02ten
Compile


鹿児島の焼酎造りを支える杜氏

杜氏(とうじ)とは酒造家で酒を醸造する職人の長(おさ)。
また、酒つくりの職人。(日本国語大辞典)

厚生労働省が、伝統工芸や工業技術分野などで卓越した技能者を表彰する「現代の名工」。
鹿児島の焼酎造りを支える杜氏が、この「現代の名工」に二人選ばれています。

吉行正巳(よけまさみ)氏は平成21年、鹿児島の芋焼酎界では初めて「現代の名工」に選ばれました。
厚生労働省HP、八千代伝酒造HPによりますと、
製麹操作技能等の焼酎製造技能に卓越し、追麹の技術を考案するなど幾多の考案改善を行いました。
白玉酒造で「魔王」製造の立ち上げに携わり、甲斐酒造の「伊佐美」の名誉顧問。
30年ぶりに復活した八千代伝酒造は、猿ヶ城渓谷の地に蔵を移築し、仕込みはすべての工程を
昔ながらのかめ壷で行う総かめ壷仕込みとしました。
その際に、吉行氏が徹底的に若手蔵子に技能を伝承しました。

平成25年には、黒瀬安光氏が「現代の名工」に選ばれました。
阿久根市広報誌「広報 阿久根」2013年12月号、鹿児島酒造HPによりますと、
昭和12年、南さつま市笠沙町黒瀬で初代黒瀬杜氏である黒瀬金次郎の三男として生まれました。
昭和27年より九州各地の蔵元で焼酎造りの修行を始め、様々な焼酎の原料や製造方法を学びました。
23歳という異例の早さで杜氏になり、昭和42年、30歳の時に鹿児島酒造の前身の会社に就職しました。
鹿児島酒造阿久根工場で総杜氏を務め、多くの蔵子を技術指導しています。
さつまいもは焼いたほうが美味しいと考え、『やきいも焼酎』の発明者でもあります。

鹿児島県南さつま市笠沙町黒瀬地区は、焼酎の杜氏の発祥の地でもあります。
明治時代、黒瀬から3人の若者が沖縄に渡り、泡盛の製造技術を学んで戻ってきました。
黒瀬は耕地が少なく、焼酎を造る季節になると、黒瀬の男たちは酒造場に出稼ぎに行き、
杜氏、蔵子として働きました。
彼らは『黒瀬杜氏』として知られています。

焼酎の麹は、白麹・黒麹NK菌・黒麹ゴールド・S型麹・L型麹・黄麹・ネオマイセル等、数多くあります。
黄麹は、もっとも古い麹で、味噌・醤油・酒・味醂に用いるものです。
黒麹は、泡盛の麹菌から誕生しました。製法が安定し、良質な焼酎が出来るため、黒瀬杜氏と共に九州各地に広がりました。
白麹は、大正時代に黒麹から発見されました。製法も、品質も格段に安定し、現在の焼酎の発展に大きく貢献しました。
このような経過をたどりながら、鹿児島の芋焼酎が全国へ普及していきました。