました。
満月の夜に、窓辺に椅子を置き、月見酒をしたのは、茶一に行って一年は経っていたでしょうか。
空に浮かぶ満月のように、白磁の茶碗はきりりと引き締まり、しかし、月の中のウサギを思い起こすかのように、やわらかい優しさがありました。
私はひとり、月と酒を酌み交わしたのです。
誰にそのことを話したのでしょう。
店主に話したのでしょうか、はっきりしません。
私は月見酒を飲んだ翌日、茶一に行き、煎茶を飲んだだけかもしれません。
私の中でそんな想像をしただけかもしれないのです。
狐に化かされた人間のようですが、それを私は懐かしく思い出すのです。
社を任された知人は病状が悪化していきました。
苦しいはずなのに、彼は私を気遣ってくれるのでした。
病院からの電話は旅先からかと思われるほど、明るいものでした。
会社の業績の上がっていることを彼にほめられ、どうせ俺は物書きとしては食えないんだよと笑いあい、そのあと、必死に仕事をして、茶一に向かうのでした。
茶一で煎茶を飲んでいると、苦しさから逃れられたのです。
設楽の器を私はすこしづつ買い求めるようになりました。