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歴史・文化

40年近い歴史を持つ霧島国際音楽祭

平成26年に第35回を迎えた霧島国際音楽祭は、1975年にその始まりをみることができます。
平成25年10月14日の南日本新聞、ならびに霧島国際音楽祭ウェブページによりますと、
1975年、来日中のゲルハルト・ボッセ氏 (当時、東独ゲヴァントハウス管弦楽団第一コンサートマスター) に、
旧知の野村三郎氏(鹿児島短期大学教授など歴任)が講習会開催を持ちかけました。
目的は「志があっても留学できない学生のために、優れた音楽家による教育と音楽会を聴ける機会をつくる」ことでした。
場所は国立公園に接する温泉観光地・霧島高原が選ばれました。
「技術的にも、人間的にも自立できる音楽家を育てること」が理念に掲げられました。
そして、1980年に「霧島国際音楽祭・講習会」の名称で開催されました。
主な会場はユースホステルで、鹿児島室内合奏協会と霧島町の共催でした。
翌年1981年には、牧園町も主催に加わりました。
その後、1984年に、大手音楽事務所の協力を得て、ジェスク音楽文化振興会が運営団体として設立されました。
1987年には鹿児島県が1000万円の事業費(その後、増額)を組み、主催団体に加わりました。
1994年には、霧島国際音楽ホール(愛称・みやまコンセール)が建設されました。
外洋に乗出す船をイメージし、槇文彦設計、安藤四一音響設計のホールです。
敷地は55,000平方メートルあり、自然と音楽を満喫できます。

この音楽祭の伝統は「受講生は何年間か霧島で学び、国内外で活躍する音楽家に成長すると、
霧島の教授やアーティストとして音楽祭を支える」というものです。
コンサートでは、旧知の音楽家たちが年に1度世界から霧島に集まり、2週間にわたる音楽祭を開きます。
コンサートだけではなく、音楽祭マスタークラスも行われます。
音楽家、教授陣が、一対一のレッスンを、クラスの生徒全員・聴講者の前で行います。
現在参加する教授陣、アーティストの中に、終了生が多くいるのも特徴です。
音楽祭の大きな特徴のひとつには、地元ボランティアによる食事の提供をあげることができます。
音楽家に地元ならではのおいしい食べ物をということで始まり、「野外ビッフェ・パーティー」は有名です。
2012年、この音楽祭の生みの親であるボッセ氏は死去されました。
「全人格的成長が音楽家を支える」というボッセ氏の理念を音楽祭は今も受け継いでいます。