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日本に現存する最古の手話語彙集「聾唖教授手話法」

筑波技術大学の大杉研究室手話言語データベースには、鹿児島の聾唖教授手話法についての研究(「聾唖教授手話法」の電子データベース化)があります。
この研究は、平成21年〜22年度日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(A)「手話形態素辞書作成とその応用の研究」(研究代表:神田和幸)及び平成23年〜25年度日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(A)「形態論的日本手話文法研究とその応用の研究」(研究代表:神田和幸)の分担研究として、大杉豊(筑波技術大学)が実施した研究による成果の一部です。
この研究によると、「聾唖教授手話法」は、日本に現存する手話語彙集では最古のものと推定されています。
明治35年10月31日に初版が鹿児島で発行された手話語彙集で、現在は鹿児島県立図書館に1冊が保管されるのみです。
54ページからなり、見出し語は合計528語になります。
目次と本文のみで構成されており、本書所収の手話語彙の源を直接に知る手掛かりはありません。
手話を十分に習得していない初等部低学年の生徒に対して指導するため、聴者教師が手話を正しく学習できるように意図された本と推論しています。
編集兼発行者は佐土原(さどばる)すゑ、印刷及び発行所は私立鹿児島盲唖学校(印刷部)と記載されています。

印刷及び発行所となっている、私立鹿児島盲唖学校について、説明しましょう。
明治初期に、京都府盲唖院、東京盲唖学校が創立されました。
京都府盲唖院は1878(明治11)年の創立、東京盲唖学校は1880(明治13)年の創立です。
「聾唖教授手話法」の編集兼発行者、佐土原(さどばる)すゑは、1899(明治32)年3月31日より1900(明治33)年3月31日までの1年間、東京盲唖学校に教員として雇用されていたことが同窓会名簿で確認できます。
1900(明治33)年7月5日に、佐土原(さどばる)すゑは、鹿児島県知事の認可を受け、私立佐土原学校を設立します。
当時の鹿児島では、すでに伊集院キクが、耳の聞こえない子どもに手話による個人教授をしていました。
伊集院キクは、京都府盲唖院を1895(明治28)年に卒業し、卒業後は鹿児島で5年間、個人教授をしていたのです。
両氏が、私立佐土原学校で手話による指導を開始したのでした。
ろう児に国語、算数、図画、裁縫などを手話で指導しました。
私立佐土原学校は、1903(明治36)年2月10日に名称を変更し、私立鹿児島盲唖学校として鹿児島県知事の認可を受けています。
したがって「聾唖教授手話法」の初版は私立佐土原学校の名称で発行されたものと推測されます。
伊集院キクはその後、私立鹿児島慈恵盲唖学校に移ります。
研究では、伊集院キクが私立鹿児島慈恵盲唖学校に移る前に、佐土原(さどばる)すゑが「聾唖教授手話法」の初版を発行したという経過から、伊集院キクと佐土原(さどばる)すゑがそれぞれ京都府盲唖院と東京盲唖学校で学んだ手話語彙の両方が「聾唖教授手話法」に反映されていると推論しています。