肝付町の四十九所神社の流鏑馬は少年射手が特色
流鏑馬は、騎射の一種です。
馬上で駆けながら、矢継ぎ早に鏑矢で的を射る射技で、的は方板を串にはさんで3所に立て、一人おのおの三的(みつまと)を射ます。
平安末期から鎌倉時代に武士の間で盛行し、後に神社などで儀式として挙行されました。
肝付町の四十九所神社は、流鏑馬で有名です。
肝付町のHPによりますと、四十九所神社は、肝付氏の祖である伴兼行が薩摩掾(さつまのじょう)に任命されて下向する際に、伊勢神宮から勧請して永観2年(984年)に創建したとされています。
四十九という名の由来は、ここに合祀する祭神の総数(天神七代、地神五代ほかの神々合計49柱)によります。
伴兼行の孫、伴兼貞は長元9年(1036年)に肝付郡の弁済使になっていますが、高山で流鏑馬が始まったのはそれから100年位後のようです。
それでも、900年近い歴史がある儀式です。
一般的には、成人の射手が多い中で、肝付町で行われる流鏑馬の最大の特色は、射手を中学生が務め、毎年変わる点です。
8月の中旬に、中学2年生の生徒1名が射手として選ばれます。
9月初旬に、旧国鉄大隅線の跡地で、午後4時頃より練習が開始します。
馬に乗るところから始まり、乗馬と弓矢の練習を重ね、約1ヵ月の練習を経て本番を迎えます。
射手として決定された少年は、その年の町一番の大役を任せられるのです。
保存会員や応援する人達に支えられ、多くの教えを受け、射手を務める少年は成長していきます。
9月中旬には、本番会場である四十九所神社前(宮之馬場)で練習が開始します。
宮之馬場は、流鏑馬のために、道の半分は舗装されていません。
本番(奉納)2日前には、柏原にて「汐がけ」の儀式を行い、馬と射手を海水で禊ぎ清めます。
「汐がけ」の儀式から本番当日までは、宮篭りを行います。 (かつては四十九所神社に篭っていましたが、現在は役場コミュニティセンターに寝泊りします)
本番当日は、午後0時から四十九所神社にて「弓受けの儀」が執り行われ、午後2時から流鏑馬が始まります。
流鏑馬の期日は、昔は10月19日の四十九所神社大祭日でしたが、現在は10月第3日曜日に行われています。
中学2年生の少年射手は狩衣装束にあやい笠を身にまといます。
あやい笠とは、綾藺笠と書き、藺を編んで造り、裏に絹をはった笠です。
中央に突出部があり、武士の狩装束で、遠行または流鏑馬用の笠です。
弓受けの儀により神の使いとなった射手は、神馬とともに約330メートルの馬場を疾走します。
馬場を3回駆け抜け、100メートルおきに建てられた三つの的(60センチ四方)に合計9本の矢を放ちます。