縄文後期の祭祀儀礼に使用か 文様が入った天附型石刀が完全な形で出土
2014年2月28日の南日本新聞によりますと、鹿屋市串良町細山田の町田堀遺跡から、文様が入った天附型石刀が完全な形で出土しました。
鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター(霧島市)が27日に明らかにしました。
町田堀遺跡は笠野原台地北東に位置しています。
東九州自動車道建設に伴い、2013年6月から2014年1月まで発掘調査を実施していました。
石刀は、1月10日に縄文後期後半(約3,300年前)の竪穴住居跡の床面上から見つかりました。
磨製石器で、熱変性した堆積岩製。
長さ28センチ、最大幅4センチ、厚さ5ミリ。
反った形の天附(あまつけ)型で、この型は九州特有の形です。
完全形というのは、大変貴重です。
木の葉のような橿原(かしはら)文様が、頭部と端部の2カ所に刻まれています。
内側の刃の部分は鋭利な加工ではないため、儀式や祭祀に使われたと推測されます。
文様のほか、水銀朱と見られる赤色顔料も確認されました。
同遺跡では、縄文後期から古墳時代までの包含層も確認されています。
2013年には、1,500年前の古墳時代の地下式横穴墓41基と6体の人骨、鉄剣などが出土しました。
人骨は墓5基から出土し、男性3、女性2、子供1です。
子供は熟年女性と一緒に埋葬され、母子の可能性もあります。
壮年男性の人骨は、頭部がほぼ完全な状態で出土され、1,500年前に大隅に生存していた人の顔の特徴が判明できるということです。
この人骨は地表から深さ150センチの地下式横穴墓で見つかりました。
ろっ骨や背骨、手の指もきれいな状態で、歯もすべて残っていましたが、ひざ下の骨はありませんでした。